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仕事中の人間関係にしんどさを覚えて読んでみた。読んでから振り返ると、自分は言われたことをやる視点しかなく、道具としての視点しか持っていなかったなぁと思われた。相手の立場から何を求められているか考え、自分から仕事に対して何ができるかを積極的に実行し、自分の意思で仕事に打ち込みたい
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●適応課題とナラティブ
適応課題とは、向き合うことが難しい問題、ノウハウやスキルでは解決ができない複雑な問題。この適応課題は、組織と組織、人と人との関係性に起因する。適応課題が見つかったときに関係性を改めるためには、ナラティブを見つめなおす必要があるとあります。
ナラティブとは、「解釈の枠組み」とありますが、ちょっとわかりにくい。。なんとなく、自分側から見た一般常識、前提、考え方、相手のとらえ方、といったことだと理解。このナラティブが、相手と自分とで異なっているために適応課題が起きているので、相手を理解し相手の立場に立って考えることだ大事だよ、というお話です。
●上司と部下、それぞれの視点で見たナラティブ。
特に上司と部下というパワー関係にある場合のナラティブのところが役立った。部下が持ちがちな、弱い立場ゆえの正義のナラティブ。「会社が変わらないから」「上司が頭が固くて」のように、立場が上の人を悪者にしがちであると書かれています。
一方で、権力が生み出すナラティブもある。権力は思っている以上に深い溝を生み、対等な対話を阻害する(腹を割って話そう、では、腹は割れない)。組織都合での主体性をもとめても、メンバーは主人公になれず主体性を発揮しにくい。
このあたりは、身近でも感じ取れることで納得。
ナラティブの難しいところは、こちら側から見たときの溝と、相手側から見たときの溝の深さは同じではないということ。自分では相手のことを理解できたと思っていても、実はそうでもないかも、と疑うことが大事ではないか。逆に、自分から相手がどう見えているか、こちら側のナラティブを開示することも、問題解決につながるのだろうなと思った。
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audibleにて再読
これまた相手の心を理解して擦り合わせる
って事なんだね
自分の事は一旦脇に置いといて(準備)
相手をみて(観察)
相手がやりたい事、自分にしてほしい事を理解し見極め(解釈)
行動、または交渉(介入)
そこにオプションとして、
共通の成果を設定し、新しい取り組みを盛り込んでいくこと
鴨頭さんも言ってたビジョンってやつだね
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副題に「組織論」とあるが、経営学でいうような事業部制なのかファンクショナル組織なのかといった組織構造に関する組織論ではない。「組織とはそもそも「関係性」だ」という意味での組織構築のための実践、具体的には対話、について論じた本になっている。
著者によると、対話とは、「新しい関係性を構築すること」だという。新しい関係性はお互いの事実の解釈の枠組み=物語、つまりナラティブ(narrative)、の再認識と再構築の作業に他ならない。組織においては、既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な課題が常に発生する。そのような問題は「適応課題」(adaptive challenge)と定義され、一般に四つの型 ー ギャップ型、対立型、抑圧型、回避型 ー に分類される。
著者の立場は、このような適応課題を解決するためには、ナラティブ・アプローチが必要であると説く。相手の発言の立場と背景=ナラティブを理解すること、つまり自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すこと、が必要である。そのためにまず、「お互いにわかり合えていないことを認めること」から始め、「互いに分かり合えていないということを受け入れた上で、「知識の実践」を行うしかない」という立場を取るのである。このことを端的に表現するのが副題の「「わかりあえなさ」から始める組織論」である。
ナラティブは相対的で、絶対的に正しいナラティブはない。それが前提だ。課題の解決は、お互いのナラティブの間に溝があることを認識し、その溝に橋を架けることができるかどうかにかかっている。本書では、そのためには次の4つのステップが必要だという。
①準備「溝に気づく」
②観察「溝の向こうを眺める」
③解釈「溝を渡り橋を設計する」
④介入「溝に橋を架ける」
まず、第一に溝があることに気づくことが重要になってくる。特にギャップ型や回避型の適応課題の場合にはまずそこに溝があることを正しく認識することから始めないといけない。溝を埋める作業は相互的だ。一方的に溝を埋めていくようなやり方は適応課題においてはうまく働かない。
社内でこういった溝がある事例として、インセンティブの異なる事業部間の溝と新しい提案を行う際の上司と部下の溝が紹介される。どちらも、実際の組織の中でよく見られる対立である。社内であるがゆえに、忖度や追従といった避けるべき罠が存在する。
異なる事業部間の溝は単純であるがわかりやすい例である。組織として何を重要だと考えているのか、つまりお互いの内部のナラティブの構造が異なっているのだ。双方のナラティブを理解した上で、上位の会社にとって何が重要かと考えるといったような対話を通して橋を架けていくのだ。そこに必要なのは謙虚さと熱意だ。そうした対話を通して、適応課題は技術的な課題になり、曖昧さから明晰さへの移行ができることになる。その先には、「会社の中には何かをやるためのリソースが実はたくさんある」ことがわかる。これが見えないのはナラティブの硬直化がその原因なのである。この辺りは、実態に沿って考えてみても十分に説得力がある。
上司と部下の間の溝の事例もま��よく見られる問題だ。これだという提案を上司に反対される場面は当たり前のように必ず出てくる。それを上司の無能による無理解や、リスク忌避の態度によるものと取り、それを批判することも多い。しかし、そこで「上司には判断できないだけの何かがあるはず」と認識することは、重要なことだ。上司のナラティブを理解し、自らのナラティブとの間の溝を見つけて、そこにいかに橋を架けるのかを考えるという次のアクションにつながるからだ。少なくとも単に周りに愚痴をぶちまけるよりは建設的な心構えだ。
ここで著者からの印象的な指摘は、立場が上の人間を悪者にしておきやすい「弱い立場ゆえの「正義のナラティブ」という罠に陥りやすいという指摘だ。これを罠というのは、ひとつはこういった場合に実際的な問題として「自分のナラティブに即した正論はほとんど役に立たない」からであり、もうひとつは絶対的に正しいナラティブはなく上司のナラティブを無視することで先に進むことが難しくなるからである。その場合、橋を架ける実践とは、こちらだけの正論ではなく「両者にとっての正論を作っていく作業」を行うのだ。
「大企業病なのは、実は提案を妥協した側も同じであり、そこに加担していることに気がつく必要がある」
自分の提案をよいものだと判断できなかったことを相手のせいにするのではなく、もう一歩踏み込んで自分のナラティブを脇に置いて、上司のナラティブに沿って考えてみることが必要なのである。どちらの立場に身を置いて考えてみても、身につまされる言葉である。
上記の多くの事例にもみられるように「総論賛成・各論反対」というのはどこの組織にいても遭遇する現実である。そこでは、ナラティブのぶつかり合いが起きていることがほとんどである。総論はナラティブとは競合しないが、各論で動くときに初めてナラティブに合わないところが明確化されるのである。
「中立な人間は原理的に考えてもこの世界には存在しません。誰もがそれぞれのナラティブを生きているという意味で偏った存在であり、それは自分もそうだということです」
ナラティブ・アプローチの肝は、相手をこちらの中に引き込むことや妥協させることを目的とするのではなく、何よりも自らの偏りを認めて、だからこそ対話を求めて実践する姿勢を促すことにその目的がある。もう少しくだけた形で言い換えると、そっちにも立場というものがあると思うけど、そらこっちも立場あるからな~、という状況をどうするのかという点において、戦略的な対話でWin-Winの形に止揚したアイデアに辿り着くために心構えとして便利な「ナラティブ」という概念が提示されているのである。
著者は、さらに人材育成について語る。ナラティブが人材育成にも直結するという思いがあるからだ。著者の人材育成についての考え方は、主に思い浮かぶ能力開発とは少しずれた視点を持っている。つまり、「人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公となること」だという。
著者は、仕事におけるナラティブを形成することが疎かになっているのではないか。人材開発=能力開発と考えるのでは足りない。部下のナラティブを仕事に沿ったものとし、上司を含む組織のナラティブに沿うための橋を架けるため���対話としての面談であり、能力開発でなくてはならないのである。
ここで上司と部下の対話におけるひとつの問題点が指摘される。それは、権力の問題だ。
「権力を自覚せずに観察を試みることが観察を失敗させる」
上司には権力の自覚が必要。それは当たり前のことだけれども、無礼講や若手を集めて自由に思うところを聞きたいと言って出てくるものは、必ず関係性のフィルターを通してしか出てこないのである。
「迎合や忖度に留まっていれば、必ず何か「違和感」に気がつくはずです。その違和感、つまり新たな「ナラティブの溝」を定期的に眺めるのも悪くないでしょう」
著者は批判的経営研究という領域の研究者でもあり、本書のベースは社会構成主義という学派の考えに基づいています。社会構成主義というのは「現実は社会的に構成されている」というものであり、その社会の中身は会話である。著者は、「私たちは何を語るかによって、現実を本当に少しづつだけれど、変えていくことができるかもしれない」という思いから、対話によるナラティブ・アプローチをその実践として展開してきたという。
思うに、その内容は実際の会社生活においてよくある傾向が取り上げられており説得力があり、また非常に実践的である。しかし、実践的な内容であることと、実際にそういった行動ができることとは異なる。その理由は、問題には同じ問題はひとつとしてなく、人間関係も同じものはひとつもなく、だからこそ溝も橋も右から左に持ってこれるものではないからである。だからこそ対話の実践が必要なのである。もし課題があるならば、解決に至るまでの道は少なくとも地道に進むべき道なのかもしれない。自分が問題は認識しつつも実践できていないことであることも含めて勉強になる内容であった。
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職場に蔓延する”わかりあえなさ”をテーマにした本。
僕自身”分かり合えなさ”を感じているが、
この言葉が表す事象が起こるのは一人だけでは無理で
分かり合うとは、複数の関係性を基軸にした言葉である。
分かり合えない関係性は
相手を道具としてとらえること。
その関係性を新たななものに変えるアプローチが対話だ。
対話は相手の中に自分を見出し、自分の中に相手を見出すことであり、それは相手の中の「ナラティブ」を理解することで可能になる。
自分が常識と思っている「ナラティブ」から一度脱却し
分かり合えることを享受できる人間に成長していきたいと思った。
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1番心を打ったのは、補足と思われるパートだった。
まとまった確かなものではなくても、理想はきっと自分の心の中にあって、だからこそ皆悩むんだ。理想と現実とのギャップを埋めるのは困難で、諦めることが当たり前になる。だからしんどい。面白くない。
でもそれは、常に誰かに諦めろと言われている訳ではなく、諦めないといけないんだと、環境に刷り込まれているだけなのではないか。
ああ、立派なものではないけど、私が理想としているものがあるんだ。そう。あるんだ。それを悩みながら諦なきゃいけないって思い込んでるんだ。
そう思ったら涙がでてきた。
自覚したことで、これからの取り組み方を変えられるかもしれない。
(本題の内容も参考にしたい内容ばかりでした。)
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職場で度々起きる「正論を言っているはずなのに何故か伝わらない」という状態。この問題に物語学のナラティヴの概念を導入することでアプローチした一冊。昨年から中間管理職になりマネジメント業務が増えてきた自分には非常に参考になった。自分のナラティヴを脇に置き、溝に橋を架ける。一見すると当たり前のことが書かれてる気がするってことは大切なことが語られているということだ。
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憤りを感じたりして、誰かのせいにしたりしているヒートアップしている自分の頭に、冷たい水をかけてくれたような感じだった。人間関係を冷静に見つめ直すのにも、良いきっかけをくれる一冊だと思う。
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大変「身につまされる」内容でした。。
僕はかなりナラティヴの溝が深い人間でして、だからこそ、いろんなところで誤解うんだり、ぶつかったりするのですが、本好きの仲間が良本として薦めてくれた本を読むのは何より楽しいですね。
ナラティヴに関しては「その人たちが置かれている環境における一般常識」とか解釈とか価値観とかそんなところ。『おかれている環境』というところがキーワードであって、その環境が異なれば見え方も考え方も異なる、そうした「わかりあえなさ」から始めるから対話が必要、と。
こっちの正義はあっちの云々という歌でもないですが、当然立場や見え方が異なれば、平行線のまま。 いかに自分のナラティヴをいったん横に置いておいて、相手のナラティヴを観察し、橋を架けることができるか?
うーーん、かなり「私」と「それ」的な対応をしてしまうし、正義は勝つとこちらの価値観を押し付けてしまおうとすることも多分にあるし、さらには立場が上の人間を悪者にしておきやすい「弱い人間だからこその正義のナラティヴ」(自分を正当化して逃げる)だし、本当に
『自身のナラティヴの偏りと向き合うこと』
を必要、と思わされる良本でした。。(極めて反省)
すでにいくつか抜粋してしまってますが他にも引用
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相手にも相手なりに何か事情があるのかな、見えている景色が違うのかな、と想像してみる。客観的に眺められるように。 相手のナラティヴにおいても意味があるようにするにはどうしたらよいかを考える必要があり、これこそが解釈なのです。
「両者にとっての正論を作っていく作業」
やるべきことは、冷静に橋を架けていくことであって、相手に必要以上の期待をしている自分を眺めてみると、やれることがもっとあったと気が付けるはずです。(上司たちが抱える心配をよく観察し、正当性の確保をする)
基本は権限を持った人のナラティヴを観察し、彼らが判断することができる状態を作ること。
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うーーーん、勉強になります。。
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本文中では状況や背景を「ナラティブ」と表現している。
自身のナラティブとその正しさをぶつけ合うようなコミュニケーションを避け、相手を観察し、理解し、ナラティブに向き合っていくことこそが対話であり、組織を前にすすめるための手法であるという強いメッセージ性があった。
直前にネガティブ・ケイパビリティを読んでいたが、他者との向き合い方という点では近しい思想を持っているように感じる。
おわりにの中で語られるエピソードは重く、そこから紡ぎ出される「人間は弱さから逃れられず、自分もそうであったかもしれないということを認知する」という覚悟もまた重い。
伝わらなさを感じる人が読むと、様々な気づきを得られるだろうなと思った。
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組織の問題は複雑化しており、技術やリソースだけではな解決できない「適応課題」が増えている。その適応課題については「対話」が有効。
組織とはそもそも関係性であり、対話は「新しい関係性」を築く事。
対話は「自分の中に相手」を「相手の中に自分」を見出し、実践する事で自分の助けになる。
対話をはじめるにあたって「分かり合えていないことを認める」ことからはじめる必要がある。
ナラティブとは「物語」。解釈の枠組みを指す。
準備→観察→解釈→介入のプロセスで新しい関係性が構築されていく。
自分が相手を「分かってくれない」と思ったときに自分は相手の事を「分かろうとしているか?」この視点が必要だと思いました。
一方的な思い込みは視野を狭くさせ、課題と向き合う事を無意識に避けてしまうのかもしれません。
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*この本から学んだこと
→適応課題の解決方法は
対話(=新しい関係性の構築)である。
自分の枠組みと
相手の枠組みは違う。
だから
自分にとっての
正論があるように
相手にも
相手の正論があるんだよね。
それなのに
「正しい説明という暴力」
という言葉でも表せるように
わたしたちは自分の正論で
相手の正論を
変えようとしてしまいがち。
だからまずは
自分の正論を脇に置いて
自分の中に相手を、
相手の中に自分を見出していく。
自分の考えか
それとも相手の考えか
じゃなくて
『相手も自分も』を
目指していきたいね(*´-`)
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正直に言って、組織人として生きていれば当然分かっているようなことばかり書かれていて、なんでこんな本が持て囃されているのだろうと疑問に思ったので星1つにした。
読了直後はそれくらいしか感じるものはなかったけど、時間をおいて、本の需要というのはそういうことなんだろう、と反省(評価の星の数は変えないけど)。
自分としては分かりきったことでそれ自体は価値ではないように思われることが、多くの人にとっては価値ある気づきにあたる。それを抜き出して分かりやすく提示する、というのが、自分のノウハウをニーズに当てはめるということなんだな。
それがなんなのか、知りたい。
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よく見ている中原淳さんのブログで紹介されていて手に取った一冊です。
面白かった!読んでよかったです。
問題は(狭い意味で)合理的に発生する。
ギャップ型、対立型、抑圧型、回避型の4タイプがある。
ナラティブを理解し、溝に橋を架ける作業。
いかに自分が自分の役割や立場でしか物事を見てないかがわかりますし、だいたい問題となるのは、人と人、組織と組織のすれ違いや分かり合えなさから発生している気がします。
溝に気づいて、景色を変えて、橋を架ける作業を行う。
とにかく的確な対話ができるようになりたい。
自分の視点だけで仕事を進めないようにしたい。
問題解決のときには、この本の考え方をとにかく意識していきたいと思います。
また読み返したい一冊です。
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仕事でも普段の生活でも、自分の意見が受け入れられなかったり、相手の意見が理解できないことがあります。
本書でその意味と解決策を教えてもらえた気がします。
人は皆、弱さを抱えている。並走する「対話」の実践学。