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歌集を読んだのはほぼ初めてだったが、31文字で掌編小説のような世界が作れることに驚き、美しい日本語に驚いた。知らない言葉が多く、噛み締めるように2ヶ月くらいかけて読んだ。充実した読書体験だった。
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P.47。三文字が反芻する。これは自分だけかもしれないけれど、恐らくそうなのだろうけれど、思わず深く頷いてしまった。
単なる一個人の意見ではあるが「わたくし」が水生生物であるかどうか等聞いてしまうのは些か野暮に思える。そう思った。頁を開き、手に取った栞を読み首を傾げた一文だ。完成された空間に手を加えるなど不必要だということに疑問を抱える必要は無い。何故ならこの文字群は、まさしく、作音楽器だからである。
決まった音だけでなく、微妙な、その日全てを引っ括めた一瞬でしか味わえない音をあえて閉じ込めたそれらに対して何を疑問に思う必要があろうか。湿った苔は岩肌に、彼女の声は貝の中に。それでいい。それだけが救いだ。これは、Lilithは、ほころびを許さない作品であるとも思う。ほころびに見えるものは「そうあるべきもの」として存在している。如何にも、世界は此処にあったのだ。息巻く色とりゞゝの花と濡れた枯葉は晦冥に呑まれる前に此処に落ちたのだ。Lilith、かがよう字を、また教祖を目撃した心地である。出逢えた事に感謝を。
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Twitterで話題になっていたので手に取りました。現代短歌を読むのはこれが初めて。文語調の作品で格調高く、一読しただけでは作品を味わい尽くせない奥深さがあります。限られた文字数で表現された言葉による芸術は1枚の絵画、或いは写真のようにも感じられました。また『言葉の内包する構造にそのまま操られることなく、言葉と刺し違える覚悟を持つこと、それこそが文学の役割であると信じて』いるという著者の言葉にも痺れました。
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わがウェルギリウスわれなり薔薇(さうび)とふ九重の地獄(Inferno)ひらけば
狂恋を逃れむがため木となりし少女らならむ花のなき森
harrasとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで
無性愛者(アセクシャル)のひとはやつぱりつめたい、とあなたもいつか言ふな だありや
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自然や動物だけでなく幻想世界を掴み取っているようなスケール感。社会的な普通への反抗心が、文語で端麗に紡がれている。すごすぎる
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美しい。言葉の海をたゆたわせていただいた。
勉強不足でこの作品を味わい尽くせないのが残念。
沢山の言葉との出会いをいただきました。
個人的に、「炭酸と鸚鵡貝」「boy meets girl」に好きな作品が多かったです。
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若き女性歌人の鮮烈な第一歌集。特に女性への男性の意識を弾劾した「Lilith」の連作は衝撃的だ。東京大学大学院在学中の作者は小説などへも手を広げているらしいが、短歌をやめないでほしいと切に思う。「馬手と云へり いかなる馬も御さずしてさきの世もをみななりし馬手」「harassとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで」「なにゆゑに逃げざりしかと問はれゐつ共犯問ひ詰むる口調に」「摘まるるものと花はもとよりあきらめて中空にたましひを置きしか」「青年とわれは呼ばるることなくて衛ってやると言はれてゐても」「さからはぬもののみ佳しと聞きゐたり季節は樹々を塗り籠めに来し」「うつくしき沓を履く罪 踊り出す脚なら伐れ、と斧を渡さる」「魔女を焼く火のくれなゐに樹々は立ちそのただなかにわれは往かなむ」
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Lilithとは、ユダヤ教における悪霊なのだそう。
男児を害すると信じられていたのだそう。
けれど現代リリスは、女性解放運動の象徴の1つともなっているのだとか。
どこまで遠く想いを馳せているのだろう。
何故かそんな風に感じた。
古語を用いた短歌が凛とした感じ。
けれどどこか寂しさを感じるような。
私視点の歌であっても、どこか第三者目線のように冷静で淡々とした感じ。
決して感情的ではないのだけれど、言葉は静かに鋭角に刺さってくる。
お幾つの方なのだろうと検索すれば1991年年生まれとあって、まだ30代前半なのだと改めて驚く。
「第一章 anywhere」 の「借景園」から印象的だ。
これはおそらく庭園などではなく、自宅から見える隣家の庭。
老いた隣人が住んでおり、茉莉花やコスモスが咲き、藤棚のあるその美しい庭を背景とした自宅からの眺めを借景園と名付けている。
隣人亡き後、藤棚もみな刈り込まれるという喪失感。
"花の終りは季節の終り"。
「ひとびとは老いて去りゆく 最愛の季節の花の庭を遺して」
「夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの」
「花の終りは季節の終り ひとの手が咲きつつしぼみつつ花殻を摘む」
「第二章 out of」の「転身譜」にある、
「ひとがひと恋はむ奇習を廃しつつ昼さみどりの雨降りしきる」
も印象的だった。
突然この一首だけ読むと唐突だが、これより幾つか前の歌に「天馬の脚」や「馬なる下半身があらがふ」とあるので、半人半馬と"転身"させての歌のようだ。
とは言え、人が人を恋する気持ちを"奇習"と呼ぶ感覚は衝撃的。
「春よわれらに再演あらば幻獣と狩人として巡り会はむを」
再演など無いのだろうけれど、もしあったのだとしても幻獣と狩人では、追われる者と狩る者。
もし春が恋を表すのだとしたら、たとえ狩られて命を奪われようと、追われる者と狩る者として永遠に季節を巡りたいということか??
でも同じ「転身譜」の中で、"奇習"と呼んでいるしなぁ。
本書『Lilith』の栞で佐藤弓生さんが「秩序と理性の葛藤」と仰られているのは、こういったところだろうか。
同じく第二章の「老天使」にある、この一首。
「葩(はなびら)は花にはぐれてゆくものを夢(いめ)ゆ取り零されし残月」
花びらが散ってゆく事を"はぐれて"と表したり、残月を夢から"取り零され"たと表したり、儚さのある美しさを感じた。
「第三章 the world 」は毛色が急に変わる。
「harass とは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで」
「摘まるるものと花はもとよりあきらめて中空にたましひを置きしか」
「葩に顔を喰ひ荒らされながら運河走れりゆめ澱むなよ」
「たれも追わずたれも衛らず生きたまへ青年よいまここが対岸」
「無性愛者(アセクシャル)のひとはやつぱりつめたい、とあなたもいつか言ふかな だありや」
生きづらい世の中。
怒りながらも懸命に生きている力を感じた。
残酷なくらいに言葉が刺してくる。
帯に「……言葉と刺し違える覚悟を持つこと、それ���そが文学の役割であると信じています」(著者あとがきより)とあり、もうほとんど、この文章に衝撃を受けて本書を手に取ったと言っていいくらいだ。
川野さんの覚悟や戦いが、神聖な言葉言葉たちと共に流れ込んでくる。
あとがきも必読。
他にももう少しご紹介したい。
「街はふと裏がえり道はからみあう刺繍糸 どこへゆくのだ、ひとは」
「エル・ドラド、アヴァロン、エデン、シャングリラ 楽園の名がいだく濁音」
「植物になるならなにに? ばらが好きだけど咲くのは苦しさうだな」
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短歌は場面を切り取るものだという思い込みがあり、現実を描くものだという思い込みがあり、幻想的で物語性を感じる作品群に圧倒された。