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図書館で借りようとしたら、1が貸出中だったので、
やむなく100から読むことにしました。
百年文庫100のテーマは朝。
田山花袋『朝』(1910)、
李考石『そばの花咲く頃』(1936)、
伊藤永之介『鶯』(1938)
の3篇が収録されています。
田山花袋の『朝』はそのものずばり、朝の空気を感じます。
長男が東京で職に就いたのをきっかけに、一家は東京へ移り住むことに決めます。
数日間かけて舟で上京するのですが、東京に着いた日の朝は、初めて見る景色に少年たちが目を輝かせている様子が分かるようで、希望が感じられ、こちらまでどんな新しい生活が待っているのだろうかといろいろな可能性を想像して楽しくなってしまいます。
李考石『そばの花咲く頃』は朝鮮の短編。
行商で各地を巡る男たちの話です。
登場人物たちの名前の読みを覚えるのに苦労しましたが、後半、奇跡的なつながりが見え隠れしたところで、ものすごくどぎまぎしました。
伊藤永之介『鶯』は、昭和初期のザ警察24時。
ある警察署の1日を追ったようで、いろんな人間たちが訪れます。
昔連れ去られた娘を探してほしいとおばあさんがやってきたり、常習犯、鶯を売りに来た女、産婆、陣痛の始まった妊婦、と本当に様々な人間が、罪に問われたり、警察に助けを求めたりで訪れます。
さらには、様々な人間模様がつながったりからまったりで面白く楽しめます。
“朝の来ない夜はない”という希望が感じられる3篇でした。
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うーん!ちょっと物足りなかったぁ…
伊藤永之介の「鶯」はすごく演劇的で、田舎の新喜劇・ギャグ抜きって感じがした。
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田山花袋「朝」(1910)。北関東のいずれかから、家族そろって舟での引っ越し、何人もの便乗者。幾晩かを船上で過ごし東京へ出る。
李考石「そばの花咲く頃」(1936)。市を巡る行商の男が人生たった一度の若い日の良き思い出を回想する。不意に一緒に巡ることになった若者の身の上話に思いを馳せる。
伊藤永之介「鶯」(1936) 。秋田の県庁所在地から汽車で2時間というから大館あたりだろうか、その田舎街の警察署が舞台。借金のかたに自分の子供を女工に身売りさせたり年季奉公に出すような話が普通にある。売られた娘を探す老婆、鶏を盗られたと駆け込んで来る者あり、売られそうな児童を護ろうとする小学校の教導。警官たちは、闇坊主や、礼金もなく働く闇産婆の医療行為を質したり、そうこうしたうちに産気づいた女が駆け込んでくる。日本が現代につながるような生活をするようになってほんの少ししか経っていないことを気づかされる。
どんな時代でも、子は生まれ、生活があり、悲喜こもごもの人生がある。
三編ともに苦しいながらも一縷の望みと救いがある。
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「朝」
東京に行けば楽になる、そんなものではないのだろうという予感が、文面から立ち上ってくる。
それでも、この家族にとって月給取りになった息子との生活は、経済的なよりどころでもあり、希望でもあるのだ。
新しい生活が始まる朝、船の上から東京を見上げる2人の兄弟の姿をかわいく感じるとともに、頑張って生き抜け、とエールを送りたくなる。
「そばの花咲く頃」
これは、親子の可能性が・・・・
堤川でのドラマが想像できて、なんだか柔らかく静かであたたかな希望の光が見えた気がした。
そんな偶然って、ある?
「鶯」
なんとも忙しくてにぎやかな警察署だ。
ニワトリを盗む人、お金を使いこんでしまう人。
みんなどこか切ないようで、滑稽で、笑ってしまう。
てんでばらばらのような訪問者たちだが、その関係を繋ぐ糸が見えてくるラストが印象的だった。
タイトルは鶯。
貧しい中、日々を生きる人たちの希望や運や、はかなさを象徴しているような気がする。
幸せの青い鳥、か。
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『必ず訪れる夜明けに、希望の光を見出す人達の物語』
生活の糧を求め汽船で東京へと向かう一家の旅立ち【朝】
そばの花咲く月夜の出来事、明かされる事実とは【そばの花咲く頃】
朝から晩まで忙しい田舎の警察署の様子を描いた【鴬】
どんな状況でも、必ず朝は訪れる!希望の朝が…
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どれも庶民の群像のある時間を切り取ったスケッチ的な小説である。田山花袋『朝』に出てくる隣家の爺さん、李孝石『そばの花咲く頃』の一夜の契りとその種であることをにおわせる青年、伊藤栄之助『鶯』では冒頭の婆さんと産気づいた家無しの母親など、印象に残る。67/100