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ジョージ・フロイドさんが「I can’t bleathe」という言葉を残して亡くなった事件を発端に大きなうねりとなったBLM運動。
日本でも多くのメディアで取り上げられているが、アメリカの黒人高校生の身に似たようなことが起こったら…という視点で描かれている物語。
他の方のレビューでも書かれているが、黒人の高校生ラシャドの物語を黒人作家であるジェイソン・レノルズが、白人の高校生クインの物語を白人作家であるブレンダン・カイリーが書いている。
同じ地域に住み、同じ学校に通い、共通の友人が開くパーティーに参加しながらも、それぞれが属するコミュニティは全く違う。
ラシャドは、絵が好きないたってまじめな高校生。
友だちと会う約束の前に、立ち寄った雑貨店で、リュックの中の財布を探そうとしゃがんだところに、運悪く白人の年配の女性が転んで倒れ掛かる。
それを見た店員が、ラシャドに万引きの疑いをかけ、話も聞かず通報してしまう。
駆け付けた警官は、店の前でラシャドに必要以上の暴力をふるい、ラシャドは意識を失い病院へ運ばれる。
その現場をたまたま通りがかった、同じ高校に通うクインが見てしまう。暴力をふるっていた警官は、幼なじみグッゾの兄、ポールだった。
アフガニスタンで戦死した軍人だった父親は、地域の英雄。しかし父親の不在はクインの家族にとっては厳しい現実。そんな日々で、クインに兄のように接し、バスケットボールを教えてくれたのもまたポールだった。
本のタイトルにもなっている「オール・アメリカン・ボーイズ」とは、「全くアメリカ人らしい(白人の)少年たち」という意味合いで使われるそうだ。
我々外国人は、目にする情報だけで白人、黒人をカテゴライズしがちで、それも大きな問題であるが、アメリカの人々自体が、この言葉に象徴される呪縛にとらわれていることも、読み進むにしたがって見えてくる。
物語の終盤で、クインもラシャドも自分の行動を決める時が来る。
心に残ったフレーズを以下にあげるが、彼らの行動を変えるキーワードにもなっている。
「言うって、なにを?しっかり、しゃんと顔をあげなさいって?それを言ってどうなるのって、あなたを見たときに思ったわ。人間以下の扱いをされた人には、なによりもまず人間として接してあげなくちゃって。気持ちを楽にしてあげたかったら、たんに被害者扱いしちゃいけないわ。あなたはあなた、ラシャド・バトラーでしょう。なによりもまず」p.276フィッツジェラルドさんの言葉。
忠誠や誠実が大事なんじゃない。なにを信じて、なにを守るために立ち上がるかってことが大切なんだ。p.305クインの言葉
"不正が行われているときに中立であろうとするならば、抑圧する側に立つのを選んだことになる"p.330南アフリカで人種差別と闘ったデズモンド・ツツの言葉を引用して。
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ラシャドはバスケが好きで家では反抗期の普通の少年だ。
週末のパーティーに出席する前にポテチとガムを買おうと立ち寄った店で、警官に暴行を受ける。
警官は白人で、ラシャドはアフリカ系アメリカ人だった。
クインはラシャドと同じバスケチームだ。そんなに言葉を交わした事は無いけど。
事件の起きたとき、現場でその様子を見ていた。
警官は親友の兄貴で、いつも面倒を見てくれていた自分のヒーローだ。でも、少年を殴っている姿は、ただ恐ろしかった。
学校も町も、国中が真っ二つにわかれる。
ラシャドは病院の中から、問題が大きくなっていくのを眺めるしかなかった。あれは、自分なのだろうか。家族も元警察官の父と母、差別に憤る兄と、意見がバラバラだ。
クインは、親友と学校とバスケチームのことと、自分が見たものと自分がどう行動するかで悩み続ける。
実際の事件と社会問題を背景に、黒人作家と白人作家がパートを分けて書いたYA 小説。
〇ラシャドのお父さんは社会に心を折られたのだろうかと思っていたら…。苦しかったのだろうけど、本当に向かい合ったのは息子の事件があってだったのかもしれない。ラシャドがダーネル・シャックルフォードの為に決心したことをいつか話し合えるといいな。
〇グッゾとポールについても、もっと知りたかった。いつか、ラシャドが生きていて良かったと思ってくれたらいい。
〇日本についても、たくさん考えさせられる。クインもラシャドも、ポールも皆いるから。
〇尻もちをついた女性が、その場で説明してくれたら…と、思わずにいられない。騒ぎにならなければ、出てこなかったのだろうか。
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『オール・アメリカン・ボーイズ』ジェイソン・レノルズ、ブレンダン・カイリー、中野怜奈訳、2020年、偕成社
2013年BLM運動が立ち上がった頃に出会った黒人と白人の作家がそれぞれ黒人の主人公、白人の主人公の視点を担当して書いた共作。2015年完成で、今年邦訳刊行。
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ありのままで飾らない10代の少年らしい文体が良かった。
物語には様々な立場を取る人物たちが登場し、それぞれの人生において事件がどのような意味を持つのか、差別の複雑な構造や影響も描かれている。またBLMで実際に叫ばれているスローガンやハッシュタグの意味やデモに行かなくてはならない理由の説明も組み込まれているので子どもにもわかりやすそう。
黒人少年の主人公が無実の罪で警察に暴力を受ける際の描写があまりに生々しくて本当に読むのが苦しかったのだけど、作家のレノルズさん自身が実際に16歳のとき警察により暴行された経験があったあとがきで知り、現実の重みがこれでもかというほど胸に迫ってきた。
第三者が当事者としての自覚を得ていく
物語の主人公は黒人と白人の少年だけど、被害者側と加害者側として対立しているわけではないところがポイントな気がした。
白人主人公のクインは加害者となった警官を兄のように慕っていた目撃者の少年。警官の弟とも幼なじみで友情や義理と板挟みになり、自分が何をすべきか思い悩むが最終的に不正に抗議する決心をする。
しかし小説の中ではそのことによって関係は壊れてしまったままというのがなんとも言えない苦しい後味を残す。
さらに結末の時点では裁判の結果はわからないまま。きっとこの小説は、小さくとも制度の改革に繋がる身近な変化、葛藤する子どもたちが連帯していく過程に焦点を当てたかったのだと思う。
ただ、警官のポールが暴力をふるう姿を見てから同じ人だと思えなくなり警察暴力反対の姿勢を出し始めたクインを、ポールの弟でクインの友人だったグッゾが殴ってしまうという描写には少し複雑な気持ちを抱いてしまった…。友達を失ってでも差別には反対すべき、というのはもちろんなんだけど、加害者の親類はやはり暴力を振るうという描写はわかりやすいし、バイアスが刻まれかねない気もしたので、どうなんだろうな…と。わたしが知識不足なだけで、もしかしたら実際にそういうことがあるのかもしれないけど。
内面化された偏見
さらに被害者ラシャドの黒人の父親が起こした過去の事件は、黒人でも黒人差別はできるという例になっている。
父親はまさに白人社会に迎合することで白人社会に認めてもらおうとする典型。実の息子が警察暴力の被害に遭ったというのに、無実を疑ったり格好のせいにしたりする。
逆に兄は積極的に活動している。そんな2人に挟まれながらデモに行くか迷うときのラシャドの「恐怖」がきちんと描かれているのもよかったと思う。黒人男性の有害な男性性の否定という意味でも。
また、初めから積極的に立ち上��る女性もいるし、息子のために怒りを表明できるようになる母親もいるし、悩みながら主人公と一緒に正義を考えて行動を起こす女の子もいる。
ちなみに気になる女の子がいても恋愛関係が発展するのではなくて、共通の課題に共に立ち向かうという関係性になっていくというのがとてもよかった。
「違い」を超えた連帯の先に …
エンディングで実際に命を落とした人々の名前が呼ばれていく場面では、この作品が出版されてから5年後の現在も名前が追加されていっているという事実を考えずにはいられず。
「○○は?」という質問に対する「今日もいない!」と答えが示すのがいつの日か、「無防備なまま警官に殺された黒人たち」のことになるようにとの強い願いを感じた。
ある記事(https://t.co/2Bz3e5dhoz)にこんなことが書いてあった。
「この本が米国で出版されたのは2015年。レノルズさんはかつて、海外メディアのインタビューで「この本が5年後には絶版になっていればいい。博物館に入って、『こんな時代もあったね』と言われてほしい」と話していた」
わたしも読んでいて辛かったし、子どもがこの本を読まなくても良いような世の中になってほしいとずっと思っていた。でも、現実には5年後の今もBLMは終わっていない。
こうして2020年にこの作品が日本でも出版されたことで、アメリカの黒人はもちろん社会の中で差別や抑圧や暴力を受ける全ての人々が平等になれる世の中を目指していける人々が増えて、未来を変えていければと思う。子どもよりもむしろ大人に読んでもらいたい気もするけど。
本を読み始めて気がついたけど、小説だと映像とは違って登場人物の肌の色は目に見えない。特に語り手が一人称のとき、見えるのは人物の肌の色ではなくて、人物の視点から見た世界であり、それは他の人物が自分を見る目でもある。
そういう体験ができるのは本という媒体ならではだと思うので、やはりこれからも色んな人が書いた本を読んで自分が知らずに生きてきた世界について勉強していきたいと思った。いつかそうして積み上げたものを実際に活かせるように、諦めずに頑張りたいな。
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ラシャドとクインの二人は、年齢や家庭環境では大きな差がなく言葉遣いも同じような感じがして、他の登場人物も名前から白人なのか黒人なのか、それ以外の例えばヒスパニックのような人達なのか分かりませんでした。けれどもそれは現在のアメリカの高校生らしさは人種や肌の色で違わないということを表現しているのかなと思いました。
物語が進むにつれ、それぞれ黒人として白人として求められる生きづらさが描かれ、二人の生きてきた道に差があることから、はっきりと二人の姿が想像でき、それぞれの意識の変化を心強く感じることができました。
日本は、人種がアメリカのように多様ではありませんが、性別や障害の有無、経済格差などいろいろと分断されるようなことが多いように思います。この本を読んだ子ども達が、アメリカの話と思わずに自分の身近にも同じようなことがあると思って、考えようとしてくれたら良いなぁと思いました。
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おすすめしている人がいたので、借りて読みました。
黒人の高校生ラシャドは、店で万引きを疑われ、白人の警官に暴行されてしまう。
白人の高校生クインは、たまたまその暴行現場を目にしたが、その警官はふだんは頼りがいのある兄貴のような存在で、戸惑いを隠せない。
ラシャドは入院し、そのニュースは世間で大きくなっていく。
(2015年刊行、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーになり、多様性の価値を表現したYA小説・児童書に贈られるウォルター・ディーン・マイヤーズ賞、優れたYA小説に贈られるアメリア・エリザベス・ウォールデン賞を受賞)
ラシャドとクイン双方の視点で、暴行のあった金曜からの1週間が描かれる。
黒人のラシャドの部分は黒人のジェイソン・レイノルズ、白人クインの部分は白人のブレンダン・カイリーが書いたという。
2020年のBLM(ブラック・ライヴズ・マター)のニュースが記憶に新しいけれど、そのときはテレビから聞こえてくる遠くの出来事だと思っていた。
公民権運動などの単語が、この物語で感情を帯びてきて、最後は自分もそこで涙を流していました。
奴隷とか「そもそもなんで?」なのは、たぶん、相手を知らないからなのだろうと思いました。
日本では、自分をマイノリティだと感じている人はラシャド側で読むかもしれないけれど、私も含め多くの人はクイン側で読むと思います。
見てしまった・知ってしまった場合、「中立」を選べばそれは権力のある側についたことになる、という旨の文章が刺さりました。
すべてを自分に引き付けて自分事とすることはできないけれど、中高生だけでなく大人にも読んでみてほしい一冊です。
授業でこういうことを取り扱ったとき、こういう本が紹介されれば、もっと深く、広く、世界を知ることができるのにな、と思うのは、私が大人になったからでしょうか?
島国日本で「あっ外国人だ」と思ってしまうのを、そうしないように。
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被害者である黒人の少年の視点と傍観者である白人の少年の2つの視点で描かれた作品。1つの事件をきっかけに社会に根づく偏見や差別が顕になったとき、それぞれの少年が何を考え、どのような行動をとるのか。印象的だったのは、中立や傍観者という立場も一種の差別、偏見、暴力であること。誰かが無関心である限り、世の中は何も変わらないということ。
本作を読んでいるとき、最近放送されているドラマ『ミステリと言うもの勿れ』の、「真実は人の数だけある、でも事実は1つ」といった内容のセリフを思い出しました。この作品で起こった出来事にも2つの真実があります。1つは黒人の少年の無実なのに盗みを疑われて、暴力を受けたこと。もう1つは加害者側の警官による、窃盗を犯そうとした少年を逮捕しようとしたこと。しかし、事実は抵抗もしてない少年に警官が必要以上の暴行を加えたこと。警察や司法で公平に裁かなければならないのは事実で、私たちが考えなければならないのは警官の罪ではなく、警官の偏見や差別を生み出してしまった社会や歴史なのだと思いました。
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昨今のBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動を受けた、黒人への差別をテーマとして取り上げた小説は少なくありませんが、
・白人警官に一方的に暴力を振るわれた黒人少年
・暴力をふるった白人警官の弟と、その親友
が同じ高校に通っている、というのは現在のアメリカ社会の複雑さをよく表している設定だと思いました。
黒人少年・ラシャドと、警官の暴行を目撃していた白人少年クィン(警官と、その弟と、家族ぐるみの付き合いがあった)の二人の視点から交互に描かれますが、二人の著者がそれぞれのパートを担当したこともあってか、差別を受けるもの・差別をするもの(あるいはその社会状況を受け入れるもの)の双方から、非常にリアリティのある文章で描かれていると感じます。
「自分は人種差別などしない」と考えている(思いこんでいる)人にこそ、ぜひ読んで欲しい作品です。
「世界から差別をなくす」ということは簡単ではありません。これまでの歴史で刻まれた溝や、宗教の違い、見た目の差など、自分(自分が所属する集団)とは異なる相手のありのままの姿を受け入れることが難しい、という事もあります。しかし、だからといって相手を排斥したり、不平等な扱いをしたりすることが正当化されるわけではありません。
アメリカの人種差別問題が(その数の多さもあって)注目されていますが、翻って日本に目を向けてみれば、アイヌ民族などの少数民族が「同化政策」によって自らの文化を捨てるように強制されたり、在日朝鮮人などがヘイトスピーチの対象となったりするなど、決して他人ごとではありません。
「不正が行われているときに中立であろうとするならば、抑圧する側に立つのを選んだことになる」という、南アフリカで人種問題を戦ったデズモンド・ツツの言葉が本作で紹介されていましたが、これは人種差別でも、学校でも起こる「いじめ」でも、共通して言えることだと感じます。
間違っていることをみて、「それはおかしい」と声を上げることは、勇気がいることです。しかし、いじめや差別、もっと大きな視点で見れば国全体が戦争に向かうような世論になったときに「反対だ」と声を上げることができるかどうか。それが、これからの社会を形作ってゆくうえで一番身につけなければならない力なのではないか、と感じます。
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白人警官に膝で首を押さえつけられ息ができずに亡くなったジョージフロイド事件を思い起こさせる小説。
同様の体験をした黒人の筆者と、その友人である白人の筆者による共著。それぞれの人種の立場から見える世界を交互に描き物語が進んでいく。
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何を信じて、何を守るために立ち上がるかってことが大切なんだ。
「不正が行われているときに中立であろうとするならば、抑圧する側に立つことを選んだことになる」デズモンド・ツツ
なかなか!
差別って、結局差別されてる側に立たなきゃわからない。
黒人と白人の両方から事件に切り込んでいくってすごい発想。
警官のポールは・・・
そこは語られないんだ、っていうか、変わらないんだろうなあ、だから、事件は繰り返される。
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2人の視点から描かれる街で起こった事件は、この2人だけでなく多くの人を考えさせるきっかけになっていく。ラシャドは自分の身に起こったことでありながら半分うわの空、クインは白人に囲まれ生きてきて自分で考えることを放棄していた少年だった。実際に見える距離に事件が起こり、自分の頭で考え行動に変えていく2人の人生は強い芯と勇気を持って輝いていったように感じた。
印象に残ったシーンがいくつかある。
はじめてクインが行動に移した「見えない人間」を音読した時、どんな気持ちだっただろうと思いを寄せた。何が正義かという問いにまだ答えを見つけきれていない中で直感的にやらなければという使命感に突き動かされたクラスメイトたちがすごく印象に残るシーンだった。「正しいことを言うとか、間違ったことを言わないだけじゃなくて、それ以上のなにかを。」(本文p248より抜粋)
フィッツジェラルドさんの想いを聞くことは戦時中のおばあちゃんの話を聞くようだった。実際にその時代を生き、その目で見た人の言葉は到底他の人がまねできない力強いものがある。そしてそれが戦った人ではなく戦えなかった側の考えであったことも今のラシャドと重なる部分がありラシャドにとってはっとさせられる言葉だっただろうなと思い、その言葉・想いに重みを感じた。
またラシャドがそれをきくことと同時期にクインも「ラシャドが道に倒れていたとき、俺はどこにいた?この時代に黒人の若者たちが路上で暴行されているとき、俺はどこにいた?〜(中略)〜俺は逃げてたんだ。」と気づき自分の頭で考え意思を持ち行動しようと決意する姿に心打たれた。
私は日本に住み、その中でも田舎という地に住んでいて人種差別というものを肌で感じる機会がない。だから関係ない、という話ではない。この話は人種問題だけの話ではなく他の問題についても通づるものが多くあるととても感じた。実際、多くの問題がこの世の中には存在してる。でも私は存在している、ことを知っている、ただそれだけなんだと突きつけられた気持ちだった。私は今何をしている?ウクライナとロシアの戦争をみて、性差別の現状をみて、いじめの問題をみて、私は今何をしているんだろう?これらの問題に対して実世界の行動として私にできることはほとんどないかもしれない。が、私はただニュースで流れてきた問題を傍観しそのまま受け入れ、自ら知ろうとさえしていないことに危機感を覚えた。クインは今動かなければ未来はないんだと教えてくれた。
この話はクインとラシャドの話ではあるが、多くの立場の人が描かれていた。加害者、被害者、その家族、友人、学校の生徒、先生。そう、これは社会の問題で当事者だけの話ではない。この本ではいろんな立場に想いを馳せることになったが、偏らない多くの意見を聞くことで、正解不正解という単純な形に落とし込むことではなく、自分で考え、その先に持てる意見があるとおもった。読者にどうしてもこれが正しいと言いたいわけではない(とはいえ世の中には自分の善悪がやはり存在するが)。人はやっぱり互いにしろうとしなければならないのだと、私はそう感じた。
この本を書いた著者は2人だという。とても興味深いと思った。だか���こそここまで深く多くの意見や想いを感じることができた。
素晴らしい本だった。
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YA
黒人への暴力、差別
ポテチを盗んだと勘違いされ警察に激しい暴力を受ける
事件に対して異なる反応をする人達が描かれて意識の違いが分かる
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令和3年度神奈川県児童福祉審議会推薦優良図書
気になっていたけど後回しにしていた本。アメリカの若者達、黒人が不当に扱われている実情が綴られていました。話は高校生十六歳の黒人ラシャドと白人クインが交互に語って進みます(著者も二人で執筆)。二人は同じバスケットチームに所属していますが、さほど仲良くはしていません。ある日ラシャドは店内トラブルに巻き込まれて不当に逮捕されます。しかも、死ぬかもしれないほどの暴力を受けて…。クインはその現場を目撃しますが、ラシャドには気づかず、警官の方が自分に親切にしてくれた、これまたチームメイトの兄だと気付き、その暴力に恐ろしくなってその場から立ち去るのです。その日からデモまてが語られます。
数字は嘘をつかないと数学の先生が語った話が印象的でした(P291)。2012年イギリスで警察に射殺されたのは、人種問わず一名。(略)アメリカでは2012年までの連続七年間、毎週ほぼ二人の黒人が白人警察に殺されている。
七十四のおばあさんは公民権運動を経験している。差別もリンチもせんぶおぼえてる。選挙にだっていけなかった(P278)。というのにも驚いた。ほんとうについ最近まで人権どころの話じゃない扱いだったのだ。
アメリカ、問題は根深い。
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良かった。
アメリカにおける差別の構造を白人の視点から、黒人の視点から見つめる。
ほぼ『ブラインドスポッティング』なのだが、文章を辿ることで分かることがある。
見えてくるものもある。
最初の2ページと最後の2ページを並べて泣いてしまった。
この本は殺された多くの黒人の命から生まれた。
つらい。
『ブラインドスポッティング』を観て心を揺さぶられた人は此方も是非どうぞ。
ジェイソン・レノルズ、これからもついていきたい。
逆にブレンダン・カイリーは初めましてだったので他の本も読んでみたいな。