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著者は、大学に籍を置く「専門」研究者ではないが、マクルーハンの遺著『メディアの法則』の訳者。
活字によって全面的に展開した視覚的=論理的=分析的な近代知に対して、触覚聴覚的=発見的=連結的なマクルーハンの方法知を対置する。
マクルーハンが多方面に影響を与え熱狂的に受け入れられた一方で、専門家に評判が悪かったことから始まり、
文学研究からスタートしたキャリアや、ドラッカーなどとのメディア論発表前夜の個人的な知的交流エピソード、
そして、彼が描いたメディア論の歴史まで、
視覚的知と触覚聴覚的知との「知の抗争」という枠組みによって描き出している。
マクルーハン解釈として妥当かどうかは門外漢なのでわからないが、「知の抗争」という軸からマクルーハンを描き切っているので、入門書としてはオススメできるのではないかと思う。
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マクルーハンの理論の理解というよりも、マクルーハンの伝記である。マクルーハンがどのような経歴で理論を構築したかについて説明している。後半の部分は著者の考えで、だいぶマクルーハンから離れているので、前半だけでいいかもしれない。マクルーハンを読むためにはKJ法で発想法で様々の考えをどんどん入れているということであればより理解ができる。
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分析と総合をめぐる知の抗争史がマクルーハンを通して、鮮やかに描かれる。視覚優位な活字型人間社会をどう乗り越えるのか、マクルーハンに学ぶべきところは多い。最近読んだ『芸術人類学講義』とも響き合う内容だった。
目からうろこだったのは、新しいメディアは当初古いメディアを内包し、そのうち、新しいメディアにメッセージ(コンテンツ)が飲み込まれてしまうという趣旨の記述とメタファーこそ本来の人間の知覚で、シンプルな表現はその後に生まれたとの指摘(吉本隆明『言葉という思想』)だった。
視覚・聴覚優位なネット上での体験から、五感を通した人間性回復をどう図るかが、個人的には課題だと思う。