紙の本
窓から見えるもの
2011/11/04 08:15
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「小さな窓から見える この世界が僕のすべて/空の青さはわかるけど 空の広さがわからない」というのは松山千春の「窓」という楽曲の歌い出しだ。
松山千春には数多くのヒット曲があるが、この「窓」という歌は好きだ。
「この窓をひらいて 自由になりたい」と唄ったのは随分と若い頃だが、何故かその当時は大人たちが自由で、若者は不自由だと思い込んでいた。だから、窓を開くというイメージが心の開放感を表しているようで、強く惹かれたのだと、今なら思える。
「百年文庫」26巻めの表題は『窓』。心にはめ込まれた窓が遠い世界へとつながる四篇、遠藤周作の『シラノ・ド・ベルジュラック』、ピランデルロの『よその家のあかり』『訪問』、神西清の『恢復期』、が収めれれている。
なかでも、さすがに遠藤周作の『シラノ・ド・ベルジュラック』は秀逸である。
遠藤はカトリック作家として神をテーマに重厚な作品を書き続けた。自身その研究のためにフランスにも留学し、その地でも見聞や知識が芥川賞を受賞する『白い人』を生むきっかけになった。
この『シラノ・ド・ベルジュラック』も留学の経験が作品のなかに織り込まれている。
主人公の私はフランスに留学している日本人。そこでかつてリヨン大学で修辞学の講師をしていた老人と出合い、フランス語の個人レッスンを受けることになる。その老先生にはかつて妻を寝取られた暗い過去があるだが、そのことを語ることはない。ある日老先生の部屋で戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』のモデルの手記の写本を見つけたことをきっかけにして、私は息がつまるような老先生の生活に踏み込もうとするのだが。無知なるものの残酷がみごとに描かれて、胸につきささる鋭利な刃物のような作品である。
ピランデルロという作家は今回初めて接した二十世紀初めのイタリアの書き手だが、二篇の短編のなかでも『よその家のあかり』は官能的な雰囲気に満ちた作品といえる。
窓から偶然にのぞきみた隣の家の団欒。やがて主人公はその家の奥さんに魅かれていく。そして、二人は禁断の恋におちるのであるが、ラスト、妻であり母である人のいなくなった隣家をみつめる主人公たちの悲嘆が切ない。
神西清は翻訳家として名声のある作家。収録されている『恢復期』は闘病生活をしている少女の心の動きを描いたもの。活発に動けないゆえに、少女は心の窓を開こうとしている。
窓から見える青い空。その空の広がりをどこまで実感できるようになっただろうか。
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遠藤周作と神西清の作品が素晴らしい!特に神西清の「恢復期」。サナトリウム文学というのだろうか、物語内容は違えど、どこか「斜陽」を思い起こさせる作品。日本人作家の作品に比べるとピランデッロの作品はかなり読みにくい。平仮名と漢字の使い分けがどうかと思う。著者名も「ピランデルロ」だし、母親と娘を終始「かれら」と訳してるあたり、翻訳に問題があるように思えてならない。
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シラノ・ド・ベルジュラック
日本人の「文学とは人間の真実を追究するもの」という意見に対して、フランスでは「そんなものは宗教がやってくれる」という反論に納得した。(P39)最後の先生の言葉が、先生が唯一見せた感情だと思う。(P41)
よその家のあかり
よその家のあたたかいあかりで人間性を取り戻したのに、よその家のあたたかいあかりを奪ってしまったのは悲しい。
訪問
難しい。
恢復期
幸福ではなく平静というのが印象的だった。(P102)
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ピランデルロ「よその家のあかり」は絶品。神西清「恢復期」も、乙女の日記にしては明晰すぎる気がするが、爽やかでいい。
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初読、『百年文庫』シリーズ。
一冊一冊、単漢字のタイトルが付いていて、その字にちなんだ短編文学作品が幾つか収録されている、というスタイル。
短編ゆえに重すぎず、読みづらそうな古典文学でもとっつきやすいのが◎。
それでもやはり純文学、一つの文章をじっくりイメージしながら解読していくように読まないと先に進めない。これぞ読書!という読書体験をさせてもらいました。
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ピランデルロ『よその家のあかり』
もう二度と自分が手にすることは出来なくなってしまったものは、なぜこうも美しく切ないものなのか。
他の作品も読んでみたくなりました。
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遠藤周作「シラノ・ド・ベルジュラック」、主人公のの心情を表す鋭い表現が印象に残った。ビランデルロ「よその家のあかり」「訪問」読者のまぶたに情景を描かせる文章。神西清「恢復期」療養中の主人公が感じた自分の変化。自分が気付かない変化をよく文章に表せるものだ。
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遠藤周作『シラノ・ド・ベルジュラック』
ピランデルロ『よその家のあかり』『訪問』
神西 清『恢復期』
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『シラノドベルジュラック』遠藤周作
人間観察を好むいやな主人公のはなしだけど、小説自体はなぜかそんなきらいじゃないな。
シラノって、聞いたことある。戯曲、有名なんだな、読みたいな。
『よその家のあかり』『訪問』ピランデルロ
明るい向かいの家を見つめる。死んだ女の訪問、白い胸元。二作ともいまいち
『恢復期』神西清
日記形式はどうも好きでないよう。
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「シラノ・ド・ベルジュラック」
まさに「学者」といったウイ先生。
文学はレトリックである。
純粋に文学を味わうためには、作品の言葉のみを素直にかつ正確に受け入れていくべきだ、ということなのかな?と思った。
私も、作品の時代背景や作者の人生・人柄、事実も加味して作品を味わいたい、と思ってしまう。
そちらのほうが、より深く作品を感じることができるように思うからだ。
先生自体が、作品のような存在だ。
それだけで完結していて、生活の雑味がない。
それでも、裏には血の通った人間の苦しさを秘めている。
面白い作品だった。
「よその家のあかり」
幸せな家庭を、よくわからない男のために捨てるか?
しかし、それが恋なのだろう・・・
この男も、幸福な家庭に憧れてのぞき見をしていたのがきっかけで、女に恋をしたのに、結局はその幸福な家庭をつぶしてしまう、なんて。。。
自分たちの部屋を、男がのぞいていたら、普通は気持ちが悪い。
なのに、恋に発展させるなんて、宿屋のおかみさんと娘さんは、どんな話をしたのだろうか。。。
多分、事実を率直に伝えたのだろうけれど。。。
少し不思議に思うことはあるものの、全体としてはなんだかリアル、とも感じられるお話だった。
ニンゲンって、不思議だもの。
「訪問」
なんじゃ、こりゃ。
幻想的すぎて、雰囲気しか入ってこない。
しかし、最後の女性の言葉が、ややはすっぱすぎて、それまでの上品で美しいイメージが崩れる。。。
訳が悪いのかもしれないけれど。
幽霊と思い出の融合か?
この作品は「窓」の役割が弱いように感じるのは、きっと私の読みが浅いからなんだろうな。
「恢復期」
熱にうなされた頭の中や、混沌とした様子を描いているのだろう。
読み進むにつれて人物の設定が見えてくる。
しかし、全体を通して、非現実的な感じがして、感情移入しにくい。
しょっちゅう感じるのだけれど、男の描く女性には、違和感がたっぷりだ。
男の妄想、という風に思えてしまう。
そのうえ、気どった文章のように感じた。
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遠藤周作『シラノ・ド・ベルジュラック』
巻末解説を呼んで、この人テレビドラマにチョイ役で出たりしていたなあと思い出す。フランスに行っていたのか
ピランデルロ『よその家のあかり』『訪問』
不思議な作風だ。覗き見・胸元チラ見えがそれぞれ主題
神西清『恢復期』
思わせぶりというか何というかよくわからん。百合さんとお父様
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遠藤周作のシラノ、実在したシラノの手記とその研究者、そしてその私生活を眺める「私」という入れ子構造で語られる生活と文学。39/100