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目的:
資本主義的思考とはどんなものか理解するため。
資本主義とは異なるビジョンの参考にするため。
要旨:
マルクス『資本論』の解説書という位置付けでありながら、平易な文章で経済学を専攻していない人にも、読みやすいものになっている。マルクスの本質を理解しようとする人におすすめ。
感想:
内面化に関する記述が面白かった。最後には、新自由主義は資本主義文化の最終段階であり、その特徴は、「人間の思考・感性に至るまで」の包摂であると述べられている。
「自己責任」や「こういう人生出なければならない」などの固定観念や規範が、私たちの奥深くまで浸透していることが、現在のシステムからの移行を難しくしているし、固定観念や規範に疑問を抱くことを難しくしている。
この考えからの脱却するために、筆者は、ベーシックな感性に立ち戻ることの必要性を訴える。おいしい食事など、生活レベルの低下に対して、「NO」と言えるかが必要という。
本書は、資本主義社会を打破するための行動(革命や階級闘争)をすごく意識しているため、感性を元にした行動はいわゆる中間層の中でも生活が厳しい部類の人に限られると考えられる。果たして行動を起こすための労力や時間が残っているのだろうか。結局、そんないい結論ではなかったように思った。
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貨幣を経由した商品交換の良いところは、後腐れのないところ!家族の間では、後腐ればかり。。。
現代のキャッシュレスの流れは、全ての履歴が残ってしまうので、資本論に逆行!!
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面白かった。資本主義について考えることは広い意味で生き方を考えることと同じ。資本に呑み込まれないようにするには「人間の基礎価値を信じること」だと著者は言う。この考え方は重要。
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最近ハマっている『資本論』入門書。抜粋されているのを読むだけでも難解な『資本論』、先日読んだ『人新世の「資本論」』もこちらも分かりやすいが、『人新世の〜』が資本主義のもたらす環境負荷に帰結したのに対し、こちらは現代的な資本家vs労働者に重きを置いているように感じる。
最後は、「こんなものが食えるか!」と言えるか、「私はスキルがないから価値が低いです」=こんなものでも食うしかないのか、これがネオリベの価値観に侵されているかどうかの境だと、人間の基礎価値を信じることだと伝えている。著者自身も言っているが、主張としてはやや肩透かしではある。
ちなみに、この前に読んでサッパリだった『資本主義リアリズム』についても言及があり、資本主義に対する代替物を想像すらできないという意識が蔓延した状態と解説してくれている。やっと分かった。。
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つまるとこる、階級闘争、といってもいわゆる共産主義で言うところの革命、ではないように思うが、それによって資本制=新自由主義から自らを引き剥がさない限り、いつまで経っても、結局のところ死ぬまで、資本家に搾取され続ける人生で終わってしまうよということを言っているのかな。
たしかに、もう世界は、アメリカと中国とこの二国が「戦争」をやってどちらがパイを増やすのか、あれっ中国って共産主義ではなかったのか?というのはもう今更愚問なのかもしれないが、結局どちらが勝っても大国が、大資本家が、我々小市民をこれでもかこれでもかと、生産性をあげさせ続けるところに回帰していくものなのかもしれない。
早く、12億くらいの宝くじを当てるなどして、そういう意味で、コンベアーの流れから抜け出てしまいたい。しかしまあ、12億当選なんてことが既に荒唐無稽。返す返すも、幼少のみぎり、駄菓子屋で買って帰った餅菓子の当たりくじを7回続けて当ててしまって、もうおそらく一生分のくじ運を使い果たしてしまったようなのが…
いや、そんな結論に収まっていてはいけない。でも、資本論はやっぱりなかなか手を出せなさそうだなあ…
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悪いのはキミじゃない。資本主義そのものだ!
マルクス「資本論」へのいざない。
その射程の広いこと。現代をクリアに分析できる。
生き延びるために、読むべし。
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生き延びたかったら読んだ方がいい。マルクスといえば共産主義でとんでもないことになると考えてるそこの若いあなた!本当のコミュニズムを知らないんだよ。金に取り憑かれたジジイたち、いや資本主義に、そう教育されただけなんだ。まだ可能性があるから…
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武器としての「資本論」。 昨年出版された際に丸善で平積みされている際の真っ赤なカバーと強いメッセージ性を感じられるタイトルですごく気になっていた本。 気になった瞬間には、ちょっと難しそうだな、と自分の弱さが出てしまって手が伸びなかったのですが、今年のゴールデンウィークまとめ買いの際に改めて購入した本。 難しかったけれど、読んでよかった。
マルクス「資本論」という難しい書籍を、著者独自の観点で解説してくれている本。 第1講 「本書はどんな『資本論』入門なのか」 の部分にわかりやすくまとめられているので、いきなりですが抜粋引用です。
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私なりの『資本論』の読み方、「自分がマルクスから何を学んできたのか」についてまとめてみたいという気持ちがあって、機会を作ってもらうことになりました。
(中略)「『資本論』はこういうふうに書かれていて、こういう議論がされています」と懇切丁寧に、順番どおりに説明をしていく誠実な入門書ということであれば、もちろんいろいろあります。
(中略)ただ「これを読んで、『資本論』を読む気がするかな?という疑問があるのですね。
(中略)そこに私がやるべきことがあるのではないか、と思い至ったのです。 本書で私が「ここが『資本論』のキモです」という話をして、それをきっかけに読者のみなさんにぜひ『資本論』を読んでいただきたい。
(中略)マルクスが創造した概念を通じて見ると、今起こっている現象の本質が『資本論』の中に鮮やかに描かれていることがわかるし、逆に『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラっと変わってきます。
(中略)ですから、「こんな世の中をどうやって生き延びていったらいいのか」という知恵を『資本論』の中に探ってゆく。 マルクスをきちんと読めば、そのヒントが得られるのだということを改めて世の中に訴えていきたい。そう思っています。
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もうここだけ読んだだけで、筆者の熱量が伝わってきますよね。 またこの営みは、こうして読書レビュを継続している自分の営みとも(レベルは違い過ぎますが)なんとなく似ています。 自分が読んだ本を自分なりに咀嚼し、人に読んでもらいたくて発信する。
ひと様が、これで読んだ気になってくれた/省時間化の観点でひと様のためになれたのならうれしいし、共感してくれて当該本の読者になってくれるのなら、それもまたうれしい。 自分のわずかな努力でも、なんらかひと様に影響を与えられ、結果的に世界が良くなる方向へ寄与できるのなら、うれしい。(だいぶ遠謀)
ブレイディみかこさんが課題提起された本をたくさん読んだり、格差社会の本をいくつか読んできたりしていたので、「新自由主義(ネオリベ)」が巻き起こしてきた最近の現状について「それってなんだかおかしくないか? 目を覚ませ」という課題認識にはなんとなくは理解できるぐらいまでは学んできたつもり。
そういう状況で本書を読めたので、やはり、改めて勉強になった、そう思った本。
以下、抜粋引用となります。��あくまで自分が気になった部分の抜粋であること、ご理解ください)
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P55 商品は、交換から、しかも共同体の外での交換からのみ生まれるのだということ、これはマルクスの決定的な発見だったと言えます。
P66 フランスの哲学者ベルナール・スティグレールは著書『象徴の貧困』において、テクノロジーの進歩による「個」の喪失へ警鐘を鳴らしました。肉体を資本によって包摂されるうちに、やがて資本主義の価値観を内面化したような人間が出てくる。すなわち感性が資本によって包摂されてしまうのだ、と。
(中略)人間の感性までもが資本に包摂されてしまう事態をもたらしたのは、とりあえずは「新自由主義」(ネオリベラリズムもしくはネオリベ)である、と言えるでしょう。
P69 日本でも「一億総中流」と言われ、「もう階級なんて言葉は古くなった。いまの日本にそんなものはない」と言われていました。ところが1980年代あたりからその動きが反対側にターンし、90年代以降、格差の拡大が露骨な流れになっていきます。無階級社会になりつつあった日本が、新自由主義化の進行と同時に再び階級社会化していったのです。この構図はもちろん、他の先進資本主義国にも当てはまります。
P71 だが、新自由主義が変えたのは、社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。 制度のネオリベ化が人間をネオリベ化し、ネオリベ化した人間が制度のネオリベ化をますます推進し、受け入れるようになる、という循環です。
P89 マルクスが『資本論』で論じたのは、生産の目的が商品を売ることによる貨幣の獲得になること(形式的包摂)、そしてさらに、生産過程の全体が資本によって組織化されること(実質的包摂)でした。おそらくは「包摂」の概念の射程は、もっと広大なのです。 それは、「包摂」の深化に終わりは設けられないからです。人間存在の全体、思考や感性までもが資本のもとへと包摂されるようになる。
P135 19世紀の工場法を見れば、今回の「働き方改革」のような体制側による労働者の救済措置は今に始まったものではなく、昔からあったことがわかります。それは資本主義のある種の必然であって、あまりに搾取しすぎると、搾取する相手がいなくなってしまって、資本主義は成り立たなくなるのだということです。
P228 東京の都心部全般に言えることですが、とりわけ銀座などは資本主義の極致の街です。資本主義化が進み過ぎて、再生産ができなくなっている。
(中略)そういう街から子供が駆け回る風景が消えるのは、当然のことでしょう。東京都民はそのさみしさをかみしめるべきなのです。自分たちでは自律的に再生産できない、一見華やかに見えて実は破壊的な街、よそから人を盗んで栄えている街なのだということ。その冷厳なる事実を、子どもの歓声が聞こえないという現実によって日々確かめるべきなのです。
P257 先ほど見たように、『資本論』は「資本主義の発展に伴い、独占資本が巨大化し、階級分化が極限化する、それにより窮乏、抑圧、隷従��堕落、搾取が亢進し、ある一点でそれが限界を迎える」と述べています。
さながら今の日本を見ているような表現ですが、「本当にひどい世の中になり、人々がいよいよ我慢ならなくなって、立ち上がり、革命を起こすのだ」ということです。しかし実際には世界の多くの国では、そう簡単に革命には至らない。
P277 資本の側は、「そんな贅沢しなくていいじゃないか」とささやいてきます。「毎日カロリーメイトだけ食べたって、別に十分生きていけるよ」というささやきは、いくらでも聞こえてくるし、確かにそれで生きていけないことはない。
そのとき「それはいやだ」と言えるかどうか。 そこが階級闘争の原点になる。
P279 人間という存在にそもそもどのくらいの価値を認めているのか。そこが労働力の価値の最初のラインなのです。そのとき、「私はスキルがないから、価値が低いです」と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に浸され、魂までもが資本に包摂された状態です。
(中略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。「私たちはもっと贅沢を享受していいのだ」と確信することです。贅沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです。しかし、ネオリベラリズムによって包摂され、それに慣らされている主体は、そのことを忘れてしまう。
(中略)この意思を抹殺したことこそ、新自由主義の最も重大な帰結だと私は思います。
それゆえ、意思よりももっと基礎的な感性に遡る必要がある。 どうしたらもう一度、人間の尊厳を取り戻すための闘争ができる主体を再建できるのか。 そのためには、ベーシックな感性の部分からもう一度始めなければならない。
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経済について知りたいと思って手に取ってみた本.著者について調べてみると左翼寄りの方で,政治的思想に染まりたくなかったためこの本を買うか迷ったが1つの意見としてとらえるために購入.結果として政治的思想は述べられておらず,資本主義社会ができた課程から現在においての問題点を述べている良書だった.
以下アウトプットのため内容をまとめます.興味がある人は覗いてください.
資本主義とは,ある特定の社会を一つの生物と見たときほかの社会と生産,流通,消費を行い新陳代謝することである.すなわち,単なる交換や貨幣が存在したからと言って資本主義とは言わない.
産業革命が起きて以降,一般市民でも大量の所得を持つ人々が現れた.より利益を上げようと地方の安い土地を買い占めそこに住む人たちを労働者とすることにより,雇用関係が生じた.資本主義の目的は余剰価値を増幅することである.絶対的余剰価値ー長時間労働で得られる利益ーは人権を損害することになりできない.そのため,相対的余剰価値ー生産性を上げらることにより得られる利益ーを上げることに着目する.一方的な搾取では生産した商品が売れないため労働者の所得を上げることにより(中流階級を生み出す)製品がより売れるようになった.しかし,時がたつにつれ製品は市場に出回るため利益を生み出すのが難しくなる.単なる労働では資本が増えないことに気づき知性を生かしたイノベーションにより利益増大を図る.同じ生産性でコストを下げることにより競合他社より利益を生み出すことができる.しかし,他社も真似するため結果的にイノベーションは意味をなさない.手段が出尽くしたとこで余剰価値を生み出すためには正規雇用を減少させ労働者の賃金を減らすしかなくなる.現在私たちはここにいる.きつい仕事が低賃金で下請けに回されるため,いろいろなトラブルが生じる(本著でセブンペイが挙げられている).
資本主義はいずれ限界を迎える.いや,もう迎えている.しかし,ほかにいい社会モデルはない.資本主義はくそなシステムだがほかがクソなシステムだから資本主義を採用せざるを得ない.これから私たちはどこに向かうのだろうか.
解決策というかヒントがこの本の最後に載っているので気になる人はぜひ購入してください.
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『資本論』とは何かというより、なぜ現代社会で『資本論』に触れるべきなのか、ということを考えさせてくれる一冊。内容も『資本論』そのものについて触れている部分よりも、現代社会を『資本論』の視点から捉えてリフレーミングして解説している部分が多い。
特に本書の「包摂」に関する記述には頷かされたし、しかもそれが殆ど不可逆的なものだという絶望感のようなものも感じた。一方で、以前テレビで見た「ポツンと一軒家」や「人生の楽園」に出てくる人達を思い出した。日本の少なくない場所にああして自分なりの感性を持ち、自分なりの生き方をしている人達がいるということは、社会がまだ完全には資本主義に包摂されていないことの証だとも思う。資本主義に代わる新しい何かを見つけ出すことは難しくても、資本主義の負の側面に呑まれないように個人レベルで努力し、資本主義と上手く付き合っていきたい。
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オーディオブックで拝聴。
20世紀で終わったと思ってたマルクス主義。だが資本主義の仕組みを紐解いたマルクスの資本論は、新自由主義隆盛の現代であっても、色褪せない部分があるというのはよくわかった。
難解な資本論を現代のグローバリズムの課題と照らし合わせながらわかりやすく説明しているのがこの本の凄いところだと思う。
とはいえ筆者も資本論のすべてをこの本で説明できているわけではなく、意図的にピックアップして取り入れているとも言っているので、これを読んで資本論をわかった気になってはいけないのだろう。
いや、それにしても資本主義(資本制)って本当に複雑で制御不能な代物なんだなと痛感。
ただ'60年代の左翼運動のように「資本主義をぶち壊す」のではなく、その中で生き抜くための思考のthe other OSとして「資本論的」なアイデアを自分の中に持っておくのは有効なのではないかと思う。
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【感想】
『資本論』は、資本主義経済を批判的に考察したマルクスの著作である。
資本論が刊行されてから150年近く経つ今、当時よりも一層ラディカルに資本主義が進行している。もちろん弊害も多発しており、そうした「現代社会の暗部」にフォーカスを当てながら、マルクスの論を再考していくのが本書の目的だ。身近な例を持ち出しながら資本主義の欠点を挙げ、その問題は150年以上も前にマルクスによって記されていたことを振り返りつつ、今後の人間の在り方を洞察していく。『資本論』の解説本というよりは、現代社会に潜んでいる資本主義の欠点を具体的にピックアップし、それに資本論はどういう答えを出していたかを紹介する「教本」という位置づけが正確かもしれない。
この本の核となる部分は「どうして資本主義は瓦解するのか」いう問題であるが、マルクスは「労働時間のありかた」にその理由を見出し、2つの「剰余時間」を定義している。
①絶対的剰余価値:労働時間の延長から得られる剰余価値
②相対的剰余価値:必要労働時間の削減から得られる剰余価値、生産力の増大から得られる製余価値(働く時間を伸ばさない代わりに生産性の上昇によって生み出す価値)
資本主義の大きな特徴は、市場競争と技術革新により生産性が上昇し、身の回りの物が一層廉価で便利になっていくことである。
しかし、技術革新は人を幸せにしない。なぜかと言えば、技術革新は特別剰余価値を増幅するためのプロセスにすぎないからだ。
特別剰余価値とは、高まった生産力で商品を廉売して得られる利益のことであり、いずれ同業者が模倣していくことで、ゼロに限りなく近づいていく。特別剰余価値が低下していくと、資本家は①と②の追求によって何とか利益を生み出そうとする。歴史を紐解くと、産業革命から近代までの手段は①の追求であった。しかし、違法労働問題や人口数の減少から、物量による効率は次第に求められなくなる。現代以降はもっぱら②の追求がメインであり、イノベーションにさらなるイノベーションを重ねて利益を得ようとしてきた。
しかし、これらはどちらも破滅に向かうステップである。①は言わずもがな、②もやがて人に不幸をもたらしていく。「生産性が上がった」とは、その生産に従事する労働者から見れば、労働の価値が低下したことにほかならないからだ。
この洞察は直感的に納得できるものだと思う。現在の社会では、マネジメントスキル、PCスキル、ライティングスキル、英語力など、一昔前までは必要とされていなかった様々なスキルが求められている。労働者が自らの価値を高める、と言えば聞こえはいいが、スキルが普遍的になればなるほど、労働に占める希少性が安売りされていく。昔は1時間かかっていた仕事が10分でできるようになっても、絶対的な給料が6倍になっていなければ、労働価値のデフレが発生しているのだ。
結局のところ、イノベーションは人を便利にするが幸せにはしない。
ではイノベーションの追求の代わりに人間にできることは何かというと、筆者は、かなり面白い結論に至っている。「食にこだわる」ことである。
資本論を話しておきながら「���はん」とはどういうことだ、と思うかもしれないが、これがなかなか真っ当な理由である。人が感じる「最低限度の生活」を譲らない、という方針だ。
市場の取引は等価交換によって成り立っているが、「価」の基準は人によって異なる。毎日ファストフードでOKという人もいれば、3日に1回寿司を食べねばやっていけない人もいるだろう。「価」の範囲は下から上まで幅が出るが、イノベーションによる特別剰余価値の減少を甘んじて受け入れ続ければ、次第に労働者の価値は下がっていく。
必要性の水準がどんどん低くなって、やがて「そんなに贅沢しなくても、毎日カロリーメイトでいいじゃないか」と言われたとき、「それはいやだ」と言えるかどうか。これが階級闘争の原点になるのだ。
食とは、人間に根差した基礎的な文化である。人間を根本から規定する土台である。そして、人間の基礎価値を信じることが、資本制社会への行き過ぎた迎合を止めるトリガーになるのである。
筆者「『私はスキルがないから、価値が低いです』と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。(略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。『私たちはもっと賛沢を享受していいのだ』と確信することです。賛沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです」
私はこの一節を読んでいるとき、老後2000万円問題を思い出してしまった。今までは退職金+年金によって、老後の人生を不自由なく楽しむことができたのに、時代が流れるにつれ受給額がやせ細り、最終的には「年金制度なんて頼らずに、自分で2000万円貯蓄していないとゲームオーバーです」と言われるようになった。「これっぽっちの贅沢」がいつの間にか「大きな贅沢」と見なされて、譲れない部分が次々と侵されていった例だ。人々は「それはいやだ」という声を挙げるも、もはや手遅れになりつつある。
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本書は真っ赤な表紙に小さなタイトルという装丁で、そのタイトルも「武器としての『資本論』」であり、何だか難解そうな印象を受ける。しかし、手に取ってみるとこれがかなり分かりやすく、大学の講義を受けているみたいでスルスルと読めてしまった。剰余価値のほかにも、「物質代謝」や「包摂」といった概念によって、現代社会に通ずる問題を非常に明瞭にあぶり出している。是非オススメの一冊である。
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【まとめ】
1 資本制社会のありかた
マルクスが考える資本制社会
→「物質代謝の大半を商品の生産・流通・消費を通じて行う社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)」
「物質代謝」とは、ある物質を作り、それにより別の物質を使っていくサイクル。例えば石炭やガスを燃やして電気を作り、電気が工場を動かし、工場がパソコンを作り、消費者がパソコンを買うような循環のこと。言い換えれば、物がめぐりめぐるプロセスのことが「物質代謝」である。
このプロセスが、「商品による商品の生産」によって稼働する、つまり労働力という商品を使って別の商品を生産していくのが資本制社会である。そして、「大半」の範囲が際限なく拡大し続ける(昔は商品で無かったものもどんどん商品化されていく)のが、資本制社会の宿命だ。
2 商品
富と商品は違う。
お金による商品交換の原理は「無縁」。取引関係の中では、相手と関係を持つ必要がない。後腐れなく、関係はその場で切れる。一方、共同体の中では無縁の商品交換はできない。贈与、手伝い、育児など、共同体における価値取引は関係性とは切り離せない。
しかし、資本制社会が発達するにつれ、共同体の外の原理が共同体を飲み込んでいく。これをマルクスは「包摂」と呼んだ。
3 包摂
資本制社会は余剰価値を生産し、生産性を不断に高め続けなければならない。やり方を変革していけば行くほど、資本による包摂の度合いも高まっていく。生産工程が細分化され、労働者一人ひとりは決まりきった作業をやらされるようになる。
やがて資本制社会は、生産の過程、労働の過程を飲み込むだけでなく、人間の魂、全存在への包摂へと向かうようになる。人間存在の全体、思考や感性までもが資本のもとへと包摂されるようになるのだ。
4 資本の増大と余剰価値
資本の目的はとにかく増大することだ。「増えることによって、人々が豊かになる」ことは資本の目的ではない。増えることそのものが資本の目的。
資本が増えるとは、「価値増殖していく」ことである。
機械化が進めば人は働かなくて良くなる、と言われ続けていた時代から何年経とうとも、人の仕事は楽にならず、より大変になっている。
商品には「使用価値(質)」と「交換価値(量)」の二重性がある。使用価値とはそのままの意味で、使用に値する自然的属性のこと。交換価値とは、その商品に投じられた人間労働を通して、その価値を表示できるという「抽象的人間労働の結晶」のことである。
労働力についても同じであり、労働力は「具体的有用労働(質)」と「抽象的人間労働(量)」という二重性を帯びている。
資本制社会において商品は全て等価交換される。では、なぜ労働力によって余剰価値が生産できるのか?
それは、「労働によって形成される価値が、労働力の価値よりも大きいから」である。
「労働力の価値」を、マルクスは「労働力の再生産に必要な労働時間によって規定されている」「労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である」と規定している。労働者が搾取されすぎて死んでしまうほど低くはなく、かといって金持ちになって働かなくてすむようになるほど高くもない水準ぐらいが「労働力の価値」だ。もちろん、人によってこの水準は変わる。
5 余剰価値
マルクスは、労働時間を「必要労働時間」と「剰余労働時間」に分けた。「必要労働時間」とは、「賃金に相当するだけの生産を上げるのに必要とされる時間」であり、言い換えれば自分のために働く時間である。一方、働かされているのに支払いを受けられない労働時間が「剰余労働時間」である。
マルクスいわく、「奴���労働にあっては、奴隷が彼自身の生活手段の価値を補填するにすぎない労働部分、したがって、彼が事実上自分自身のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現れる」「賃金労働にあっては、逆に不払労働さえも、支払労働として現れる」。
賃金労働は奴隷労働とは真逆で、資本家のための労働の部分まで、まるで労働者自身のための労働であるかのごとく錯覚されるのだ。
マルクスは余剰価値の生産方法を2つに分けている。
①絶対的剰余価値:労働時間の延長から得られる剰余価値
②相対的剰余価値:必要労働時間の削減から得られる剰余価値、生産力の増大から得られる製余価値(働く時間を伸ばさない代わりに生産性の上昇によって生み出す価値)
技術革新が人を幸せにしない理由は、技術革新は特別剰余価値の獲得にあるからだ。特別剰余価値とは、高まった生産力で商品を廉売して得られる利益のことであり、いずれ同業者が模倣することで、特別剰余価値はゼロに近づいていく。剰余価値を求めることこそ資本の本質であり、その運動を続けることこそが資本そのものなのである。
20世紀の終盤になって、相対的剰余価値の生産が行き詰まってしまった資本主義は、グローバル化に活路を見出す。これは労働力商品の価値の引き下げであり、絶対的剰余価値の追求への回帰である。
近代になって生産力が向上したが、生産性が上がったとは、その生産に従事する労働者から見れば、労働の価値が低下したことにほかならない。現代社会においては、それが大きな問題として人類の前に立ちふさがっている。
イノベーションによって生まれる剰余価値、すなわち資本主義の発展のキモにあたる部分は、結局、安い労働力を時間的差異と空間的差異を活用してダンピングした結果に他ならないのだ。
6 階級闘争
マルクスは「資本主義の破局的帰結をどうやって避けるのか?」という疑問に対して、「階級闘争によって」と答えている。
マルクス「資本主義の発展に伴い、独占資本が巨大化し、階級分化が極限化する。それにより窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取が亢進し、ある一点でそれが限界を迎える」
パシュカーニス「等価交換の廃棄こそコミュニズムが進むべき道である」
人によって必要最低限の暮らしについての基準が異なるように、等価交換の「価」は、実際には人によって上下する。
生活レベルの低下に耐えられるのか、それとも耐えられないのか。実はそこに階級闘争の原点があるのではないか。「これ以上は耐えられない」という自分なりの限界を設けて、それ以下に「必要」を切り下げようとする圧力に対しては徹底的に闘う。そして闘争によって求める「必要」の度合を上げていく。それはすなわち、自分たちの価値、等価交換される価値を高めていくということである。これが階級闘争の原点だ。
筆者「『私はスキルがないから、価値が低いです』と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。(略)それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。『私たちはもっと賛沢を享受していいのだ』と確信するこ��です。賛沢を享受する主体になる。つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです」
新自由主義は資本主義文化の最新段階であり、その特徴は、人間の思考・感性に至るまでの全存在を、資本のもとへ実質的包摂することにある。したがって、そこから我が身を引き剥がし、ベーシックな感性――例えばうまいものを食べ、量ではなく質の点で豊かさを享受するなど――の部分を大切にする必要があるのだ。
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徹底的な資本主義の副作用でイギリスの食文化が崩壊したという話は笑い事じゃ済まなさそう.今後,日本や世界で合理的じゃないと烙印を押されたあらゆる文化がどんどん消滅していくんだろうな.
その手前にあるものとして貧困に喘ぎ文化を作り,残し,消費することすらできない大衆と,金で解決できる一握りの富豪.
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資本主義リアリズム
→資本主義以外の存続可能な政治・経済制度を想像すらできない意識が蔓延した状態
資本制・資本主義
物質代謝の大半を商品の生産・流通・消費を通じて行う社会
・商品は,共同体の内部では発生しない
共同体:家族,友人,恋人etc
相互扶助・相互監視・腐れ縁的関係・非匿名・滅私
共同体の外:
独立・無縁・自由・匿名・無関係の関係・
シートンの父親「20年でかかった養育費はいくらだ」→貸しの生産
経済的活動と人間的交際が渾然一体
キャッシュレス決済はお金のやり取りから匿名性を奪うもの.例:中国
・共同体の外で商品となったものは,共同体の内部でも商品化される
→共同体を呑み込む=包摂
生産様式,生活様式だけでなく価値観,感性,魂までも
・新自由主義・ネオリベラリズム
「人は資本にとって役に立つスキルや力を身につけて,初めて価値が出る」
人間の生そのものの価値やカネにならない価値は認めない.
・一昔前 デコトラ,ヤンキー>
今 デコトラ禁止 マーケティングセグメントとしての「マイルドヤンキー」
労働者階級が自立した文化の担い手からただの消費者に.
・弊害:教育の商品化
”彼ら,彼女らには,「自分で面白いことを見つけて,それを学ぼう」という考えはなくて,「どこからか面白いこと,楽しませてくれる何かが自分を目掛けて降ってきて,それが自分を楽しませてくれるのがあるべき姿だ」と思っています”
・”機械装置は剰余価値の生産のための手段である”
→AIは人間を労働から解放しない.
・使用価値・交換価値
・「差異」が儲けのもと
貿易ー>空間的差異 金融ー>時間的差異
・日給1万円の労働者が1万5千円の価値を生んだ.
5千円が剰余価値であり,労働者が搾取されている金額.
→定型労働で価値を生み出せる仕組み作り
儲けが出なくても給与を支払うといった資本家が背負うリスクへのリワードは???
→労働者への賃金は「価値への対価」ではなく「生活維持費」だからこの2つの間を
アビトラしているのが資本家ということはできそうだ.
”「資本論」を書いた当時のマルクスが見ていたのは,1日16時間くらい,限度一杯に労働者を働かせる世界でした”
・イギリスで労働者搾取を抑制する「工場法」
資本家が労働者を持続的に搾取するための仕組みに過ぎないとマルクスは喝破
体制側の労働者への救済措置という意味では「働き方改革」も同じ.
・20世紀の資本主義���フォーディズム(フォード+ism)
・市民は労働者であるが自分の商品(自動車)の消費者でもある
商品を安く作り,労働者には給料を渡す.その金でT型フォードを買ってもらう
→大衆消費社会の出現 物質的階級格差の消滅
・西と東の対立.低所得階級を救うことがイデオロギー,国家を支える
→国としても総中流化を後押し
・ポストフォーディズム・ネオリベラリズム
・大衆駆動・定型肉体労働での稼ぎに限界
・アイデアや知能が源泉→100の労働ではなく,1のアイデア
→勝者総取り
・流動性の向上
共同体の瓦解,労働力市場の解放
・寿司職人の「15年修行」縛り
生産の統制,既得権益の保護
・戦争は有効需要の特効薬
→不平等の人類史,「1984年」
・新自由主義は「金持ち階層からの階級闘争」
フォーディズムで譲った余剰価値の回収.
・不動産選び「XXX小学校区内」
→学校選びから競争.いい学校は資本力がないといけない
・西南戦争
明治維新→武士という公務員・既得権益の廃止→手切金→一部武士の反乱→西南戦争→紙幣刷りまくり→インフレ→松方デフレ 緊縮財政
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これはまた読むの挑戦したいなーー。シンプルに難しくて、何回も読み直したり遡ったりした。
考えさせられた文
①資本による労働者の魂の「包摂」が広がってる。新自由主義は社会の仕組みだけでなく魂やセンスも変えた。ex「何もスキル無くて他の人と違いがない、頑張らなきゃ」←人間が資本に奉仕してる
②生産性が向上=労働価値の低下
資本にとって人々の生活を豊かにすることは副次的
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資本主義ってそもそもなんだ?今どういう問題を抱えているんだ?ということが分かってよかった
特に資本主義が人間の魂までをも包摂しつつあるというのは納得。
ここから私の考えですが、資本主義による魂の包摂に個人のレベルで対抗するには
•まず資本主義が我々の幸せのためにあるものではないと認識すること。
•その上で効率をもとめすぎることや、誰かと競争して勝つ、人と比べて優劣をつけると言った、いわゆる資本主義的な価値観から脱出すること。
•効率化によって切り落とされた手間暇と、それに伴う感情や愛着を取り戻すこと。(例えば料理をする、サブスクばかりでなくレコードを聞いてみる、コーヒーを入れる)
=効率を求めれば「無駄」に見えてしまうものこそが豊かさであり、それを愛すること。
•趣味を持ち、自らの心を涵養すること。
•利害や損得を超えた友人やパートナーと出会い、助け合うこと。
などが大事なのかなぁと思います。