紙の本
重く、響く
2020/12/26 04:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆかの - この投稿者のレビュー一覧を見る
10代の頃から、死にたい、を抱いて毎日を生きている。
生を放棄した登場人物たちが羨ましかったり、恐ろしい死後の状況に死が怖くなったり、とにかく感情が揺さぶられました。
投稿元:
レビューを見る
日曜日なので、文庫で再読しました。
高橋さんもっともっと読みたいですが、書くのしんどいのかなーと思ってしまいます。
日曜日の人々は読んでいる方もしんどくて、今も不眠症を患っている身としては吉村の言うことすごくわかる…となります。
「不眠は昼に肉体を蝕み、夜に精神を蝕む」拒食も過食も不眠も自傷の一種です。
言葉にすることですくわれたり、言葉にすることでますます呑み込まれていくのもわかる気がします。わたしはたまたま軽くなる方だっただけ。
「人生は少しずつ消費するものではなく、ぽろぽろ欠けていくものかもしれない」
高橋さんの文章は痛むのですが、痛みを伝えるために表現を徒に過剰にしてなくて好きです。淡々としています。
投稿元:
レビューを見る
読みたいリストより。
絶望している人がよく出てきた。痛い場面があった。切実でひりひりした生きづらい感じを分かりたいし分からないでもない気もするが、自分は多分本当には分かっていないだろうと思う。
投稿元:
レビューを見る
90年代、ココロ系と呼ばれるウェブサイト群があり、BBSで悩み相談や薬の情報交換をしていた。
当時は確か匿名が当然という感覚は薄く、各々ハンドルネームをつけていた。
おそらくそんなふうな「REM」が、ゼロ年代になってセルフケア手前の集会を開いて……という。
まず押さえておくべきは、少し昔の話だということだ。
決してリアルとは感じなかった。
いちいちモノを書くなんてまだるっこしくて。
また話の運びも結構都合に拠るところがあるし。
しかし、漱石「こころ」(の草稿の分量!)や春樹の持って廻った台詞に、リアルではないと知りつつもリアリティを感じてしまう、感じ方がある。
要は小説内での確かな手ごたえというものがある。
この小説にも、ある。
春樹をつい引き合いに出してしまったが、道具立ては結構似ている。
語り手の流され具合。開幕直前に同年代の女の子を自殺で失くしている(「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」)。無闇に好かれる。
ただし書き方は違うのではないか。
春樹は暗い洞窟を手探りしながら書いていくので、まだるっこしいし停滞している、そこが良くも悪くも特徴。
高橋弘希はおそらく、きちっと全体を見通した上で、描写していく。
だから時に計算っぽくなるが、それもまた個性。
話の筋はまあそういうものとして、細部が好きなのだ。
送られたダイエットシェイクとか、摂食障害者がなぜか買ってきてくれたロースカツ弁当とか、ピザとか、あんぱんとか、なんでもないぬいぐるみとか、熱くなったアスファルトとか、数珠のような葡萄とか、チョコレートパフェとか、海苔に歯痕の窪みができたおにぎりとか、丸っこい小ぶりのおにぎりとか、傷痕に張った薄皮とか。
思い付く限り書いてみたが、うーん結構食べ物が多いな。
ということは、ひなのという女の子が、好きなんだな。
あとはなんでもない遊びをする場面が好き(「指の骨」では地面に絵を描くとか。「送り火」の花札はちと違うか)。
バドミントンとか、フリスビーとか、マイムマイムとか。
投稿元:
レビューを見る
「日曜日の人々」とは自助グループへの参加者が自身を語った原稿をまとめている冊子。主人公の航は従妹が自死をしたことにより、この自助グループの存在を知る。
そこで知り合う人々を通して「死」に向き合っていく。
最後の車内での一連の文章を読んで、自分が死ぬとき自分は何を思うのか、ワクワクしてしまった。
自傷も拒食も不眠も、すべて言葉。
自分に、他人に、伝えたいことがある。死を選ぶときは言葉がなくなった時なのかもしれない。(薬物依存に関しては言葉ではないと個人的には思ったり。)
言葉はいつ何時刃物になるかわからない恐ろしい道具だと思う。
高橋さんが紡ぐ言葉は葉っぱのようだ。気づいたら少し切れていて、その傷が読み進めていくうちにどんどん増えていく。柔らかな文章の中にものすごいエネルギーが秘められている。
読んでいる最中は思わなかったが、読後感は映画『ファイト・クラブ』の鑑賞後の感覚に似ているところがあった。あれは映像とかブラピやエドワードノートンの演技力で凄まじい気迫だったけど、これは文章のみなのだから恐ろしい。
場面が突然切り替わっていく終盤の流れは、呼吸している暇も与えられず何者かに急かされているようだった。一気読み必至です。
誰にも自ら死を選ぶことはしてほしくない。1日でも長く生きてほしい。生き続ける理由にはならなくても、あの人がいるから今日は死ぬのやめておこうって思ってほしい。その あの人 になれるように。
投稿元:
レビューを見る
従姉妹の死の真相を追求するためにREMに参加するものの、拒食症の少女と懇意になっていく。死んだ従姉妹を拒食症の少女に重ねているのだろう。結局、少女の拒食症は悪化し入院にまで至り、主人公は死の欲動に感染する。
拒食症の少女を救えなかったのに、集団自殺を失敗した上で明るいラストを迎えていた。ここで賛否両論分かれるのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
「病んでる」と一言で片付けられたらどんなに楽か。
「生きたい」と「死にたい」の間を揺れることがある。この「死にたい」は、「楽になりたい」「しがらみから解き放たれたい」ぐらいの気持ちだけど、でもどこかでふっと一線を越えたときに、あちらに行ってしまうのだろう。
だけど、「倫理的にだめだから」とか「周りが悲しむから」とかじゃなく、ただ単純に「生きたい」がある。自分の楽しみだとか、好物とか、そういうものが世の中への未練として残っている。
投稿元:
レビューを見る
表現が痛々しく、ぐぅーーとなり、読むのが辛い時があった。最後の方がちょっと意味がわからなかった。分かるような、理解できるような人になりたい。