紙の本
「内部」発行の「1984年」
2023/06/22 23:12
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
オーウェルの研究者による彼の伝記。彼の小説の粗筋がコラムとして紹介されている。
ソ連で「1984年」のロシア語訳が「情報収集の一環として関係者だけが見る資料」として、中国で言うところの「内部」出版という形で出ていたとある。勿論、著作権侵害で、いくらソ連でも何かで外部に漏れてしまったら面倒な事になっただろう。レーニンやトロツキーのように英語が読める世代はともかく、ロシア語訳でないと読めなくなってしまったのもあるだろうか?その非合法なロシア語訳は党中央の偉いさんやKGBや党中央委員会などの担当者のみが読めるのだろう。フルシチョフは「ドクトル・ジヴァゴ」を読まなかったそうなので、読んだ偉いさんがどのくらいいるかはともかく。中国や北朝鮮でも「内部」出版で「1984年」が出ているだろうか?
この本の著者には「1984年」に関する著書もあるので、岩波文庫で「1984年」が出ないだろうか?
この本で書かれているのと違って、POUMは元々、ニンがトロツキーに近かったにしろ、スペイン戦争の頃にはトロツキーからも離れてしまった。「カタロニア讃歌」にあるようにオーウェルが入隊したPOUMの義勇軍がろくな食料がないのにあるかのような「誇大宣伝」で国民戦線軍から脱走兵が出たとあるが、その後はどうなったのだろう?そこはオーウェルも書いていない。「ファシストのスパイ」として銃殺されなかっただろうか?何しろ共和国側は国内戦当時のボリシェヴィキばりに「反革命階級」から人質を取ったり、公には「売春の廃止」を謳ったはずなのに身内が国民戦線側に投じたブルジョワの女性は慰安婦として共和国軍の慰安所に送り込んだりしたようなところだ。
オーウェルは独立労働党に近い立場なのに、葬儀は国教会で行うように遺言し、国教会の教会墓地に埋葬されたように生まれた階級からは離れなかった。
自称「保守」が「世界に暗躍するコミンテルン」史観?の元ネタとして名前が出て来るミトロヒン文庫は怪しげな怪文書だと刷り込まれてしまったが、まともなKGBの資料だった。
紙の本
コンパクトで良質なオーウェル入門
2021/12/28 14:15
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
近年『1984年』をはじめオーウェルへの関心が再び高まったが、その著作を読まずに聞きかじった知識で適当なことを言っている人も少なくない。言うまでもなくオーウェル自身の著作にあたるのも重要であるが、その文脈をふまえるうえでも本書のようなきちんとした入門書にまずあたられたい。
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オーウェルのすばらしさは、自分のものの捉え方、考え方を出来合いの借り物ではなく、自分の経験と思考によって作り上げたことにあると思う。decencyは大事な言葉。座右の銘としたい。
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『カタロニア讃歌』『動物農場』『1984年』などで知られているジョージ・オーウェルの伝記。オーウェルは代表作である『1984年』を発表したすぐあとに46歳の若さで結核で亡くなったが、本書はその短い生涯を作品とともに辿っている。全体主義に抗し、ディストピア言語の危険性に警鐘を鳴らし、一貫して「人間らしさ(ディーセンシー)」を追究した作家オーウェルが今、世界的に注目されている理由は、著者の川端氏の「新型コロナ時代に、ジョージ・オーウェルが再び注目される理由—「ディストピア」の言語」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72066)が参考になろう。
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ジョージ・オーウェルの生涯を追跡することで、その思想や行動を浮き彫りにした一冊。オーウェルを主題にした新書はこれが最初だろうか。『動物農場』、『1984年』、「像を撃つ」といった作品自体は知っていても、それ以上のことは知らなった者としては、とても有り難い。decency(人間らしさ)への信頼がオーウェル作品の明るさを支えている、ということが、全体として強調されている。
細かい点だが、オーウェルの大衆文化への注目が、オーウェル紹介者でもある鶴見俊輔の仕事(『太夫歳歳伝』など)と共通するとの指摘は面白い。そういえば、鶴見が『戦時期日本の精神史』でリリアン・ヘルマンに拠りつつ強調したのも、decency(まともであること)の大切さであった。
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オーウェルの人生を辿りながら、その都度書かれた小説・評論にも踏み込む。バランスの取れている良くできたオーウェル入門書/伝記。
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動物農場、1984、そしてそれらに収録されていた「絞首刑」「象を撃つ」といった短編でしかジョージ・オーウェルには触れてこなかった。全体主義が導く破局を鋭く告発する作家、という印象だ。おそらく、多くの人がそういう印象を持っているのではないか。
この新書は、200ページ超のボリュームに彼の生い立ちや事件、思想の変遷、そして執筆された作品群をとりまとめ、ジョージ・オーウェルという人物を立体的に描き出している。
オーウェルその人は、作品自体の偉大さゆえに本人の人となりも作品と等価に考えられがちだ。しかしここには"decency"に拘った一人の思想家の姿がある。
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https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12611849338.html
https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20170915/1506141898
https://yasu-san.hatenadiary.org/entry/20141213/1418466001
https://www.bbc.co.uk/programmes/b01mqpgh
『赤い闇』のオーウェル
https://www.bunshun.co.jp/business/bungakukai/backnumber.html?itemid=229&dispmid=587
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オーウェルの人生史及び生み出してきた作品群に沿って、当時のオーウェル(エリック)や社会・政治の様子が解説されている。
ビルマで帝国警察官の身分で働きつつも帝国主義に対して嫌気がさしたり、かと思えば英国人に対して敵意を剥き出しにする現地の僧侶に対して嫌悪感を抱いたりなど、一見整合性が取れていないように見えるけれど誰でも有しているような"矛盾"を受け止めているところに、オーウェルの誠実さ(この本で言われているところの「人間らしさ」)を感じる。
他にも、上層中流階級へのある意味での居心地の悪さや、自らの作品への自己評価の低さなど、人生全体が微笑ましいほど人間らしく、個人的にはとても好感が持てた。
オーウェルの作品は『1984年』しか読んだことがなかったが、他の作品も読んでみたい。
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ジョージ・オーウエルの「1984」を読み、「1984」を理解するためには、やはり彼の生涯を理解する必要があると思い、本著を手に取る。
彼自身が支配する側と支配される側の両方に身を置き(意識的に)、また、ナチスドイツ、ソ連、詰まり、国家社会主義、共産主義が独裁管理国家となることを直に体験していたからこそ、「1984」は必然的に世に出ることになったのだろう。
彼の深い洞察力が、物事の本質をつくことを可能とし、物事の本質とは、現在にも通じる普遍的なことなのである。
だからこそ、今、「1984」を読むべきだと、改めて感じた。
以下抜粋~
・「ナショナリズム覚書」で説明しているように、「パトリオティズム」が「特定の場所と特定の生活様式への献身」を意味する防御的な概念であるのに対して、「ナショナリズム」はつねに権力欲と結びついた攻撃的な概念としてとらえる。
「愛国心は保守主義とは無関係で、むしろ保守主義とは反対のものである。なぜならそれは、つねに変化しながらも、なんとなくおなじものだと感じられている者への献身なのだから。それは過去と未来をつなぐ橋である。真の革命家が国際主義者であったためしはない」
鶴見俊輔が解説するよう、「パトリオティズムとは時の政府に対する服従を意味するものではなく、日本語ではむしろ郷土愛という言葉の方が近い」
「おさない時からおなじ土地に育ち、そこでおなじ言葉をつかって一緒にくらしてきたものの間にうまれる親しみが、人間の底の方から支えるという思想」にほかならないからだ。
「特定の場所と特定の生活様式への献身」としての「パトリオティズム」を重視しているからこそ、オーウェルはイギリスの民衆文化に持続的な関心をもち、折にふれて論じたのだった。
「ニュースピークの目的はひとえに思考の幅を狭めることであるのはわかるよね?最終的には思想犯罪を文字どおり不可能にしてしまう。それを表現する語がなくなるのだからね。必要な概念があればすべて一語だけで表現される。その単語の意味は厳格に定義され、それに附随したいろいろな意味はすべて消し去られ忘れられる。この言語が完全になったときこそ革命の完成だ」