古代末期のローマ帝国
2021/05/18 16:42
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投稿者:mt - この投稿者のレビュー一覧を見る
首都・コンスタンティノープルの誕生を通して、古代末期のローマ帝国像に再考を迫る一冊。歴代皇帝たちによって成されたコンスタンティノープルの発展が、ローマの影響力を削いでいき、最終的にはコンスタンティノープルが新たな「ローマ」となる。古代末期の複雑な政治状況を分かりやすく解説しており、また単純に「暗愚」で片づけられがちなディオクレティアヌス以後の皇帝たちにも光を当てている(個人的はこれが一番の収穫)。西ローマ帝国の衰退についても、「滅亡」ではなく新たな形態への変化と捉えるなど、気付きになる部分が多い。良書。
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルのとおりローマ帝国の歴史の再認識を図る一冊。コンスタンチノープルへの遷都の経緯や、帝制の詳細を知ることが出来ます。ただ、少し読みにくい感じでした。
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コンスタンティノープルが東ローマの首都として確立されていく過程が論述されている。都市の変遷を、人・宗教・制度など様々な視点から捉える内容が興味深かった。
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コンスタンティノープルはいかにして「首都」となっていったのか――その建設から7世紀までを扱う。
伝説で語られがちなコンスタンティヌス大帝とコンスタンティノープルの関係だが実態はどうだったのか。キリスト教におけるコンスタンティノープルの地位の上昇はどのような経緯で達成されたのか。宮廷がコンスタンティノープルに固定されたのはなぜか。後世、ローマ帝国の滅亡と呼ばれる476年の出来事の意味は何であったのか。東ローマが長く続いたのはなぜか、などなどその内容は目から鱗。
「ローマの滅亡」として語られがちな時代を問い直す一冊。
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ローマからコンスタンティノープルへの遷都が何時あったというわけではない!またローマ皇帝は東西・正副で4名の時代が長く、この町に滞在することもあった!この町はコンスタンティヌス大帝が造った都市ではあるが、決して皇帝が常在だったわけではなく、テオドシウス1世が初めて常時いることになったとは世界史の常識とは異なっていた。そしてローマ帝国の東西分裂も西ローマ帝国の滅亡も随分イメージが違った。476年に軍人オドアケルという人物が幼帝を配意し、皇帝標章を東政府に返還したということらしい。戦争でローマの町が破壊されたわけでも、ゲルマン人によりローマが制服されたというイメージを持っていただけに衝撃的な事実誤認だった!その後は東の政府がローマ帝国そのものになったわけ。コンスタンティノープルの町がローマのようにキリスト教に関するゆかりがあったわけではないことに、この町の劣等感みたいなものがあったのかも、とは確かにそうかもしれない。キリスト教の世界会議の開催と東西の競争など、キリスト教の歴史にも詳しい記述だった。
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3世紀から10世紀までの西洋史は空白といってよいのではないかと思う。その前半期間を本書は取り扱っているが、コンスタンチノープルが「第二のローマ」として認識されていく過程が詳述されていて、非常に興味深い。
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ローマ帝国の中心が、何故、いつから東へと移り、西ローマは滅びたのか不思議に思っていた。西ローマはイタリアとガリアの統一が上手くいかず、僭称皇帝の乱立が続いたことから東ローマが介入せざるを得ず、結果皇帝を擁立しないことで介入を防ぐ選択をとり、西ローマが滅亡というのは意外だった。ユスティニアヌス一世のイタリア遠征とその後の混乱がローマの荒廃を招き、結果ローマという名の首都の座をコンスタンティノープルに譲る結果になったというのは皮肉なものだ。ローマの鍵シリーズのファンとしても、切ない。