機甲師団の創設者
2020/03/07 11:30
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
新しい兵器が開発されると戦争方法も改良される。戦車が発明された第一次世界大戦時には、選書は歩兵の補助兵器でした。しかし、第二次世界大戦では、進歩した戦車が主となった。戦車だけで師団を創り(機甲師団)、その速度に歩兵が追いつけるよう自動車化をした。それが、ドイツの電撃戦を可能にしたのだ。
これでもまだ甘い
2021/06/03 23:43
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ケストナーの終戦日記」に書かれているグデーリアンについての記述は、彼の回想録に書かれているラジオ放送と同じなのは明白だ。グデーリアンが「悪魔の人焼きかまど、ガス室」という言葉を使ってまでして、強制収容所の犯罪を否認したにもかかわらず、ダイペンホーフ略奪で肝心な事を書かなかったのと同様、避けているのは「『悪魔の人焼きかまど、ガス室』は捕虜になるまでは知りませんでした」というありきたりの弁明と矛盾するのはあるだろう。勿論、陸軍参謀総長という立場でのラジオ放送で「ユダヤ人問題の最終的解決」を認める事は出来ないとしても。
極度の自己チューのリデルーハート卿のような人物ならば、自らを高める為には連合国側が傍受していたはずの放送と矛盾した内容であっても無視するだろう。このグデーリアンとリデルーハートのお粗末な人格を象徴するような出来事に触れないのは、著者は「ケストナーの終戦日記」を読んでいないのだろう。
「兵士というもの」の訳者あとがきを連想してしまう。
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帯にある「電撃戦は無かった」が、グデーリアンの著書の「電撃戦」が都合良く編纂されていることと、ドイツ軍のドクトリンに「電撃戦」なるモノは無かったのダブルミーニングだったとは。うまい帯を着けたものだ。
それにしても、グデーリアンの萌芽ロンメルよりも余程「伝説」と「実像」の乖離した人物であったとは意外であった。そりゃ、誰でも自分を良く見せようとはするものだけど。
優秀な作戦指揮官止まりはともかく、国粋主義的なプロイセン軍人の典型ってのはなあ。
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「独ソ戦」以来「ロンメル」、「グデーリアン」と
きました。
本書のあとがきにもあるように
偶像破壊や受けを狙った奇矯な新説の提示などではなく
欧米諸国の研究の成果をもとにした現代の定説を
紹介しているとのこと。
続くであろう「マンシュタイン」も楽しみ♪
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第二次世界大戦における「電撃戦」で欧州を席巻したドイツ装甲部隊の生みの親と呼ばれるハインツグ・デーリアン将軍の評伝。
前作のロンメルの評伝と同様、様々な脚色によってゆがめられた「グデーリアン像」に対し、ファクトをベースに実際の姿をあぶりださんといているのが本書の大きな特徴だと思います。
ロンメルの場合、周辺の人々の様々な思惑が脚色されたロンメル像を形作った(ロンメル自身は1944年に服毒自殺を遂げているので当然なのですが)のに対し、グデーリアンの場合は自身がこれを意図した点がロンメルとの大きな違いでしょう。
彼の回想録には、自身の手によって画期的な装甲戦術が編み出され、暗愚な上司の無理解に悩まされながらも装甲部隊創設を成し遂げ、戦中では多大な戦果を挙げたものの、ヒトラーやその取り巻きの無能によってこれが無に帰せられたことが綴られています。
しかし本書を読むと、これらが(嘘とまでは言わないものの)大きく脚色された物語であることがわかります。
構成としてはグデーリアンの青年将校時代から、第一次世界大戦での活躍、戦間期の活動、そして第二次世界大戦と戦後の活動に至る、グデーリアンの一連の歴史経過がたどられます。
その中で大きく3つの(グデーリアンにとっての)「不都合な真実」が語られます。
1つは「装甲部隊(戦術)の生みの親」の栄誉を実際以上に享受している点。
当然グデーリアンもこれに大きく寄与していたことは事実ですが、一方でフォルクハイムやルッソといった優秀な先達が数多く存在し、彼らなくしても装甲部隊の創設はあり得ませんでした。
もう一つは、グデーリアンは巷でいわれるような「政治や人道に中立な軍人」ではなかったという点。
グデーリアンは元来国粋主義的な思想を有しており、第一次世界大戦後に創設された(彼も所属する)武装組織である「鉄師団」は、数々の残虐行為を繰り返します。
また、ポーランドにおける保養地取得に関するマンシュタインの回想では、人道を意に介さないグデーリアンの非情な姿が垣間見られます。
最後は、グデーリアンは優れた戦術眼を有する一方で(ドイツの多くの将星たちと同様に)戦略眼は欠如していたという点。
グデーリアンの戦術眼には目を見張るものがあり、対仏戦での戦術行動は今でも各国軍の模範とされていることが示される一方で、対英戦や対ソ戦では随所で戦略眼の欠如を示す言行が見られることが紹介されています。
本書ではグデーリアンのあまり知られていない経歴(特に第二次世界大戦前)が具体的に説明されているので新鮮です。
また随所にみられる小ネタ(具体的なエピソード)もなかなか面白いですね(たとえばマンシュタインが自身の対仏作戦構想をグデーリアンに評価してもらう際、二人は異なる部隊に所属してたがその司令部はたまたま同じコブレンツに置かれており、しかも二人の宿泊するホテルはなんと隣同士だった)。
ロンメル、グデーリアンに続き、マンシュタインの評伝も予定されているとのことで、それも楽しみですね。
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ドイツ軍は戦略次元においては粗放な思考しか持たなかったと書くがじゃあ徹頭徹尾、戦略次元で動けた国が古今東西見渡して挙げることができるだろうか?ちょっと大戦時のドイツばかり見すぎでは。
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ドイツ装甲師団の機動力の威力を十二分に発揮し、一連の勝利を上げた「パンツァ-・ゲネラル(戦車将軍)」のニックネ-ムをもつグデ-リアンの栄光と零落の生涯を追った『砂漠の狐・ロンメル』に続く大木毅氏の、ドイツ国防軍と英雄神話解体新書。ソ連を打倒し、東方に巨大帝国の建設を政治目標にしていたヒトラ-総統の思惑と二正面戦争への懸念に疑義を唱えたグデ-リアンは、モスクワ前面での敗北により解任された。 プロイセンの大地主の家に生まれ「名将」の誉れをを欲しいままにしたが、自画自賛の『電撃戦』を刊行しこの世を去った。
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レン・デイトンは、その著書『電撃戦』(1989年)において次のように述べている。
「1940年5月、機甲部隊と車両化部隊を集中的に投入して遂行されたドイツ軍によるベルギー領アルデンヌ森林地帯の突破、フランス領ドーヴァー海峡沿岸までの侵攻作戦は、(略)戦史上これこそが唯一のほんとうの電撃戦の例として残っている」
独ソ戦の緒戦まではドイツ機甲師団が縦横無尽に電撃戦を展開していたように妄想していたので、この記述にさえ些か驚いたものだった。
ところが、本書『戦車将軍 グデーリアン』はついに「『電撃戦』はなかった!」とまで言い切ってしまう(帯の宣伝)。さすがに「なかった」というのは言い過ぎのような気はするが、既にグデーリアンの『電撃戦』(原題『一軍人の回想』)の脚色甚だしきは「欧米諸国における(略)現代の定説」であり、ドイツ機甲師団の創設者にして電撃戦の立役者であるという赫々たるグデーリアン像も揺らいでいる。
それではどこまでが事実でどこまでが演出なのか。著者は、最新の研究成果も踏まえながら、諸資料を照合してグデーリアンの実像を追い求める。それは単なる偶像破壊ではなく、グデーリアンという稀有の人物をドイツ機甲師団の歴史の中に正しく位置付けることになるだろう。