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コロナ(COVID-19)のあれこれもあり、都市圏で非生産者として暮らす弱さをひしひしと感じている。
3.11の頃は私もまだカネ>命に近いところがあったし、自分で働いてなかったので、経済成長の方が良いのでは、と思ったかもしれないけど、いま経済成長と共生社会の2択をするなら、後者を選ぶ、かなぁ…。
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星3.5くらいだけど3か4だったので3に。
読んでいて、一緒に考えている自分に気がついたり、なんとなく感じていたことが言語化されたり。
西の方だが、東日本大震災をきっかけ(多分原発のこととか、社会の動き方をきっかけにということだったと思う)に、暮らし方など変わっていったそうで、否定するわけではないのだが、震災に関する一連のことから受け取る内容が個人的にかけ離れていて、正直おっかなびっくり読み始めた…のだが!(これは、ついていけるかな、という感情。この方との相性はどうかな、という感情。)
多様性を認めている方なのだと思うが、そのような姿勢が当然ながら文章に表れているので、全然考えが違うところがあっても、文章を読みながら自然と著者やスピーカーの考えを受け止めつつ、自分も思索を深めている瞬間が何度もあった。
自宅を図書館にするとは…?!という興味で読み始めたが、自分の生き方とか暮らしやすさについて考えるいい機会になった。
今、生きにくさ・暮らしにくさを感じている方に、立ち止まって読んでほしいかも。
何かを教えてくれるからということではなくて、この本を読みながら自分のことを振り返って考えられるのではないかということで。
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誠光社にて、本書出版記念の内田先生との鼎談を聴いてきた。3人のサインもいただいた。ついでに内田先生の「そのうち何とかなるだろう」にもサインしてもらった。内田先生の話はどこかできっと読んでいるはずだけれど、やっぱりおもしろい。書物は異界への入り口なのだ。図書館では自分がいかに無知であるかを知ることができる。ルチャ・リブロへはいつか行けるかなあ。ふうせんかずらにも結局まだ1回も言ってないしなあ。本書の感想はまた読んでから。いま、また渋滞中で、7番目くらいかな。いつになるだろ。
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都会での暮らしに倦み、疲れ、〝ほうほうのてい〟で、奈良県の山あいの集落に居を据えた夫婦。
所有する本を並べ、開放し、私設図書館を開く。
語られるのは、これからの日本、生き方、考え方。
伸びやかに、確かに生きていこうというそのさまに共感した。
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自分の才能はどの程度のものか、世間に通用するものか、それを知りたい人は東京に出てきたくなる。個人の能力の査定と、格付けについては、迅速かつ正確。そういうタイトな生存競争が向いている人は東京が合っている。若くて才能が査定された人はすぐにメディアにもてはやされて、高い年収を保証される。でも何年かそういう競争的環境に身を置くと、疲れて来る。
同じ技能を比較しないと、精密な格付けはできない。でもこれって、集団全体で見れば、何の意味もない。全員が世界中のさまざまな言語にばらけている集団の方がパフォーマンスが高い。
東京のスピードと脅迫的な格付けにうんざりした。個人の能力や素質がわりとはやくかなり適切に査定される。だから、自分の才能がどの程度のものか、それを知りたい人は出て行きたくなる。でも若い人をゆっくり時間をかけて育てるとか、異能が成熟するのを待つというようなことはしない。
競争的環境に身を置いてゐると疲れて来るし、フロントランナーでいることが人間にとってそんなに大事な事なのか歌側しくなる
同じ技能を比較しないと、精密な格付けはできない。都市部ではみんなが同じような能力を求められてその格付けで低位につくと不要な存在となる
特定の地域だけを絶対視するのではなく、。土着のものと外来のものとを習合するというのは、日本のスタイル。東吉野村で、吉野杉の研究をしていても煮詰まる。
大学が知的活動の拠点であるという時代は終わった
ひとりひとりが研究拠点をつくり、独自に研究活動を行い、発信していく
これまでアカデミアが果たしてきた機能を誰かがどこかで継承しなければいけない
必要なものを必要なだけ生産する
じぶんのちょうどいいを求めて生きる
個別解
個別的ー数値化できない⇔モダニズム
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山村に移住して自宅を私設図書館として開放。そこに至るまでの経緯や、生活の在り方、考え方、などなど。
気になるキーワードがたくさん。
現在の都会の暮らしは、土から離れ過ぎている
という言葉に納得。
生命力のある場、生命力を高める場。
そういう場所、いいなぁと思う。
図書館の話が知りたくて手に取った本ですが、図書館自体の話はあまりなかった。
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著者のお二人のプロフィールを見て、びっくり。同世代の方だった。この本の紹介文?を読んで、勝手に30代後半から40代前半の方たちだと思っていたのだから、同世代で当たり前なのに、自分の年齢に改めてびっくりしたというところからスタートした。
お金を使っての等価交換しかない都市の論理とは違う論理でも自分を社会を世界を見ていこうとする試みに惹かれる。いろんな「ものさし」を持って、今を生きる時代を眺めてみることが大切なんだなぁ。都市部に住む私は、どうしても消費者でしかいられない。食べるものも何でも、お金を払ってしか手に入れることができない。消費者マインドが嫌だと思いながら、それでもどっぷりその世界につかっているのだ。どうしたらいいのだろうかと思うも、地方に引っ越す(移住する)ことは難しい自分の現状にもやもやする。難しいと決めつけているだけかもしれないけれど、やはりどう生活していくのかを考えると二の足を踏んでしまう。お二人は、命からがらの選択だったというが、それでも、移住先での生活は穏やかそうだ。都市部の論理が強い今の日本で、それだけではない論理がたくさんあること、その可能性を探ろうとしているお二人の試みがゆるやかに広がっていきますように。私も自分の生き方を改めて、ひたひたと考え続けていきたいと思わされた1冊だった。
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新しい、いや、ずっと以前からわかっていたか?人間解放の思想の実践。若い人が、新しい人間の在り方を提案していることに「希望」を感じました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202001210000/
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体調を崩し奈良県の田舎町に引っ越した夫婦。自宅に人文科学系の施設図書館を開設している。「住まい」とか「働き方」「生き方」といったものをゲスト共に考える。ゲストというのは、著者が作っているインターネットラジオの番組へのゲストの意。
田舎暮らしに至るまでの顛末記かと思っていた。それよりも充実している感じがする。
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若い人たちに期待したいと思う。
上の世代は決して邪魔をしないで、陰ながら、あるいは金銭的に応援するのがいいのではないか。
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内田樹氏が初めから登場、それだけで半分読む気が失せた。ふわふわした対談が進み、冗長で長い。奈良県東吉野村という地も行ってみないとなんともいえない土地勘のない場所でイメージしにくかった。ただ生命力が単位の社会というキーワードには共感した。生命力を削ってお金のために働くという考え方ももちろんある。文量の割に内容が薄いので星2とした。
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奈良県東吉野村に移住して、自宅に人文系私設図書館ルチャ・リブロを開いた青木夫妻。2015年から2018年にかけての約3年間の、オムライスラヂオでの対談内容を中心に、この地で行われようとしている実験を伝える。
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図書館の話というよりは地域の話。
そして日本の未来の話。
切り捨てられる地方の姿。
そこに未来があるのかどうか、
その地域にという意味も、その政治もという意味も。
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非数値的なものへのイマジネーションからしか本当のクリエーションは生まれない 言語的なことを追求するためには、非言語への扉を開けないといけない 超越的なものを信じる力が必要
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奈良の僻地に開設された私設図書館「ルチャ・リブロ」を運営する青木夫妻の本です。
観念的な話が多いので、期待したような図書館の日々のようなものは殆どなく、内田樹さん他色々な人々との対談が殆どです。
地方でしかも僻地なので基本利用者も少なく、収入の足しにもなっていない図書館を何故運営するのか。それを紐解く事がこれからの人間の生き方の一つとしての指針になるのかもしれません。
都市生活者としてのインフラの充実は、実は脆弱な基盤の上に成り立っていることが、東日本大震災で浮き彫りになりました。これによって都市型の生活に頼り切ることの危険性を感じた人たちが、都市を脱しつつあるという事が根底にある本です。
地方を切り捨てて行こうとする国へのアンチテーゼと読むことも出来ますが、坂口恭平の小さな独立国家を作るという主体的な流れを汲んだものでもあるような気がしました。
これは小さな地域内で金銭価値を循環させ、GDP以外の豊かさを求めるといういま日本がしなければいけないことの縮図でもあります。
世界競争力を得ようとすることは、現在地域地域で育っている経済圏を壊すことになります。都市部以外で世界的な規模の一次産業に対抗することは難しいです。これは根本的に考え方が違うのですから。
この本の図書館運営というのはあくまで生き方の象徴であり、それ自体が金銭的価値を生むものではありません。普段は福祉の仕事をしながら蔵書を貸し出す図書館を運営する事で、収益に現れない価値が生まれています。
これはまさにライフワークですね。僕らの音楽活動もそうだと思っています。