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2人の発生生物学者が、胚構築に関する研究や生殖技術の実際を解説する。
これらを通して、読者が生命倫理について考える手引きとなっている。
2人のうち、ギルバートは世界中で使用される教科書(『ギルバート発生生物学』)も書いている発生生物学の権威。ピント-コレイアは発生生物学者でありつつ、自身、不妊治療の経験者でもあり、科学史家でかつ小説も書くという多才な人物である。
この2人が、いくつかのテーマについてそれぞれ語る。立場の違う2人が語ることで、問題を立体的に見ることが可能になるという作り。
版元の羊土社は、生命科学や医学の専門出版社。本書のレーベルはPEAK booksで、これまでに翻訳書が7冊出ている。科学・医療読み物でノンフィクションが多い。
専門的にかなり突っ込んだ内容も多いが、発生生物学から見る生命倫理という視点はなかなか示唆に富む。
受精の際には、動かずにいる卵子の元に、真っ先にたどり着いた精子が穴をあけて潜り込む、といったイメージで捉えられがちだが、研究からわかってきた実際の姿はこれとはやや異なる。精子の側も卵子の側も、ときには能動的、ときには受動的に、どの精子が選ばれ、どの胚が発生を続けるかに関与する。これらに加えて女性生殖管も関わる一連の相互作用があり、受胎へと進んでいく。
受精後、いつからが「人間」であるのか、古来、さまざまな見方がされてきた。
ヒトはいつヒトになるのか。受精したときか、胚が1つの生命体になることが確定した(原腸形成)ときか、脳波パターンが得られるようになったときか、出生時またはその近辺(自発呼吸、母体外での生存能)か。
これは科学的な議論だけでは完結せず、宗教的、政治的な見解が絡んでくる。中絶がいつなら許されるのか、あるいは一切許されるべきではないのか、立場の違いから、議論を呼ぶところではある。
近年、科学技術の発展により、生命倫理に関わる大きな論点があらわになってきた。クローニングや生殖医療がその例である。
クローンヒツジ、ドリーが1990年代に誕生したことで、哺乳動物のクローニングが可能であることが明らかになった。つまり、生殖細胞でない分化した細胞から、同じ遺伝情報を持つ生物を生み出すことが可能となったわけである。元々は、例えばインスリンのようなタンパク質性の物質を組換え動物の乳から大量に入手できないかというのが開発動機の1つであった。しかし、実際にクローン動物が生まれてみると、当初思いもよらなかった問題が出てきた。クローン動物は健康上の問題を抱えることが多かったのだ。産業用として有効とはいえないが、一方で、DNA修飾(メチル化)パターンの異常などが見つかり、細胞分化や細胞の癌化について、今後、新たな知見が得られる可能性もある。
またこれと別に、ヒトのクローニングは許されるのかといった問題や、亡くしたペットの代わりにクローンペットを求める人々の存在など、生命倫理の観点から多くの難問の可能性も出てきている。
生殖医療の発展もまた、大きな問題を孕む。
不妊��苦しむ人は少なくない。技術が進んできたとはいえ、不妊治療には費用が掛かる。成功するかどうかは確率の問題で、失敗が重なることもある。身体への負担もある。いつまで、どこまで続けるのか。悩みどころは多い。
パートナー同士の精子・卵子を用い、当事者自身の子宮で育てられる場合ばかりではない。精子・卵子がドナーのものであった場合、両親のどちらかは生物学的な親ではない。
出産を代理母に頼むとしたら、妊娠中に変事があったらどうするのか。また、情が移って渡したくないと言われたらどうするか。
生殖医療の1つに「ミトコンドリア置換療法」によるものがある。ミトコンドリアはエネルギーを供給する細胞内器官で、ヒトの場合、母から引き継がれる。母がミトコンドリア異常を抱えていると、胎児が無事に発生できない。そこで、ミトコンドリアを第三者のものと入れ替える。つまりこの子には「3人の遺伝的親」がいることになる。操作の度合いも大きく、安全性の問題もある。
CRISPR-Cas9の発見により、遺伝子編集が格段に容易になったことで、「望ましい」形質を持ったデザイナーベビーの誕生につながる恐れもある。遺伝子編集を伴わなくても精子バンクなどで、高学歴であるとかあるいは見た目がよいとかいう点で、ドナーが選ばれることは珍しくはない。
新しい技術が生まれることで、今まで考えられなかったような問題が出てくるわけである。
さまざまな視点から考えさせられる1冊である。