投稿元:
レビューを見る
原著1969年。
アフリカのンデンブ族の儀礼を中心とした民俗誌的記述が最初の二つの章を成す。これは興味深くて面白かった。
しかし第3章以降、一挙に話は広がり、ヨーロッパの王権時代やらインドやらキリスト教やら、ベルクソンだのトルストイだの、果てはボブ・ディランの名前まで飛び出す。まさに壮大なスケール、「人類学」の字義通りの巨視的視座に立って話は抽象化していく。現実的な民俗誌からかけ離れたこういった理論には、少々ついて行きにくいものがあった。
著者ターナーはレヴィ=ストロースと論敵の関係にあるらしく、その名もしばしば言及される。何やら不穏である。
著者の打ち出す「リミナリティ」「コミュニタス」といったタームはどうもわかりづらくて簡単に呑み込むことができなかった。後者「コミュニタス」とは、通過儀礼の前とも後とも異なる中間の状態において顕現する、その人間個人の他者との関係性とかなんとか、そういうことのようだが、一般の社会科学においてカーストなどの社会的構造のみを論ずれば見失われていってしまう個々の人間たちの触れ合いや実存を、この用語によって復活させ、呈示しようと意図したのだと解釈すれば、なるほどそれは重要なことかもしれない、と思う。鳥瞰的な視線に対する、人間たちの目の高さにある水平の視線。それなら、たしかに忘れては成らないものである。
それは従来、むしろ文学という領域において重視されてきたものと思われるが、著者ターナーは文学趣味も持ち合わせていたため、このような多層的視角を提唱したのであろうか。
が、それにしても、あまり読みやすくなく、わかりにくい本だった。いつかまた、この著者の視点に再度出会い、その価値の重要さに感動するようなことがあるだろうか。