投稿元:
レビューを見る
習合という言葉、内田先生の造語かと思いました(恥ずかしながら)。毎度の事ながら深い洞察にハッとします。三島由紀夫の東大演説の下りで、くっつける、とあります。ああなるほどと、習合が少し腑に落ちて来ました。T鉄矢さんが言ってましたが、鬼滅の刃もオニと人の習合のもの語りかも知れませんね(どうなんでしょうか?)。
投稿元:
レビューを見る
とっつきやすさ、親しみやすさが印象的な本でした。
自身が少数派だと強く意識された上で、自分の意見を広く知ってもらうためにはどうするかということから書いてあり、そういう内田さんの姿勢がとても好き。
「私はそう思います」「だってそうでしょう?」などご本人に直接話を伺っているかのような感じでトントンと読み進められた。
たまに暴走して極端な論調になっていくのもひとつの良さかと思う。
宗教や文化や資本主義など外来のものに対して日本がどう対応して来たのか、現在の機能不完全な状況はどうして生まれたのかを考えることに繋がった。
Twitter上で反日扱いされるという内田さんだが素直に自国を愛する気持ちを感じる。と同時にネットにおけるいわゆる保守的な方々に対する苛立ちがたまに噴出してて面白かった。
投稿元:
レビューを見る
「日本は本来雑種的である」とし、神仏習合を代表例に雑種的であることが、今台頭しつつある原理主義を排除し、持続的な社会をつくっていくことになることになるとした、雑種文化日本礼賛の書。
投稿元:
レビューを見る
「習合」という言葉には、馴染みがなかったので、辞書で調べてみた。ブリタニカ国際大百科事典による解説が一番詳しかったので、それを下記に引用する。
【引用】
人類学用語。文化接触によって生じる2つ以上の異質な文化的要素の混在、共存のこと。1935年頃から始まった文化変容研究の開花期に登場した用語。習合において、もとの文化要素は再解釈、再構成され、新しい意味や機能が与えられる。典型的な例として、キリスト教やイスラム教、仏教などの世界宗教が広まっていくなかで各地の伝統的信仰と混在したように、在来文化と外来文化の接触によって生じる信仰や宗教活動の諸形態がある。文化接触以前の状態をゼロ・ポイント、文化要素の中核であり文化接触後も変わらないこともある領域を文化焦点などといい、それらの用語とともに文化変容の過程を示すのに用いられる。
【引用終わり】
内田樹は、日本の中での習合の例として、神仏習合をあげている。もともと日本の信仰であった八百万の神と外国からの宗教である仏教が混合した、神仏習合の独特の宗教が日本では生まれたこと、そういったハイブリッドは、日本人の得意とするところであったこと、等を述べている。
神道と仏教、あるいは、江戸時代に盛んであった儒教について、それのどれが一番正しいものであるのか、という議論ではなく(もちろんそういう議論もあったであろうが)、それらを混合して、オリジナルなものをつくってしまうことが日本的なやり方であったということであり、「何が正しいのか」といった短絡的な議論で決めつけをせず、もう少し物事を複雑に考えようということが主張と理解した。
読んでいて、これはD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の議論と似ているな、とも感じた。モノカルチャー的な組織(例えば、ひと頃よりは多様化が進んでいるが、新卒入社日本人大卒男子ばかりの経営陣が経営する大企業など)は、環境があまり変化しない時代には強みを発揮するが、現代のように、いつ・どのように・どの程度・変化が起こるのかを予測することが難しい時代には、組織の中に、色々な考えを持つ人がいた方が組織の生存確率は高まる、という議論だ。
内田樹の議論に賛成なのだけれども、でも、多様なものを受け入れることを日本人が得意としてきた(それが日本的)という部分は、「そうかなぁ~?」と思ってしまう。
投稿元:
レビューを見る
日本って料理も音楽も、外国のものを取り入れて日本固有のものと融合させ日本オリジナルにしてしまう能力が高い
そういう習合力が、原理主義が蔓延る現代に必要である、という本
内田先生の本はいつも、「なるほど普通に考えたらそうだよな」と思わせてくれる
投稿元:
レビューを見る
習合とは、対立を回避する一つの日本的な解決方法なのかと思いました。これには良い面・悪い面両方があるのでしょうが、今の世の中の状況を考えると一つの解決策となるのかと思います。人は過ちを犯すことを前提とするとある考え思いを時間の経過(時間稼ぎ)と共に判断出来るのでは。現代は何でも急ぎ過ぎと感じます。
投稿元:
レビューを見る
著者も語っているが、話しに纏まりがなく、意図が不明。
私の選択ミス
主目的であった神仏習合からは、
程遠い。
投稿元:
レビューを見る
(2020/12/8)
習合 という聞きなれない言葉。
内田樹氏が何を言いたいのか、なかなかわからなかった。
ただ、彼のスタンスは好きなので、心地よく読み続けていた。
神仏分離と神仏習合、ここはある程度ピンときた。
俗に日本人は無宗教、クリスマスと年越しと正月の過ごし方がその代表のようによく言われるが、
内田氏はこれを無宗教ではないとした。
むしろ、明治政府が神仏分離を命じたときに素直に聞いた日本人に疑問をもった。
ところがどっこい、従ったふりをして、結局ある程度元に戻る。
当時天皇陛下を神とするために不都合だった神仏習合を廃したからくりが見える。
敗戦後民主主義が押し付けられた時の在り方。
君が代は詞は日本古来のものだが、曲はイギリス、ドイツによって書かれていること。
これぞ習合。
そして最後にわかった。内田氏が言いたいことが。
習合の反対は純化なのだ。
ここのところの日本の空気は純化の方向に向かっている。
自分と違う考えを廃する。在日日本人内田樹?
これは本には書いてないが、純化は単純化のような気がする。
馬鹿の一つ覚え。
今の政治家には教養、知性を感じない。
反中国といっていても始まらないのだ。
むしろ反米のほうが真の保守にはあっているはずだが、、
最後に大瀧詠一、細野晴臣らのはっぴいえんどが取り上げられている。
欧米の旋律に日本の言葉を乗せた彼ら。
それがニューミュージックとなり、今の日本の音楽の礎となっている。
これもまた習合。
うん、習合、少し理解できた気がする。