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ある街のペストが流行していく様を描いた作品。
ドラマティックな所があるわけでなく、あくまで客観的に登場人物の心情と事実描写が続く。
白鯨に似てるな〜って思いながら読んでたら、白鯨に影響を受けて書いた作品らしい。
ただ白鯨ほど説明が長ったらしくなく、分かりやすいし変な思いも入ってない。
淡々と続くけど、結構引き込まれる作品でした。
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これはペストを描いた小説だけれど、ペストのみを描いた小説ではない。
カミュはペストという疫病の流行に、ありとあらゆる不条理を写した。ペストによって変わるもの、変わらないもの…。
個人的にはランベールが一番好きかな。脱出しようと奔走する間に、恋人に傾ききっていた想いが、いまいるオランの街へシフトしていく、心情の描かれ方がよかった。
解説にもあるように、これは彼の「不条理の哲学」の集大成です。
しかし読むのに時間がかかりました。言い回しが難しい…。
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異邦人に続き、カミュの著作。アルジェリアの都市オランでペストが発生した。閉鎖されたこの都市の中で、人々はそれぞれの反応をする。絶対的な力の前に、人間はどのような反応を示すのか?を記した小説である。
どうしようもない現実を突き付けられても、その現実に立脚し、その時点で自分がなしうるベストを尽くす、それだけなんじゃないか?
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途中。読んでて、感じる部分は多いけど、夢中で息もつかずに読む、というようなストーリーではなく、どちらかというと、閉鎖された町の中で、ペストと隣り合う恐怖で感覚が麻痺して無気力になってる住民の雰囲気が移って眠くなってくるというか…とにかく読むのに時間かかってる。
主要人物が病気にかからない(後半でかかるみたいだけど)のが不思議(笑)。新聞記者の人とか、町を抜け出す前日に発病!とか予測してたのですが、意外~。
これは、単に疫病に襲われた町の描写、と捕らえるとひたすら淡々としているけど、そこで生じる人々の心理状況とかを深読みすると、俄然面白くなる。幸福とか、仕事とか、福祉とか、全部ひっくるめて、人間の本性とは何か、を書いているんだろうなあ。
終了。少年の死から、俄然面白くなった。パヌルーの言葉、タルーの最後(リウーとの友情)など、テーマが拡大していくにつれて、ペストというものが、より普遍的なものの象徴であることが見えてくる。最後は悲しかった。
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ペストの「恐怖」ではなく、ペストによって閉鎖されたことによる人間の核のような部分を淡々とした口調で描く。淡々でしかも長いので結構読んでて疲れるが、読後感は良い。
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『ペスト』が老若男女、地域や生活習慣、信仰の違いを越えて読み続けられているのはなぜか?そのひとつの答えとして日本語翻訳者の宮崎嶺雄氏は「この作品の簡潔なリアリズムが、さまざまな角度からきわめて明瞭な象徴性をもっていて、読者の一人一人がその当面の関心を満足させるものをそこに見出しうるからだ」と分析しています...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/004.htm
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フランス領時代のアルジェリアの都市オランで、疫病ペストが発生。疫病対策として外部との接触を断たれ、オランに閉じ込められた人々。その顛末を、主に医師リウーの視点で淡々と描写した作品。
ペストとの闘いの目的は、ペストを殲滅することではない。ペストの衰退(いつ訪れるとも分からない)を粘り強く待つ間、社会を何とか維持させること。要は、耐え難き持久戦。その持久戦を耐え抜くために必要なものは、医師リウーの場合、誠実さ=自分の職務を果すことだった。
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異邦人と微妙にリンクしているので異邦人を先に呼んだほうがいいかもしれないが物語にはあまり関係ないので読まなくても大丈夫かな。
内容はすでに知っていたが改めて読んで見るとさらに面白い。
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有名な本だが、読んだことがなかったので読んでみた。100冊プロジェクトをしていないと手にしない本だろう(これも妻の蔵書)。でも、私はこの本の良さを理解する能力なし。全くおもしろいと思わなかった。妻に言わせると「行間をよまな!」とのこと。すみません私には力不足です。
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2020年春、新型コロナが席巻する世界において、改めて読み直されている不朽の小説。
アルベール・カミュはこの小説の成功で1957年にノーベル文学賞を受賞している。
その卓越した着想と構想、洞察力により、現代の社会生活を送る人々に対しても一定の普遍性を持つ内容となっており、忍び寄る新型コロナの恐れに対し実体験として多くを共有できるものである。
本書のテーマである「ペスト」は「悪」の象徴であり、「戦争」であったり「いじめ」であったり「全体主義」であったりと寓意として様々な事象に置換できるものという解説もあるが、閉鎖された空間における不条理への対応ということで、やはり感染症に侵される行き場のない人々というテーマがもっともしっくりとくる。
フランス領アルジェリアの都市オラン。ねずみが大量死することから事は始まった。
不気味に思う人々。そして、人間にも症状が出始める。やがて広がる人々への伝播。症状から病名はペストと判断される。
都市封鎖。感染病棟の大幅拡充。濃厚接触者の大規模隔離施設。大量死による墓地の飽和。
閉鎖された空間の中で人々はどのように振る舞うのか。不条理な状況下に突然おかれた人間たちの想いと行動が交錯する・・・。
この作品は主人公である医師リウーの視点を通底としているが、ときおりリウーは同志ともいえるタルーの手記を引用するという体裁をとっており、タルーの視点を多分に組み入れるという構造となっている。さらに、リウー自身を描く作者の視点と、タルーが見る人々の諸相は当然作者の掌中にあるため、こうした四重ともいえる複雑な構造が小説全体を難しくしているのではないだろうか。
さらに、作者が描写する背景や風景、説明部分が割と長いのに加えて、文章自体が冗長的であるためこれも少し小説を読みづらくしているところである。
また、宮崎嶺雄の訳がおそらく大部分が1950年当時のものと思われ、格調が高く重厚的な反面、現代としては少々古くなっている。
こうした「読みづらさ」というハードルは多少あるものの、再度ベストセラーとなっているということは、あらためてカミュの描く不気味で恐ろしい社会が世の人々の実感となっているということなのであろう。
登場人物としては先の主人公である医師のリウーと、民間の保健隊をいち早く編成し彼を助けることになるタルーがいるが、その他はひとりひとり、作者が熟考吟味した登場人物になっており、作者の思想を体現しているとも言える。
新聞記者のランベールはたまたま都市に居合わせて都市封鎖に遭遇してしまった者である。外部の世界にいる恋人に逢いたいがため、都市の有力者を巡り自分への特権を与えてくれるよう努力するのだが、それが不可と知るや闇業者に根回しを行うのだが、合い間にペスト対策一員としての作業をしているうちに心変わりしていく。
イエズス会のバヌルー神父は、初期ペスト禍の段階では大勢を集めてこれは神を背いた人々の報いであるとした。しかし、都市封鎖下で大量死を目の当たりにし、しかも少年が死に至るプロセスを間近で見ることでペスト対策の一員として身を捧げることになる。神への愛は困難な愛で��るが必要なものであるとし、「司祭が医者の診察を求めるとしたら、そこに矛盾がある」というジレンマを抱えながら。
予審判事のオトンもその職業柄、上から目線の人であったが、息子が死に濃厚接触者として長期隔離され家族と離散することで、社会貢献の意志により隔離施設の事務手続きを行う役をかって出る。
グランは役所の下級役人でリウー医師と親しくしている。役所での仕事の傍らで保健隊にも属し、また自分を見限り捨てた妻を想いだし、小説の出だしの文章をずっと考え続けている。
コタールは謎の犯罪者。今回の非常事態下で犯罪捜査が緩み、その存在を当局から黙認されている状況をほくそ笑んでいる。タルーからはそれが彼の唯一赦しがたい罪だと断定されるが、その非常事態が解かれた後、彼がとった行動は反社会的なものであった…。
唯一、ペスト禍の都市封鎖の中においても、世の中から隔絶し喘息に病みながらも豆を移動させ達観の境地にいる老人。タルーが「これは聖者か?」と自問する対象となる。
そして、タルー。ある意味、作者が最も思い入れを深くしている人物像と思われる。死刑制度に反対し、そうした団体に属すも孤高の存在として不幸な人々のうちに入ることを望む。あくまでも理不尽なもの不条理なものと闘う反抗姿勢を見せる。
この小説ではペスト発生当初においては当局はそこまで深刻なものとせず、あまつさえ言葉の定義ややり方などの形式論にとらわれて出だしは大きく遅れることになる。
様々な意見が噴出しなかなかまとまらない対応策。そして、次第に市民に明らかになる状況と都市封鎖によりパニックとなる人々。そして迎える多くの死。
作者が登場させる多くの者が死に、また死に至る事細かな描写が何度も挿入される。
様々な立場の人々が次第に連帯する姿。
現代のコロナ禍と重なる部分も多く、多くの者の共感を得るゆえんである。
だが、主人公のリウーは多くの死に直面しそのプロセスや処理を多く見ており、さらに本書の終わりの方では彼自身の不幸も多く重なることになるのだが、彼はあくまでも淡々とこれに接し、超人的な精神と働きを見せる。「おそらく、罪を犯した人間のことを考えるのは、死んだ人間のことを考えるよりもつらいかもしれない。」と考え、タルーの思想が乗り移ったかのように社会的に前向きな姿勢をみせるのである。
神へのすがりを断り、都市封鎖を追放と捉え、自発的な連帯を期待し、感情を排除して超人的に不条理なものと闘う姿勢。
これはコロナ禍にある現代の人々にはある意味、理想的で酷な姿勢とも思えるのだが、当時の社会情勢下、カミュが孤高に生きることを宣言した狼煙が、現代に至ってもわれわれに強く突き刺さるものとなっているといえよう。
最後はペスト禍が終息し都市が開放される。多大な困難を乗り越えた人々は様々な歓びと感慨を抱くことになる。
われわれもこのような時期はいづれやってくるであろう。
しかし、本書の最後はこう綴られる。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴蔵やトランクやハンカチや反故のなかに、しんぼう強く待ちつづけていて、そしておそらくはいつか、人間の不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。」
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不可抗力の天災に襲われる、その現実の中でこの本を読むことは易しいことではないに違いない。しかし圧巻の結末。
この文庫の装丁は、かなり格好いい。作品を読ませる期待感あふれる表紙。
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実際にペスト流行の話なのですが、現代社会に置き換える、ものの広がり。例えばネット。そこから起こる弊害に人はどう対処するのか。この描写をペストの一例で表しています。物語性の骨格もきちんとあり、読み応え十分。作者全盛期の長編。
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辺見庸のNHK番組を見ていまさら読み始める。
まだ序盤だが、ペストに対する人々の反応は、驚くほど原発の状況とシンクロしている。
……と書き始めたのは、ペスト禍の下での集団心理の描写が的確だと思ったからだが、小説自体は当然個の内省に迫る内容になっている。
解説を読んでその言葉自体が存在することをすっかり忘れていたが、本書は「不条理」下の人間の心理・行動をあぶり出すことを目的として、成功していると思う。
続いて読み始めたユン・チアンの『ワイルド・スワン』が多く人災による不条理なのだとしたら、『ペスト』は天災による不条理劇である。
人々はペストをはじめ軽視し、楽観的に考えるが、やがて絶望し、身を預けるようになる。今回の原発事故とその点は通じていると思う。
しかし原発事故の、引き金は天災であっても、人災によって収拾不能に陥り、ペストのごとく不可視の災いとして、われわれに襲いかかってくる。そして直ぐには誰も死なないし、ゆえに責任をとろうとしない人が多い。『ペスト』で発揮される主人公医師・リウ—の良心は、批判すべき、あるいは憎むべき対象の無き中で行われる。
原発は、東京電力と、政府という明確な対象が存在する。ゆえに人を助けようとする良心がそのまま別の人を傷つける事にもなり得る点で、より複雑である。たとえば福島の野菜を良心から使い客に振る舞うレストランがあるとしたら(実際にあるのだが)、単純に賛美することはできないのだから。
とはいえ「不条理」にいかに抗い、いかに身を委ねるのか、というヒントは多く含まれている。
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困難な状況のもとで、絶望に負けず手立てを尽くす人々を描く。彼らは「英雄」的なテンションも持っていないし、なにか大活躍をするというわけでもない(むしろペストには負けっぱなし)。しかしそれでも前に進み続けるその姿が、非常に印象的。人間にはなにか誠実で高潔なものがあるのだということを感じさせられる。
ところで、こういう時に「天罰」とか口走る人はどこにでもいるのだな、と思った。
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人間の本質が描かれている
「ペスト」を通じた人間の変化
人間は弱いもの、しかし強いものでもあると実感した
人生は無意味
カミュの思想がよく表れている本