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清須会議以降の秀吉の通史。肝心の清州会議は6章だての2章でそれほど重点項目ではなく、今までの通史と比べて目新しいのは、織田家家督に三法師を支持したのは秀吉だけでなく、全員が三法師を支持としており、争ったのは信雄、信孝どちらが後見人になるかという点であり、その場では秀吉、勝家、丹羽、池田の4宿老が並列で織田家を差配するということで曖昧に決着した、という点だろうか。教訓としては大事な会議に欠席するとリカバリーできないよという滝川一益の事例であろうか。戦国史好きなら楽しく読めるが学びはあまりない。
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秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?
最高責任者
天正10年6月 三法師
(四宿老や信孝・信雄の名代争い)
四宿老発給連署状はわずか(実態怪しい)
信孝が美濃で禁制発給するが秀吉の副状
求められるなど実務は秀吉大活躍
10月 信長葬儀へ三法師出席のため
信孝との仲を修復しようとする秀吉
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小牧・長久手の戦いの和睦について、従来説とは違う見解が述べられており、興味深かった。また、信雄に対する官位の斡旋についても知見を深めることができた。