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ジャン・プルーヴェは建築士が免許制度に移行する前に、鋳鉄職人から工務店経営から建築設計へキャリアを移しながら、2度の大戦で傷ついたフランスのために、貧しい人が豊かに暮らせる住宅を、製造方法から構想し、実際に築いた人。生涯建築士の免許は取らなかった。
自社工場の資本による乗っ取りにあったり、高等教育機関で教鞭を取りながら、さまざまな建築を手がけるが、彼の代表作は、表紙にあるような鉄骨ラーメン構造+木造の低層プレハブ小屋なのではないか。ここに彼の哲理の集成があるのだと思う。
一方で、あのポンピドゥーセンターのコンペでレンツォ・ピアノのプランを引き上げたのもまた、プルーヴェ。そこになにか地続きな哲学がある。あの配管むき出し、機能が外装意匠を兼ねるという手法に、装飾性を最優先とする同時代の虚飾建築へのアンチを見たのかもしれない。
また彼は、技術の人、工法から構想する人であり、アンビルドが当たり前になった現代のデジタルツールによる設計全盛の現代とは対抗にいる人だ。技術的・素材的制約のある地方建築においては、彼の思想が今も真理に近いように見える。もともと鋳鉄職人ということもあり、自分にとって手ざわり感のある設計を最後まで追及したように見える。
この自身の半生を語ったインタビュー、そして後半の自作の解説とものづくりの哲学のエッセイをまとめた前後半それぞれのパートを読んでいくと、この人のものづくりの原動力だったものがはっきり見えてくる。
1901年に生まれ、2度の対戦を経験して1984年に亡くなったジョン・プルーヴェは、第2次世界大戦終了時は44歳。焦土と化したヨーロッパ、フランスの中でそこから復興と経済成長、伝統工法ではまったく住宅の生産が追いつかない。人々が生きていくために高効率な構造、生産手法で作られた量産型住宅が強く求められた時代。
鋳鉄職人という出自を生かして、さまざまな独自の金属製の建築部材を発明し、これを反復して構造を立ち上げる手法。バックミンスター・フラーとも通じる水回りをまとめた「コア」をプレファブして現場に持ち込み、これに屋根と壁をかけて単納期で住宅を量産する。
彼は、戦後の経済成長と都会への人口集中のフェーズに求められた手頃な住宅の量産、これに人生の大半を捧げている。今でこそデザイン家具として彼の家具は、スイスのVitra社から高級品として販売されているが、どう見ても彼の作品は耽美な工芸作品などではなく、その多くは元は力学的に破綻の起きないように「丈夫であること」と「量産性」を最優先に据えた民衆の家具だった思う。
戦争は悲惨だし、あるべきではない。戦後の惨事便乗型経済、いわゆるショック・ドクトリンのための戦争などはもってのほかなのだが、戦後にはこれをなんとか復興しようという使命感を持った、圧倒的なエネルギーを持った作家がさまざまな分野に生まれていることは事実。
日本でいえば、丹下健三、前川國男、黒川紀章、ジャン・プルーヴェもそのあたりの歴々と行動原理はそろっていると思う。強烈な使命感をそれぞれの仕事から感じる。
さて翻って2020年、ものはあふれ、住宅は飽和し、資本主義は戦後復興の栄華の先のある極点に達したように見える。そこで生きる私たちに求められているものは、プルーヴェが生きた20世紀から当然、まったく変わってしまった。
今日び建築家に求められているのは、物体としての構造物の新奇性ではなくて、土地の文脈のなかでそれを建てた後に、その構造(建造物に限らない)がコミュニティの中でどのように受容され、暮らしにどのような好循環をもたらすかを表現したストーリー、身近な暮らしの中における関係性を描く力、これを社会やクライアントに伝えるコミュニケーション力、そんなものが重要視されている(と思う)。
ジャン・プルーヴェは確かに戦後の復興経済をたくましく生き抜いた人で、その熱は量産加工のための構造技術の体系として残された。そこで生み出されたものと手仕事の間、ちょうどいいバランスのものが、現代的なものづくりの正解に近いような気がする。メインストリームの技術的進化と、サブカルの美学。これを素材主義(Materialism)でまとめて、昇華させ、適量流通させる。
私たちはいつも巨人の肩の上におり、当世的には否定されているイデオロギーの中で生まれたものであっても、その技術や美意識は、大きなヒントと道標を与えてくれる。音楽家がベートベンがヒップホップ前世の時代に生まれていたら何を書いただろう、と想像するように、ジャン・プルーヴェやバックミンスター・フラーが今を生きていたら何を作っただろうか、という想像をしてみると、そこにはヒューマニズムという大原則が彼らを動かしていたように思える。
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貧しい工場労働者のために、そしての二つの世界大戦を通じて住まいを失った庶民のために、プルーヴェは建築の工業化による大量生産によって、生きていくためにみんなが今すぐにでも手に入れたかったものを安価で提供した。このように必要から生まれたもの、欠乏がもたらしたもの、それらは機能を全うしたばかりか美しい製品となった。
p.10
今日の若い建築家は、建設不可能な設計に大方の時間を費やす。それは耐え難いことだ
p.34
ものをつくるには労働力と原料が必要であり、これに諸経費、社会保障費、減価償却と投資回収を加えなければならない。その投資回収の資料を基にして、多くの会計士は収支計算を操作する。
p.37
社長であるじゃん・プルーヴェは、利益の配分を受けず、自らに職人頭と同額の給与を定めた。
p.40
家具は、製図台の上では創作できない。プロトタイプをつくり、それを修正してゆく工程が必要だーー一人ではなんもできないのだ。それは家具の制作という目的のもとに集まった異なる人たちのあアイディアの交換のたまものだから。
p.44
建築は自己弁明しない、文学に変換できない、言葉の波に乗らない。もし、本当に分かり合えなければ、説明に時間をかけて時を失う必要はない、理解し合えないから。この問題は生涯の終わりまで付きまとっていて、人生という巻物の末端にある僕は、正しいのは僕なのか彼らなのかと自問する。それに付け加えれば、ここ十五年以来おしゃべりな建築が目立ってきた。そう、それは一九六八年以来のことーー
p.134
「こんな風な、あんな風な家を建てよう」と形だけを想像しながら製図台に向かうべきではない。僕はこうしたやり方を想像したこともなかった。逆に「どのようにしたらこの建築は実現できるのだろうか?」といつも疑問を投げかけながら建築に対峙してきた。建築家が会員として帰依する建築学会という宗教は構築家ーー構想し築く人ーーの哲理を好まない。建築教育はこうした方向に建築家を導かなかったし導かない。彼らはだまされたと思う。彼らの建築へのヴィジョンは、フォルマリストであり装飾的である。
p.135
空想上の設計を断じてはならない。進展とは事実が検証されて初めて、一歩の前進ができるから、検証のみが進展を推し進める。
p.145
曖昧であること、すぐに妥協すること、流行に振りまわされること、そういったことが、仕事仲間を分裂させる原因となるのです。
p.162
みんなのために、毎日のために美しいものを建設すべきである。
p.236