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桐野さん、またまた衝撃的な度肝を抜く作品です。
文化文芸倫理向上委員会という政府の組織があり、そこから召喚状を受けると出頭しなければならない。
いわゆるエンタメ作家のマッツ夢井が召喚され向かった先は・・・断崖の海辺に立つ療養所、とは名ばかりの中身は全く自由のない収容所。
意に沿わない言動をすると減点が課せられ、減点によって収容日数はどんどん伸びていく。
召喚された理由というのは読者からの告発で、犯罪や暴力を肯定的に描いている、つまり社会に良い影響を与えないという理由。
言論の自由とは言いながら、映画が年齢制限などで管理されているように書物も同じような扱いをしなければならないというのがその機関の言い分。
読者からの告発にショックを受け、そんな法律がいつの間にかできていることに呆然。混乱しながらも抗うことができず、収容所での生活が始まる。
社会から完全に分断された中で、粗食、屈辱、不自由、などに耐えながら、わずかに漏れ聞く情報も本当なのか嘘なのかわからないまま、最後まで正気を保つ事だけに腐心しながらの毎日。
話の展開にあっけにとられながら読むのをやめられません。本当にそういう施設がどこかにあるんじゃないかと思わせるような。
作家である自身をそこまで貶めるとは・・・
桐野さんは本当に世に問うておられるのでしょうか。
皮肉で、風刺的な作品でした。
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桐野夏生さんの話題の小説。
書評でも色々と取り上げられているが、私はこの本を読んでいて、今、問題になっている政府が学術会議から推薦された6名の候補者を承認しなかった問題を思い出した。
学術会議問題は政府による、すなわち国家による学問の自由への介入。
この小説に出てくる総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会による作家の再教育も同様で、極めて恐ろしい。
主人公であるマッツ夢井はあらゆる手段を講じて抵抗するが最後は崖から身を投げて死ぬように仕向けられていく。
国会では学術会議の問題はなし崩し的に小さくなっているが、断固として最後まで戦い続けなければいけないと強く思った。
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もはやこの世には絶望しかないのだろうか?
言論の、表現の、生きることの自由さえ奪われる世界は果たして本当にフィクションなのか?
息苦しさを抱えたままそれでも読まずにはいられない、それすら不条理。
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桐野夏生さんの著書だから、単純なハッピーエンドではないと分かっていても、ハラハラドキドキ最後まで一喜一憂しつつ、読了し、満足。
小説家は誰のために書くのか。ー自分のために書くのであって読者のためではない。と言う言葉に納得。
読後のセレンディピティ。「ちびくろサンボ」が差別だと言われて、改定されたこと。ヘイトスピーチと、トランプ元大統領のの発言をSNSが統制したこと。何が言論統制なのか。言論の自由とはなんなんだろう。勝手に読者が決めていることで、それが正しいとは限らない。
想像するに、桐野夏生さんは、雑誌の連載だと書きたいネタが多過ぎて、最後回収が間に合わなかったのでは、と思われる本がここ数年少なくなかった気がするが、今回は、何回かに分けて掲載された小説を書き直して書籍化しているからか、最後まで勢いが落ちず、グングン引き込まれて、最後は、桐野夏生さんらしいオチだった。
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文化文芸倫理向上委員会からの召喚状。そして強制収用。それは「社会に適応していない」小説を書いたから。国民は誰も知らない、そこに「私」が収容されていることも、いや、そこに「収容所」があることさえも。そしてやがて・・・決して生きて出ることは不可能だと知る。
最初はただ「出頭」するだけだった。2、3日で出られるはずだった。研修のはずだった。作文を書けばいいだけだった。しかし権力は狡猾で粘着質で、最後まで一切の妥協はしない。徹底的に葬り去る。えげつない手を使って・・・そして最後。
往々に僕らは、その始まりをなんとなく見過ごしてしまう。少し変なことがあっても、自分ごととしては捉えるのは難しい。そして「茹でガエル」のように、自分ごとなんだと気がついた時には、何もかもがもう引き返せないところまで来てしまっている。
「最近、作家がよく自殺するって言われている」「演劇界や映画界でも、このところ、訃報が多いよ」
桐野は炭鉱のカナリアだった、と気がついた時には時は既に遅かったということなる。
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”エンタメ小説家”・マッツ夢井の元に届いた「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状。出頭したマッツは、太平洋に面した断崖に建つある療養所に収容される。猥褻、不倫、暴力、差別、体制批判を平気で垂れ流す偏向した小説家たちを「更生」するという名目で軟禁し、社会に適応した小説を書けと強要する所長。
小説家の矜持を保ったまま死を選ぶのか、転向して”善い”小説を書き続けるのか。マッツの終わりなき闘いの行く末は・・・
最初から最後まで気持ちの悪さと背筋がゾッとする感じが拭えないディストピア小説だけど、目を逸らすことが出来ず一気読み。架空の設定でありながら、時代はもうその一歩手前まで来ているような気がするところがなお気持ち悪さを助長する。
「表現の自由」と言葉狩り。純文学とエンタメ小説の差別化。大衆に迎合する出版社。体制への忖度。「良い小説」という言葉が不気味に響く。
小説が検閲を受け、作家が拘禁された時代が確かにあった。この小説では、一般市民からの投書で作家が捕まるというのがなんとも恐ろしい。ネットでの中傷、自粛警察といった歪んだ正義が闊歩する窮屈な世の中は、表現の世界をも確実に浸食しているのかもしれない。
個人的には、誰もが感動する善い話ばかりになるのは嫌だな~。だけど、「号泣必至」や「心温まる」そんな謳い文句の薄っぺらい小説ばかりが読まれる時代にもうなりつつあるのかもしれないけど・・・。
桐野さんがどうしても今、書きたかったという物語。単行本化にあたり15行を加筆したというラストはなんとも苦しい思いを残し、「日没」というタイトルが重く圧し掛かる。
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表現者はいつの時代でも国家から疎まれる存在であるのか。表現者は自分の主張、魂を創作物に乗ってけて反逆していく必要があるのか。対立的構造が掴める。
これからの世の中権力の強いものが自分達の都合良く作品を世に出し続け大衆を洗脳していくのと考えると恐ろしい。でも、インターネットが広がっているからこそ力の弱いものは声を上げやすいのではないかと思う。
日々何となくコンテンツを接種してしまっているが、「コンテンツじゃない、作品だ。私が血と汗と涙で書いた作品だ。それをコンテンツだなんて呼ぶな。あんたらは、所詮コンテンツだから、あれは駄目だ、これは駄目だって言えると思ってるんだろう。そんなの間違っているよ。誰かが書いた作品に軽重もないし、良し悪しもない。勝手に差別するんじゃないよ」というマッツの言葉を胸に刻んで作者の思いを受け取り、表現の自由を守って行かなければならない。
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この本を読みながら、日本という国が怖い方向に向かっていると思った。エンタメ作家マッツ夢井は、総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会から、「貴殿に対する読者からの提訴に関する審議」によって、召喚されるのである。場所は千葉県の海に接した療養所だった。
「レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている」という指摘があり、それを矯正する施設だった。
なぜ、拘束されるのか?を問いかけることで、減点になる。それを言葉の暴力だと言って減点する。
そこでは、名前ではなく、B98という番号で呼ばれる。「ご自分の作品の問題点をしっかり見据えて認識し、訓練によって直される」と療養所の所長はいう。「猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判」が許されないという。いわゆる表現した文章によって拘束され思想改造をされるのである。貧しい食事、互いに交流してもいけない、一切の外部との通信も遮断される。カメラなどで徹底して監視される。そこで、反省の作文を書かされるのである。減点5で、5週間収容される。マッツは、早く出たい希望し、マッツは、「母親のカレーライス」という作文を書き始める。それが、所長の多田に評価され、水道の潮の味がする水ではなく、氷の入ったミネラルウォーターやコカコーラゼロを飲ませてもらえる。恭順を示すのであるが、収容された部屋の枕に小さく折りたたんだ遺書を発見する。そこには、収容期間は死ぬまでだという。つまり出られないことを悟る。
その中には、療養所の人間関係などが書かれていた。マッツは、そのことを口走ることで、さらに拘禁される。精神科医がいるが、「文学は狂気」と思っていて、選別して死後脳を分析するという不気味な脳科学者がいる。そして、スタッフの中には、もともと小説家であった人が転向して作業にあたる。小林多喜二の時代ではないはずなのだが、転向を要求される。時代が進んでいるのか、退化しているのか?そんな錯覚が起こる気になる。
それは、いま香港で起きている政府を批判したという罪で、牢獄に収監されることに似ている。日本では、学術会議の会員の推薦を「理由を差し控える」と言って、任命しない事態が起こっている。
安倍政権の時に「特定秘密保護法」「共謀罪」が成立する。ヘイトスピーチ条例などが、地方自治体で施行され始めている。様々な形で、表現の自由が制限されている。政府の重要な文書も自分たちに都合の悪いものは、シュレッダーで廃棄され、文書は改竄される。官僚たちは人事権を官邸に握られ、忖度をする。マスメディアは、首相や官房長官と一緒に食事をして、ありがたがっている。国民の知る権利さえも毀損される。このような閉塞状況が存在している。本の一部の文を切り出して告発する自警団がいるのだ。日本では、コロナに感染したのは、本人が悪いというのは、調査によるとアメリカの10倍だという。果ては、コロナで戦っている医療従事者の子供が、学校でいじめにあうという。どこかが、わさわさしている。
この本の恐怖は、日本の現実に繋がっていることだ。
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萎びたブロッコリーと生温い水。
フィクションのようで、
やけにリアル。
だってこういう人いるよね。
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桐野さんの作品は初めて。
言論の統制を極めるとここまで恐ろしいことになるんだと思い知らされた一冊。
まるで1984の世界観のようなディストピア。
次の展開が気になりすぎて、のめり込むように読み進めた。
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エンタメ小説家の主人公のもとに、「文化文芸倫理向上委員会」なる政府組織から召喚状が届く。
求めに応じて指定の場所に赴くと、そのまま収容されてしまう。
社会的に正しいとはいえない小説を書いてきたから、「更生」させるというのだ。
収容された表現者たちは番号で呼ばれ、交流も許されない。まるで監獄。
抵抗か転向か。
最初はいろいろと抵抗していた主人公もやがて・・・
主人公がこの先どうなるのか目が離せず、先へ先へと読み進まずにはいられない。
政府による表現の自由を剥奪するという近未来的設定であるが、絵空事とは思えない怖さがある(日本学術会議の問題に対する政府の対応などをみていると)。
最後まで救いのない警世小説。
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久しぶりの桐野作品、期待しすぎてガッカリ。表現の自由奪われる近未来。すぐカッとなる主人公で、テーマも飛んでいってしまった。
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頁をめくる手が止められない。一気に読む。
怖い怖い。一種のディストピア小説。
もし、自分がこの療養所(とは名ばかりの監獄)に監禁されたら…。考えただけですくみ上がる。
でも、少なくてもマッツみたいな反抗的な態度はとらず、粛々とおとなしく多田(所長)や相馬(精神科医)が気に入るような作文を書き続けると思う。
衝撃のラストはオチや三上や成田の助けを借りて脱出、と思いきや
はやり海にダイブ。
それでも脳をあの相馬の研究材料にされないだけでも、オチ達はマッツを助けたってことになるんだね、きっと。
この世界のことを思ったらコロナで出かけられないとか飲み会ができないとか言ってられない。
今の生活がとんでもなく自由で贅沢なものに感じたよ。
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週刊文春2020年12月14日号 鴻巣友季子 評
毎日新聞2020.12.24夕刊 2面
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79546(インタビュアー:石戸諭)
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言葉によって人は傷つき、癒される。差別的表現は差別行動なのか、それともその作品に込められた主題なのか。差別は偏見からくる行動であり、その偏見は感情と密接に絡み合っている。感情だけでは主題を込めた作品にはたどり着かない。相手を攻撃すれど本人の苦悩なき差別行動に帰着する。言葉を生み出す囚われの小説家は自問自答を繰り返す。そして後戻りできないアンサーとなって完結する。欲言うならば各登場人物の形勢逆転を終盤繰り広げると、この閉鎖された物語は面白くなる。検閲じゃないよ、これは独り言。