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遠い未来、衰退の危機を認めた人類は、「母」のもと、それぞれの集団どうしを隔離する生活を選ぶ。異なる集団の人間が交雑することにより、新しい遺伝子を持ち、進化する可能性がある人間の誕生に賭けた―。かすかな希望を信じる人間の行く末を、さまざまな語りであらわす「新しい神話」。泉鏡花文学賞受賞作。
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時間、場所が次々に転換するけと、ひとつの「世界」の物語。
こんな感じの女性作者さんの書くSFって割と好みなのかもしれないと思いました(華竜の宮とか大好きだし)
追)読み終わってからあらすじ見たけど、これはSFという以外前情報ない方がおもしろく読めると思います
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愚かで愛おしい「わたしたち」について。
SF頻出のテーマを、「白いガーゼのうすもの」を被せたようにほのめかしながら、やわらかな言葉遣いで読ませるので夢見心地になる。
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こんなSF全開の話とはつゆ知らず。Kindleで積読してると帯情報も無いからまっさらに読み始められて良い。内容も非常に良かった。この話のようなことが起こらないと誰が言えようか。破滅に向かう人類の愚かさ、僅かな希望を信じる強さ、自己と異なるものを許容できない弱さ、どれも他人事ではない。柔らかな文体とは裏腹に残酷な近未来を突きつけられる感じ。それでもこの文章だから後味悪くならずに希望を見出そうと思えるのかも。このコロナ禍に対しても充分示唆的。
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不思議な話、と一言で語るにはもったいないけれど、他の言葉にも置き換えられないような…。
「新しい神話」とあるように、「神話」と呼ぶのがきっとふさわしいです。
分かるような分からないような、さっきも出てきたような…を辿っていくと、はじめに戻ってくる。そう思ってはじめから読むと、繋がっているはずなのに別物に思える不思議。
ざっくり内容をおさえたうえでもう一度読んでみたい気もしますが、何度読んでも分からない気もします。でも、神話は分からないところがあって当たり前だろうから。
「ノア」「マリア」など、キリスト教を感じさせる言葉も出てきてその繋がりも気になります。他の言葉もそうなのかな。
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遠い未来、幾度ものカタストロフを経た後に壊滅的な状況に陥ったその後の人類を描くSF小説。約400ページ、13篇からなる連作形式で、読み進むに連れて作品世界の人類の置かれた環境や社会・歴史が徐々に明らかになる仕組みとなっている。各編は同じ登場人物が登場して対になるような強い結びつきをもつものもあれば、他とはあまり交わりのないエピソードもある。作品の舞台となる期間は明確には不明だが、相当に長い年月にわたる。タイトルは作中の一篇からとられており、意味深にみえるがとくに作品の秘密を示唆するわけではない。
作品内の人類の歴史からすればディストピア小説に該当する作品かもしれないが、作者の穏やかな筆致と作品の設定もあって、暗く虚無的な作風とは一線を画している。そこでの人びとの暮らしは原初的であるとともに先進的な技術も折衷して存在し、緩やかに管理されながらも独裁的ではない。人々は決して不幸には見えず、そこにあるのは見ようによってはある種のユートピアにさえ見える。そんな破滅後の人類の社会を、多くは子どもたちや流れ者、管理者などの視点から少しずつ描き込みつつ、変異個体と呼ばれる超能力者やクリーチャーともいうべき存在が淡い色調で描かれる作品世界に変化を与えている。
もともとは解説の岸本佐知子氏が編者となったアンソロジー『変愛小説集 日本作家編』のために書かれた作品とのことで、そこに収められた「形見」を発展させて完成したものが本作にあたる。ただし、きっかけになった「形見」が第一話に配されていることは単に初めに書かれたエピソードだからではなく、通読した後に作者の意図を知らされる。各篇で幻想的なものと、世界観を説明することに重点が置かれた作品が混交している。なかでも最終の二篇にあたる「運命」と「なぜなの、あたしのかみさま」は作品を理解するうえでもっとも重要な物語で、解説にもある通り冒頭に立ち返りたくなる。それだけに情報が不十分な初読時には辻褄が合わずやや混乱するかもしれない。
破滅後の人類の社会を対象に寓話を物語るような穏やかな語り口で綴るという一見ミスマッチな取り合わせなのだが、バランスよく配合されていて違和感がない。同時に壮大なSF作品に期待されるような仕掛けも用意されていて、サスペンス的な楽しさもある。長い旅を終えたような読後感とともに、懐かしさと寂しさの交じり合った感情を抱いた。
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どうしたらこんな世界が頭の中に広がるのだろう。どうしたら、と言っているけど、なんとなくこうなんじゃないか、ってことは想像している。それは、たくましい想像力をフル回転させながら、考えることから逃げないこと、だと思う。にしても、人を愛し、慈しみ、憎み、人ってなんだ、ってことを苦しみながら考え抜いていかないと、こんな世界は描けない。すごい。
過去とも未来とも夢ともつかぬ物語からこの本は始まる。時を変え、場所を変え、だんだんただならぬ気持ちになりながら読んでいく。終盤の「運命」と「なぜなの、わたしのかみさま」は一気読みだった。
私が子どもだったころの時代と、今は全然ちがう。あらゆる場面でそんなことを思う。違いを受け入れなければ、時代の流れなんだから、としがみつこうともするけれど、この世はどっかでまちがった方向に進んでるのではないか、と思うこともある。ちょっとぞっとしながら。きっと、同じように歴史は繰り返されつつも、少しずつずれていってるんじゃないだろうか。そんなことを考えると、この本がつながってくる。小説の醍醐味ってだけでは終わらない。。現実に訴えかけてくる。
こわいけど、こわさを受け止められれば、希望が見いだせる、川上さんの世界。最高。
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読めば読むほど世界が広がっていくのが心地良かったです。
かと言って、各章の物語が薄いということはなく、次第に明らかになる世界観が好きです。
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大好きです。久しぶりに川上弘美さんの本を読みました。まずタイトルに惹かれ、冒頭の一文に惹かれ、一章ずつは好きなものとそうでないものに分かれるけれど最終的に世界観が繋がるスタイルも好きで、読み終えてタイトルに大きな意味はないのにここを選び抜き取ったセンスも好きで、大切な一冊ができてしまった、と思いました。文体も構成も行間も洗練されていて心地良く丁寧に大切に読みたくなる。この世界に浸っていたくて読み終わるのが寂しくて勿体無くて、読むのに時間がかかった。
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静かな美しい語りの近未来物語
同じ間違いを繰り返し、世界を破滅させる愚かな人類を生き延びさせようとする『大きな母』と『母たち』 は多くの子どもを生み育てるのだが。
理性的な判断を拒否し自らとは異質なものを受け入れられない人類はこの地球でチャンスを得ても
生きる価値は無いのか?
各章はどれも関連して魅力があり一気に読んでしまう。帯に筒井康隆が『打ちのめされた』とあるのも納得の傑作長編。
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読みやすいSFだった。淡々とした語り口がすごい合ってる。
表題作と「みずうみ」「緑の庭」が特に好き。最後まで読むとまた読み返したくなる。
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経験したことないような感情をおぼえるすごい本。
なんとか言葉にするなら、自然の脅威とか、宇宙の真理とか大いなるものに触れたときのような気持ちだ。
深い霧のなかを手探りで歩いてるようなぼんやりしたなかで話が進んでいき、たまに世界の核心的なものにちょっとだけ触れられる。
でも短編なんで、ほんのちょっとわかった気がしたところでポンと放り出されて次の話になってしまう。そしてまた手探り状態で歩くことになる。でも次に触れた世界の核心が、さっき触れたものの別の角度からのものだったりして、少しずつ世界の解像度があがっていく感覚が味わえる。
わからないことをすぐに調べず、自分のなかにとっておいておける人におすすめです。
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はっきりとした話が好きなので、ずっともやもやしていた。私の理解力の問題もあるが、話が分からないままどんどん進んでぬるっと終わった。最後に伏線回収があったが驚きはなかった。
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・2月6日に読みはじめ、8日に読み終えました。
・たいへんおもしろかった!
・終始、なんだかうすいスープのような、何かしらのきれいな上澄みを飲んでるような気分だった。こんなにやわらかく書かれているのにガッチガチのSFなのすごいな。
・バラバラの短編集のように見えて全体はつながっている、という作品はけっこうあるけど、これはその中でもだいぶ異質だなと思った。個人の名前の規則性が全くなかったりそもそも名がなかったり、文化も生活様式も各作品でガラッと違っていて、どうみてもちがう世界の話なのに、完全に隔離されてそれぞれ発展した人間たちというくくりで同じ地球の話にしてしまうのすごかった。
・あとクローンが当たり前みたいに出てくるから、別の話で出てきた名前が出てきても、その人が出ていた話と時系列が一緒というわけではなく、名前だけを残している。その時間軸の不確かさも良かった。最後の話が最初の話につながっていると思うんだけど、この時系列の曖昧さがあるからまた新しく創造されたとも読むことができるなあと思った。
・「運命」が一番好きだな~。上位存在に語られるのって良い。あと今までの話がしっかりとまとまった瞬間だったので、シンプルに話として強かったな。「Interview」の光合成するお兄さんも良かった。
・最後、母たちが小型の時限爆弾を飲み込んで爆発して一斉に死ぬというなんともコミカルに見える死に方を選んだのも、前の「運命」で人工知能が腹の中に居ることが語られているから、きちんと合理的な方法だったんだなあとわかる。
・こういうディストピア系を読んで「未来を見てるようだな」とか言うの好きじゃないんだけど、実際少しは思った。特に最近はAIが爆発的に発達してるからなあ。作中の人工知能とはちょっと違うと思うけど、SFは未来を描いているから重ねてしまうんだよなあ。
・色を変え形を変え温度を変えてずっと愛の話が語られていたな、と読み終わって気づいた。私は愛の話が本当に好きなんですけど、今まで好んで読んできた愛の話とはまったく毛色が違ったな。博愛といえば博愛に見えるんだけど、そういう言葉以前の愛というか、ずいぶん原始的な欲求に従った「愛」だなと思った。
・あと「恋」が一切出てこない。小学校低学年くらいの子供がふつうに少女漫画や児童文庫の恋愛ものを買っていくのを見て、こんな10にも満たない頃から恋愛の概念を教えられる/知っているのはなんだか怖いなあと普段からすこし思っていたりするのですが、愛はともかく恋については、外部からの情報がないとわからないよな。文明の度合いによるかもだけどね、
・だいぶおもしろかった。文庫裏あらすじにもあるように、「新しい神話」を読んでる気分だった。
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あなたは、『今まで何人の子供を育ててきたのだろうと、時おり指をおる』と語る女性の話を聞いて何人の子供を想像しますか?
1人の女性が一生の間に生む子供の数が年々低下し、歯止めがかからなくなっている状況が懸念されています。1949年には、なんと4.32人という統計史上最大値を記録していたその数値は1973年を頂点とするベビーブームを境に年々下がり続け、2021年には、ついに1.30人という数値まで落ちました。流石に”異次元”の対応が急がれるのも当然なのだと思います。人の世が永続していくために、この国が永続していくために、知恵を絞った対応には是非期待したいところです。
では、一つの家族が育てる子供の数は何人になるのが理想でしょうか?二人でしょうか?三人でしょうか?
ここに、自らの育児の経験を語る女性が主人公の一人を務める物語があります。そんな女性は、育ててきた子供の数を数えます。
『ひい、ふう、みい、よ』。
(*˙ᵕ˙*)え?
『名前をはっきりと覚えている子供だけでも、十五人いる』。
工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)
『覚えていない子供まで入れると、ゆうに五十人は育てたろうか』。
ニャンダッテ━━Σค(°ㅅ°ค(°ㅅ°ค(°ㅅ°;)ค━━!!
この作品は、私たちが当たり前に思う事ごととはどこか異なる世界が描かれる物語。そんな不思議な世界が14もの短編それぞれに語られていく物語。そしてそれは、『すでに多くの国はほろびていた』という、まさかの未来世界を描く”川上ワールド”全開な物語です。
『わたしが結婚したのは、五年前だ』、『夫は、町はずれにある工場に通っている』と説明するのは主人公の『わたし』。『夫は私とのものを含めて、今までに四回結婚している』という中、『わたしは二回』と思う『わたし』は、『夫の妻たちも、わたしの前の夫も、すでに亡くなっている』ことを思います。そんな『夫は三人の妻たちの形見を、ちゃんととってあ』り、『それらは、脱脂綿が平らに敷かれた小さな三つの箱に、ていねいにおさめられてい』ます。そんな『わたし』は、『夫が働いている間』『子供を育て』ています。『町のまんなかにある広い公園で』『子供を遊ばせる』『わたし』は、『今まで何人の子供を育ててきたのだろうと、時おり指をお』ります。『名前をはっきりと覚えている子供だけでも、十五人いる』という子供たち。『覚えていない子供まで入れると、ゆうに五十人は育てたろうか』と子供たちのことを思う『わたし』は、『子供たちの成長は、早い』と考えます。『幼稚園に上がるのに二年も三年もかかる子供はまれで、短い子になると生後三ヵ月でじゅうぶん幼稚園に通えるようになる』という子の成長。結果、『幼稚園に入れば、もうほとんど手は離れる』ことになります。そのために、『十五人の、名前はちゃんと覚えているけれど、大人になってしまった子供と会った時に、すぐにわかるかどうかは自信がない』という『わたし』の元に、先日、『成人したとおぼしき子供が訪ねてき』ました。『お母さんですね』と『花を差し出』されるも『名前を思い出せなくて、しばらく躊躇していたら』、『卓です』と『自分から名乗ってくれた』その子供。『今度、結婚することになりました』、『ぼくはいつ、お母さんの子供だったんですか』と訊く子供に、『それは、教えてはいけないことになっているでしょう。それに、こうやって来るのだって』と戸惑う『わたし』は『あたりをそっと見回し』ます。そして、『卓の胴体に腕をまわし、ぎゅっと抱きしめ』、『わたしが育てた、子供』と思う『わたし』。そんな『わたし』が『おめでとう』と言うと『にっこり笑い、頭を下げた』子供は『なごり惜しそうに』『振り向き振り向き、帰ってい』きました。『以前は、「国」という大きな単位の地域のまとまりがあって、そこは「日本」と呼ばれていた』と『古文書を読むのが好きな夫から教えてもらった』『わたし』が暮らすちょっと不思議な未来世界が描かれていきます…という最初の短編〈形見〉。いきなり違和感満載の日常生活の描写に戸惑いを感じつつも、”川上ワールド”へと足を踏み入れていく喜びを合わせて感じた好編でした。
上記で取り上げた〈形見〉について、“私が編者となって、大好きな作家のみなさんに「変な愛を書いてください」とお願いし、書き下ろしていただいた”と語られるのはこの作品で〈解説〉を務められる翻訳家の岸本佐知子さん。そんな”〈形見〉を書き終えた時、これは未来の話じゃないかしら?と思った”と、作者の川上弘美さんは、”長く書けるかもしれない”とこの作品成立の経緯を語られます。そして、完成形として刊行されたこの作品は14の短編が緩やかに繋がりを持つ連作短編の形式をとっています。そもそも上記した〈形見〉だけでも不思議世界が蠱惑的に顔を見せるこの作品。では、まずは、そんな14の短編の中から三つの短編をご紹介しましょう。
・〈水仙〉: 『今日、私が来た』と『扉を開け』、そこに『私よりもずいぶん若い、髪をのばした私がい』るのを見たのは主人公の『私』。そんな『私』は、『その日から』『私と二人で暮らしはじめ』ます。『最初に、家事の分担を決め』ようとするものの『掃除が好きで料理にはさほど興味がない』『私』と、『もう一人の私も同じだったので』、『曜日ごとに分担すること』なった二人。そんな『もう一人の私』との会話で『昔のことを』思い出した『私』は、『ものごころついた頃には、私は三人いた。生まれたばかりの頃は十人の私がいた…』と過去を振り返る中に、『二十五歳の秋に』旅に出たことを思い返します。
・〈みずうみ〉: 『15の8。それが、あたしの名前です』と言うのは主人公の『15の8』。『あたしには三人の兄と二人の姉がいます。兄たちの名は、それぞれ15の3、15の5、15の6です…』と説明する『15の8』は、『村には、100の家があり』、『あたしの家は、15の家』、『子供は、母親の家の番号を名乗り』、『生まれた順に下の番号をもら』うという命名ルールを説明する『15の8』。そんな『15の8』は、『この村の人たちは、みんなどことなく似たところがあると思っています』。それが『誰も人を憎まない』ということだと思う『15の8』は、『憎むって、どういうことなの』と『かあさんに聞いてみま』す。
・〈Interview〉: 『へえ、話を聞かせてほしいって言うのかい。たいした話なんて、ないけどね。���に?普通の一日のことを聞きたいって?』と一人で話し始めたのは主人公の『おれ』。そんな『おれ』は『目が覚めたのは、三歳のころ』と続けます。『ほとんどものは食べない』という『おれ』は『水分はたっぷり取』る中に『合成代謝』によって生き『五百時間くらいはずっと同じ場所にい』るものの『生殖をおこなう時期になると』『あちこちに出かけていく』と説明します。『たいがいのFと生殖可能だ』が『なかなかFがおれを生殖相手に選んでくれないから』『ずいぶん遠くまでめぐり歩く』…と一人語りを続けます。
どうでしょうか?なんだか分かるようでさっぱり意味不明?そんな感想を持たれた方も多いと思います。私も上記した冒頭の〈形見〉含めて、あまりにかっ飛びすぎたその内容にポカン!としてしまったというのが正直なところです。これは、ファンタジーなのか?という思いが巡りますが、そこに”これは未来の話じゃないかしら?と思った”という川上さんの言葉が思い起こされます。”私はSFが好きで、大学時代はSF研究会に入っていました”とおっしゃる川上さんが描かれたこの作品はそんな言葉の先に誕生したSF作品なのです。そんなSFの前提は物語が進む中で、少しづつ説明がなされていきます。
『いくつものカタストロフやインパクトの後、人類は急激に減りつつあった。ついに人口数は臨界点を下まわりはじめていた』。
『残存する頭脳を結集させ、あらゆる技術を掘り起こし、長大で複合的な計算をコンピューターでおこなっても、はかばかしい展開は得られなかった』。
そんな先に、ついに、
『すでに多くの国はほろびていた。かろうじて存在していたいくつかの国も、国家としての機能をほとんど失いつつあった』。
まさかの未来の地球の姿が描かれていることがわかります。そんな時代には、上記で取り上げた不思議な感覚の原因がこんな説明の中に明確になります。
『まだ俺たちがクローンではなかった頃、ふつうの生殖で生まれた人間だった頃…』
そんなこの14の短編、どこか同じ世界のようで違う世界のようでという不思議な感覚の物語の理由が示されます。
『人間集団を、いくつかの地域に分断し、完全におのおのを隔絶する』。
そう、この物語に描かれているのは、『隔絶』された『いくつかの地域』の物語。『隔絶』されているが故に、同じようで違う、違うようで同じ、なんとも不思議な世界のイメージがそこに見えてくるのです。これは凄いです。人は今生きている時代、生きている瞬間を全ての比較基準とする生き物です。私たちは2023年という今を生きていますが、この作品世界を生きる”存在”たちは、あくまでその時代、瞬間を基準に考えます。川上さんは、そんな”存在”たちどっぷりな視点で全てを描かれていきます。この感覚が圧巻です。次から次へと、私たちの世界のようでいて、気持ち悪いくらいに異なるなんとも言えない微妙な感覚世界を描いていく川上さん。
『おれも、おまえも、そしてこの地球上の誰も、人類の衰退を止めることができない。その能力をもっていない。人類は、もっともっと素晴らしいものになるはずだったのに』。
こんな風に、まさかの未来世界���ら過去を振り返る描写など、SFならではの過去を俯瞰する視点を登場させるなどとにかく抜かりがありません。そして、そんな物語には、私たちの世界を痛烈に皮肉る表現が切れ味鋭く登場します。二つご紹介しておきましょう。
・『自由、というのは、あたしたちの学校でもっとも頻繁に使われる言葉かもしれない』。
→ 『でも、あたしはこの学校にいても、自由であるという感じをあんまり持てない』。
・『そもそも、憎むって、どういうことなの』
→ 『相手が、この世界からいなくなってほしいと思うことよ』
“地球の長い歴史から見れば、今、人類が繁栄を謳歌しているのは、実はすごく運の良いことなんですね。だから、こういう時代だから、というよりも、人類も他の生物と同様、いつかは絶滅するということは、普遍的なことです”と語る川上さんが描く14の短編から構成されたこの作品。そんな作品には、『すでに多くの国はほろびていた』というまさかの未来世界の”存在”が、そんな時代、瞬間を生きる姿が描かれていました。今までに子供を『ゆうに五十人は育てたろうか』、『僕のように他人の心を走査できる』、そして『子供の由来は、ランダムだ。牛由来の子供もいれば、鯨由来の子供もいれば、兎由来の子供もいる』というかっ飛んだ物語に、正直、”ナニイッテルカワカラナイ”という感情に苛まれもするこの作品。
未来世界の不思議な描写の連続の中に、それでいて丁寧に綴られていく美しい文章にも魅せられる、そんな作品でした。