紙の本
こういうアニメの本を待っていた
2021/05/30 06:16
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投稿者:MACHIDA - この投稿者のレビュー一覧を見る
社会的視点から「戦争」の取り扱いの時代による変化をアニメを通じて論じた好著。作家や制作者の世代による違いも興味深い。また、優れたアニメ史分析でもある。気になる点があるとすれば、やや紋切り型の世代論、アニメ以外のコンテンツの流れへの言及も少しほしかった、観客の反応も加えたかった、等々。いずれにしても、現時点アニメではこの方面の類書が少ないので貴重な研究成果といえる。
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優れた作品ほど時代を反映しているんだと思った。制作者が魂を込めて作ったからこそ、その人や世代の価値観、戦争感がでるんだなあ
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戦前、戦中、戦後と年代ごとにアニメの中で「戦争」がどう扱われてきたかを、真正面から“評論”している。意識的かどうかに関わらず、時代によって見事に移り変わっていく「戦争」の扱われ方が、スパスパと論拠されていて、読んでいて心地よい。実際自分がリアルタイムで観ていたガンダムとマクロスの間の数年でも、その戦争の取り扱い方が違うのにも、時代背景的理由があったのねと納得できた。とりあえずパトレイバー2の録画残ってたはずだから、ちゃんと観てみよう。
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人は幼児期や青年期に社会情勢に影響を受ける。
と同時にその頃の創作物を受け取る。
成年以降数十年かけて、かつての影響を保ちつつ、現在に通用するものを作る。
それを見た視聴者もまた同じ流れで、先行者に憧れを持ったり批判したり仮想的にしたりしながら、作り手になる。
というサイクル。
このサイクルを意識しているからこそ、単なる世代論に陥らない「アニメと戦争」論ができている。
折に触れて読み返したい。
なんで庵野秀明「エヴァ」を取り扱ってないねんと最初は思っていたが、著者がニコ生で言うことには、
ロジェ・カイヨワによる戦争の定義「破壊のための組織的企て」→軍事的なもの同士の争いがあるかどうか、が基準。
エヴァは自己確立(成長)の話だから、ということらしい。
@
はじめに
1 『ゲゲゲの鬼太郎』という“定点”
2 『桃太郎 海の神兵』の同時代性と断絶
3 少国民世代、「戦争」を描く
4 『宇宙戦艦ヤマト』の抱えた分裂
5 誰も傷つかない「戦争ごっこ」の始まり
6 「ポスト戦後」時代の戦争アニメ
7 ポスト戦後の中の「過去の戦争」と「未来の戦争」
8 『紅の豚』の苦悩、『パトレイバー2』の現実
9 冷戦後の「アニメと戦争」を構成する三要素
10 二一世紀にアジア・太平洋戦争を語ること
おわりに
成田龍一。状況の時代1931-1945、体験の時代1945-1965、証言の時代1965-1990、記憶の時代1990-。
悔恨共同体……戦前世代1910-、戦中世代1920-、少国民世代1930-生まれ。
藤津亮太 水木しげる 大塚英志 梶原一騎 石ノ森章太郎 永井豪 辻真先 西川義展 石黒昇 松本零士 富野由悠季 高橋良輔 河森正治 美樹本晴彦 高畑勲 宮崎駿 押井守 神山健治 島田フミカネ 水島努 荒巻義雄 田中芳樹 司馬遼太郎 こうの史代 片淵須直 会田誠
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ガンダムは独立戦争、宇宙戦艦ヤマトは異星人
の侵略に対する戦争が描かれています。
アニメでは多くの「戦争モノ」が題材にされて
います。
本来戦争を表現することは非常にデリケートな
事柄であり、今もドラマの太平洋戦争のシーン
には、製作者側は大いに気を使うといいます。
しかしアニメでは何となく遠い世界の出来事の
ように描かれています。
それは製作者側の年齢によるものと、本書は説
いています。
ガンダム、ヤマトの製作者の年齢は、すでに戦
争体験者ではなく「物語」であったのです。
その前の世代にとっては「体験」として戦争を
アニメに取り込んでいました。
つまり、どの時代にどの世代に作られたかによ
って、アニメの中で戦争の捉え方が大きく異な
るのです。
そんなアニメの歴史と共に時代の変遷がわかる
一冊です。
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アニメの中で戦争がどう扱われているか、について整理した本。
もちろん、その意味でも有意義なのだが、私にとっては、賛否両論のあるセンシティブな話題を、どう整理していくか、の実例を見せてくれた本だと思う。
過去の事実や倫理的なステレオタイプがありうる、戦争というものを、多くの作品はどうやって語っているのか。
いろいろな切り口や思いがあって、それを今の捉え方から、簡単に切るのは違うのだなと、改めて思った。
また、戦争を扱った作品がアニメだけでもこんなにあることを知り、もっとそれらを見て、勉強というか、自分の中の戦争というものを考えたいと思った。
いろんな気づきができる、良い本だと思う。
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アニメやゲームなどのフィクションがなぜ戦争を用いてきたか。なぜ用いなければならなかったのか。ということに、いちオタクとして長らく疑問に思っていました。
本書ではあくまで日本のアニメ作品における分析でしたが、日本の作品群を考えるのに十分な思考を与えてくれました。
20世紀初頭から日本は世界戦争に参加し、その中で生きた人々の思いが込められていること、そして、終戦後の世代における戦争の未経験がエンターテイメント的戦争として現れてきたことが分かりました。
本書に挙げられたアニメ作品のいくつかは見たことがありましたが、それが戦争に対してどのような姿勢で描かれたかを考えたことはありませんでした。そもそも、アニメは娯楽で享楽的であり、言ってしまえば、製作者の性癖やエゴが詰め込まれた楽しけりゃそれでいいの世界だと考えていたからです。ですが、本書のおかげで自分が確かに引き込まれた世界観の中にはっきりとした意図が込められていることに気づくことができました。
今後、フィクションを見たときにそれが本書で書かれたどの象限に位置するか考えてみようと思いました。
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アニメにおける戦争の扱いがどのように変わってきたか、そしてその扱いの変化はなぜ起こったかを歴史に沿うようにして解説した本である。
自分が知っている戦争アニメは「この世界の片隅に」と「はだしのゲン」と「風立ちぬ」程度だったので、野球アニメとして名高い「巨人の星」が実は戦争に影響された作品であることや、湾岸戦争という日本人が直接的には関係していない戦争をテーマに入れた「パトレイバー2」のような作品があることを初めて知った。
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歴史学者の成田龍一さんが提唱する時代の4区分※をベースに、戦中戦後のアニメの中に内在する日本人にとっての戦争意識を浮き彫りにした作品です。
※ 1:戦争が実際に行われていた「状況」の時代。2:語り手も聞き手も戦争体験がある「体験」の時代。3:戦争を知らない人が聞き手となる「証言」の時代。4:戦争体験のない人が多数を占める「記憶」の時代。
紹介されたアニメの殆どがYouTubeで視聴できたため、都度確認しながら読書しました。
読了までに時間がかかりましたが、アニメの確認は理解に役立ちました。
記載のアニメの中で一番腑に落ちた作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』の「妖花」でした。
時代が変わる都度、主体と客体の時間間隔がどんどん開いていきます。
どのように表現すれば、戦争を自分に繋がる問題として理解できるのか。それを明確に表した作品だと思いました。
そもそもどうして戦争がなくならないのか。民族宗教気候の違いといった想像できる原因はともかく、もっとシンプルな源はどういうものなのだろう。
それは、あの人が嫌い、あの人ずるいななどの、自分にとって理不尽に感じるものなのかなと思いました。
となると、このような感情は大なり小なり皆がこの種を持っています。ゆえに、戦争の「種」を根絶することは難しいのかもしれません。
アニメは、双方の立ち位置を踏まえて、リアルを突き詰めて描くこともできますし、デフォルメして描くこともできます。シビアな部分を薄めることも濃くすることもできます。
アニメは戦争の証言をナレッジし、戦争の「種」の芽吹きを抑止するチャネルでもあるのだと感じました。
現代ではインターネットが普及し、アニメの鑑賞を即座にシェアできる環境にあるため、アニメが単一的なプロパガンダになることはあまりないかと思いますが、以前として戦争の「種」のスイッチを持っています。
その不穏さが丁寧に記述されていた本でした。
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歴史をたどりながら、アニメは戦争をどう描いてきたかをひもとく。「状況」の時代、「証言」の時代、「記憶」の時代という指標を掲げ、「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」、「超時空要塞マクロス」、「紅の豚」、「風立ちぬ」、「この世界の片隅で」など具体的な作品をあげて、制作者の思想と社会状況の変化を追う。アニメ評論を通して時代をとらえようとした意欲作である。
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アジア・太平洋戦争の戦時下の日本で、アニメは新聞やラジオと同様に戦意昂揚のプロパガンダを担い、「桃太郎海の神兵」などで戦争を描いた。この時代を生きた人びとは、戦時の「状況」を知り、出兵の見送りや空襲を「体験」した世代である。戦後復興を経て、1960年代に至り、泥沼のベトナム戦争を背景に、再び戦争や米平連などの反戦運動が取り上げられるようになる。それは、少国民として生きた世代の戦争体験をした水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の「妖花」に代表されるシリーズとして戦争が「証言」される時代になる。1970年代に入ると、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、時空要塞マクロスなど、実在の戦争から架空の戦争へという大きな変化が生まれる。一方で、1970年後半から「ガラスのうさぎ」や「対馬丸」など、太平洋戦争を題材にした作品が多数制作公開される。1990年代に入り、冷戦終了の世界情勢の影響を受けた作品として「紅の豚」などが上映され、「萌えミリ」や「艦隊コレクション」など、美少女とミリタリー要素を組み合わせた作品へと移行していく。2010年を迎えて、あらためて「記憶」の時代としての、宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」、や片渕須直監督の「この世界の片隅で」などの作品で、戦前の生活を丁寧に描き出し、記憶考証を行う。
普段何となく見ている映画、動画のアニメなど、あらためて歴史的背景とした時代考証としてのアニメを整理する上で、読むと納得の1冊ではないだらうか?
なお、ここからは、個人的な話しになるが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を映画館で見て、なんとも理解しがたく、結局5回映画館に足を運んでも理解が深まらなかった。そこで、エンディングに感謝の言葉が流れる、堀辰雄の「風立ちぬ」「菜穂子」を2度読みし、堀越次郎の自伝と戦争指導部批判を読み込んで、やっと消化できたように思う。映画「風立ちぬ」は、縦横に難しくも、平和を大切にした作品であると再確認した。
また、本編で指摘がある通り、宇宙戦艦ヤマトの第1作で、ガミラス帝国の街並みを壊滅的にした破壊した直後の甲板で、雪は叫んぶ。「私たちは何ということをしてしまったの。私にはもう神様の姿が見えない」。古代はつぶやく。「勝つものもいれば、負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる。負けた者は幸せになる権利はないというのか。今日まで俺はそれを考えたことはなかった。俺は悲しい。それが悔しい。ガミラスの人も、地球の人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった。我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か、くそでもくらえ!」」と戦争の愚かさを訴える。しかし、帰路にガミラス・デスラーの再攻撃を受け、徹底交戦を行い撃破する。以降、シリーズは、敵に打ち勝つ、戦死による自己犠牲、自爆・自沈と言った、特攻とも言える攻撃も継続する。さらば宇宙戦艦ヤマトでは、日ロ戦争の二百三高知で肉弾突撃をする際の白タスキ隊を編成して艦上白兵戦を行うなど、戦争美化の要素が少なからずあることも付け加えておきたい。
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1 『ゲゲゲの鬼太郎』という“定点”
「妖花」が生まれるまで原作の「妖花」
第一シリーズの「妖花」
一四年後に再び映像化された「妖花」
アシア・太平洋戦争の語り方
大胆に脚色を施した第四シリーズ
「記憶」の時代の第六シリーズ
2 『桃太郎 海の神兵』の同時代性と断絶
「状況」の時代のアニメ
『桃太郎海の荒鷲』の制作
『桃太郎海の神兵』はどのような作品か
評論家・大塚英志による評価
同時代性と戦後との断絶
3 少国民世代、「戦争」を描く
60年代に誰が戦争を語ったのか
1930年代生まれ=少国民世代
『巨人の星』に刻まれた戦争
『サイポーグ009』の祈り
戦記ブームとアニメ
ロボットアニメと第二次世界大戦の記憶
類例のない『遊星仮面』
4 『宇宙戦艦ヤマト』の抱えた分裂
リアルなメカ描写はどこからきたのか
特撮の影響により深化する表現
「戦艦大和」から「宇宙戦艦ヤマト」へ
軍艦マーチに象徴される価値観の対立
ストーリーの下敷きはドイツ軍史
10代と40代、ふたつの世代の「ヤマト」
5 誰も傷つかない「戦争ごっこ」の始まり
『ヤマト』と『ガンダム』の距離
過去の「戟争」との”繋がりと断絶“
「未来戦争」の位置づけ方
『ガンダム』のリアルを構成する要素
誰も傷つかない「箱庭」の戦争
戦争を描くことへの反響
6 「ポスト戦後」時代の戦争アニメ
戦争のサプカルチャー化
「リアルロボットもの」というジャンル
高橋監督はなにを描こうとしたか
キリコという主人公像
「なにもない」世代の描く戦争
「消費」と「等価」
1960年前後に生まれたスタッフ
教条的反戟主義者、カイフン
たわむれのひとつとしての「戦争」
7 ポスト戦後の中の「過去の戦争」と「未来の戦争」
児童文学として執箪された戦争文学
『火垂るの墓」が現代に送る視線
『メガゾーン23』が描く新冷戟の空気
第三次世界大戦を“リアル“に表現
8 『紅の豚』の苦悩、『パトレイバー2』の現実
冷戦を描いたアニメ
『紅の豚』の背後にあったもの
湾岸戦争から『バトレイバー2』へ
『バトレイバー2』が描いた三つの戦争
柘植による戦後日本の批評
体験、趣味、そして……
9 冷戦後の「アニメと戦争」を構成する三要素
「新しい戟争」を描く作品
サブカルチャー化の極点
『ガルバン』の立っている場所
”自衛隊アニメ“の歴史
ポスト冷戦の「アシア・太平洋牲争」
人気シリーズのその後
10 二一世紀にアジア・太平洋戦争を語ること
『風立ちぬ』の描こうとしたもの
二郎たちを待つ「近代化の破産」
戦争責任をめぐる批判
徹底した考証をもとに画面を作る
変更された台詞をめぐって
「被害」と「加害」の関係
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・日本のアニメにおける、主にアジア・太平洋戦争の描かれ方、あるいは距離のとり方について考察した1冊。いろろと考えさせられた。読む価値のある本。
・改めて思うのは、僕が子供の頃から観てきたアニメの大半は、何かと戦ってる作品だった。この本で取り上げられている作品も少なくない。
・それで、僕が戦争について考えるとき、『ガンダム』や『銀英伝』『パトレイバー』などをイメージすることは確かにあって、それはニュースや歴史の勉強で学んだことと、同じように大きな影響力を持っている。
・今、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに接して、確実に自分の中の価値観が揺らいでるのを感じている。
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借りたもの。
アニメ表現から見る戦争体験の伝承の変化、ないし、ポスト戦後の戦争をどの様に表現されたかを検証する一冊。
しかし、その全てはクリエイターの“リアリティの表現追求”に集約されるのではないだろうか?
著者は成田龍一『「戦争体験」の戦後史』( https://booklog.jp/item/1/4006004230 )を読み、そこで指摘されている「状況」「体験」「証言」「記憶」という語りの変化を、アニメ表現における背景にあることをベースに検証している。
戦時中のプロパガンダとしてのアニメ作品にも触れるが、そこから見えるリアリティの追求があること。
戦後から「自分たちの歴史をアニメで子供に伝える」〝自画像〟の意識がある一方、「エンターテインメントとして」の表現への欲望があることを見出す。
第二次世界大戦――というより太平洋戦争――以降、幸いにも日本は戦争“当事者”になる事はなく、結果、戦争“体験”がメディアを通して得るものとなっていることを指摘。
どうしても発生してしまう世代交代による戦争解釈(温度差)。を垣間見る。そして時事ネタ反映したものまで。
冷戦期の「未来の戦争」に対する可能性・不安を当時リアリティをもって描写されたり、冷戦崩壊により起こらなかった“戦争”に乗せる過去と未来の戦争に対して“生き残った亡霊”の苦悩とつかの間の平和、“ニンテンドーウォー”とも言われた湾岸戦争のヴィジュアル的影響などを指摘。
硬派なリアリティの追求をする押井好きとしては『パトレイバー2』の話と、冷戦後の「アニメと戦争」の世代に相当するので、9章を興味深く読ませてもらった。
国家間の安全保障、テロリズムといった時事ネタが織り込まれるものの、記号化した戦争、ドキュメンタリーアニメとして描き出される戦争、自衛隊アニメ……抽象化され細分化されつつもリアリティであってもリアルではないようにも思う。
また、テロの世紀において冷戦までのイデオロギー(価値観)など幻影に過ぎないという身も蓋もなさは、戦争関係なく不安と絶望を突きつけるように、私は思う。
エヴァについて言及されていないのが不思議……
旧劇場版では戦略自衛隊が「セカンドインパクトを起こさせない」ために投入されるも、それが「セカンドインパクトを引き起こす」結果になる点も、外交と命令とその結果の理不尽さに、任務遂行と戦争?の理不尽さを見たりもするのだが。
また、NERV側の防衛設備が対人迎撃システムではないためあっという間に制圧されている点も、戦争のリアリティを見てしまう……
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アニメと戦争の関係の約100年を、濃密に解説した労作。
人類の「文明化」が始まって以来、人類社会の大事件は常に戦争だった。ならば、人類の創作物の中で戦争が大きなウエイトを占めるのは理の当然というべきだろう。
日本アニメは20世紀の初めから始まった(1917)。本格戦争アニメは「空の桃太郎」(1931)からだった。著者は成田龍一の「「戦争体験」の戦後史」のカテゴリーを借りて、戦争アニメ史がどのように推移したのかスケッチする。
①1931-1946「状況」として語られた時代。
戦争プロパガンダとしてのアニメ(代表作「桃太郎 海の荒鷲(1942)」)
②1945-1965「体験」の時代。
戦争を体験した世代が体験した世代に語りかける。
③1965-1990「証言」の時代。体験していない世代に語りかける
④1990以降「記憶」の時代。社会の中に形成されてゆく「集団的な記憶」が中心になる。
②の例として「巨人の星(第1、9、125、177話)」と「ゲゲゲの鬼太郎第一シリーズ第32話」を挙げていたのはビックリ。リアルタイムで観ていたけど、そういえば戦争体験が「自明のものとして出ていた」。
③の例として「サイボーグ009」の第一シリーズ16話、26話が挙げられる。②③共に、辻真先が脚本に関わっていた。「戦争から教訓を学ばない人類」への警笛を描き、今なお解決されていない矛盾の指摘まで踏み込んでいたらしい。
その後、「宇宙戦艦ヤマト」になると、著者の思い入れ深くかなり踏み込んだ説明になっている。
④ヤマトから数年後、「ガンダム」になると、もはや作り手は「戦争を知らない世代」にバトンタッチされる。過去の戦争との繋がりは断絶する。
そこからは、「歴史的/非歴史的」「みんな/わたし」としての座標軸を示されて、歴史的・みんな「桃太郎」「巨人の星」「009」から、非歴史的・わたし「ガンダム」「マクロス」へ移り、非歴史的・みんな「パトレイバー2」「198X年」、わたし・歴史的「風立ちぬ」「この世界の片隅に」に移ってゆくと整理している。
専門家だけあって、目配りはしっかりしていて、書いてあることに関しては、多くは納得するものだった。
その上で、物足りないところを幾つか。
・ここまで分析しているのだから、次に来るアニメの特徴や問題点をきちんと書いて欲しかった。言及したアニメの問題点は、ある程度は指摘しているので非常に残念だった。
・20世紀のアニメ史における戦争を解説することで何が明らかになるのかまで踏み込んで書いて欲しかった。
・あまり代表的なアニメとも言えないアニメ(「ラグダム」「ボトムス」「メガゾーン23」等)を分析していて、ちょっと目配りしすぎではないか?とも思った。
・サブカルチャーアニメは扱わないと宣言しているが、「エヴァ」はサブカルチャーなのか?「進撃の巨人」はサブカルチャーなのか?そんなことはないはずだ。こんなにも影響力のあるアニメを何故無視したのか?1文字も言及していない。
結果的に当たり障りのない批評に落ち着いている。おそらく、左右に偏らない「中立」の評論を目指したのだろう。しかし、わたしに言わせれば、���そんな評論などあり得ない」。批評というものは、必ず自分の色眼鏡で対象を選ぶからだ。問題は、何の立場に立って物事を批評するのか?ではないだろうか。