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詩人・田村隆一氏が1970年代にウイスキーとともに日本各地を旅した紀行文です!
2020/08/26 11:05
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、戦後詩の旗手として活躍され、『言葉のない世界』(高村光太郎賞)、『詩集1946~1976』(無限賞)、『奴隷の歓び』(読売文学賞)、『ハミングバード』(現代詩人賞)などの数々の名詩集を発表されてきた田村隆一氏の作品です。同書は、小海線の車窓の眺め、若狭の水、奥津の温泉などを訪れた著者の紀行文です。1970年代、荒地の詩人はウィスキーを道連れに日本各地を旅しました。連載「ぼくの感情旅行」と雑誌『旅』に掲載された作品を中心にして、ユーモラスな12の紀行文とエッセイ「ぼくのひとり旅論」が収録された一冊となっています。旧版に単行本未収録の「北海道紀行」を増補して、一層、読み応えのある内容となりました。ぜひ、一度、読んでみてください。
紙の本
素敵な列車の旅へ
2023/07/11 08:41
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投稿者:にゃんぱり - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人の田村隆一さんと列車で日本各地へ。
まだ食堂車のあったころの列車の旅は情緒があります。
札幌では,「虹と雪のバラード」の作詞家でもあった
ご友人にも会えました。
楽しい旅をご一緒させていたできありがとうございます。
おすすめです。
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「荒地派」と呼ばれる現代詩の一大潮流を築き上げた詩人、田村隆一が日本各地を酒(特にウイスキー)を片手に巡り歩く旅行記。
私が最も好きな作曲家の一人が武満徹であるのだが、彼の「My way of Life」という作品では、田村隆一の「私の生活作法」というエッセイがテクストとして利用されている。
その中で特に次の一節が記憶に残っている。
”「時が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ」
とぼくは書いたことがあったっけ
その過ぎてゆく人を何人も見た
ぼくも
やがては過ぎて行くだろう”
このテクストからも明らかな通り、田村隆一の文章は平易な言葉で綴られている。本書では旅行記、という性質もあるのかもしれないが、気の置けない仲間たちと日本各地を歩く楽しさに満ち溢れている。今となっては一部の特別車両でしか楽しめない食堂車における痛飲の描写が多いのも、昭和の良き時代を想起させる。
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20台半ばごろ、つまり30年以上前に読んでいる。
その三十余年前は、一人旅の山陰本線の車内で、タムラさんのように堺港から隠岐に渡ろうか、出雲に行こうか考えていたりもした。
僕の記憶では、タムラさんが鎌倉の自宅か散歩中にふと思い立って、西脇順三郎の詩集だけを手にして、旅に出る場面があったはずなのだが。
タムラさんは何処に行っても、酒が欠かせないし、その文章は軽々して柔らかい。この文章を丸谷才一が名文とした「文章読本」も読んだことある。確かにクダケテいるのに何とも品がある。
最近、タムラさんのエッセイを本屋で見ることが少なくなった。復刻して欲しいとおもう。
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ウイスキーを好む詩人の旅紀行。
日本各地を旅する。そして、旅は詩人を文章家として成長させる。
紀行作家には、内田百閒と吉田健一の二人の存在が脳裏にあった。
三人とも、究極の味覚は辛口の日本酒。
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荒地の詩人はウイスキーを道連れに各地に旅立った。北海道から沖縄まで十二の紀行と「ぼくのひとり旅論」を収める〈ニホン酔夢行〉。〈解説〉長谷川郁夫
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30年ぶりの増補新版、 饒舌で、きらいじゃないです。軍歌のくだりは正直わかりません。何か屈折したものがありそうです。詩は端正です。今は観光地になっている隠岐、若狭、伊那、奥津、越前などを廻ります。
『地上の旅以外にも、内面の旅がある。それを「遊」と云う。書物との出会い、知らないことを学ぶ。たとえば、戦前では「学に遊ぶ」と云った。留学とは云わないで「遊学」。遊そのものに、旅という意味がある。』あとがきにかえて
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以下、引用
●そのころは、軽井沢から草津まで、草軽鉄道という高原列車があって、(中略)たしか昭和三十年代で廃線となり、それにかわってバスが運行するようになったが、乗物のコースの変化によって、風景もまた変化するのだ、ということを、痛感したものだ。いや、変化するものは風景だけではあるまい。人間も、その意識も村落もその論理も、きっと変化するだろう。交通機関と、そのコースの変化は、情報、通信、流通といったものに、大きな影響をあてずにはおかないし、その影響によって、人間の生活形態から女性のスタイルまで、変化せざるをえないのだから。
●野鳥がしきりに啼いている。カッコウ、つつどり、ジューイチ、ほととぎす、どのさえずりも北軽井沢の森のなかでおなじみのものばかり。「なんだ、まるで北軽井沢の開拓部落のあたりを散歩しているみたいじゃないか」とぼくが言うと、「でも、土の色がちがうわ」と白狐。なるほど、たしかにそのとおりだ、火山灰地の北軽井沢の土の色とくらべたら、はるかに黒く、その光沢にねばりのようなようなものがある。
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雑誌スピンで紹介されていた本。
昭和時代の旅話なのに、なぜかむしろ新鮮に感じるし、この時代の電車旅を羨ましく思う。
そういえば、若い時に小海線で清里に行ったことを思い出したが、どういう経路か全く思い出せず、今はその通りに電車ではいけない。
若狭の水、今でも美味しいのか同じ旅をしてみたい。
昔からこの先の旅の郷愁まで、いろいろと想像を巡らせる良本に出会った。