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大阪で生まれ東京へと出ていった柴崎朋香、大阪に来てそのまま大阪で暮らす岸政彦、作家と社会学者それぞれが異なる立場から見た大阪について語り合う連作エッセイ集。
それぞれが見た大阪の景色からは懐かしさ、大阪の濃い人間関係、変わりゆく街並みなどが伝わってきて、7年ほど大阪に住んでいた自分としても感慨深いものがある。とはいえ、やはりこうした文章を読むと、そこまでの思い入れというのを自分はこの街に抱けていなかった、というのも自身の実感として改めて感じたところではある。
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大学から大阪に住み出した岸政彦さんと、
大阪に生まれ育ち東京に出た柴崎友香さんの、
大阪にまつわる共著エッセイ。
交互に語られる各々に流れた時間や思い出から自然と立ち上る、紛れもない大阪。
耳に心地よいメロディーをくゆらせるように
適度な音量で肌で感じる大阪がすごく良い。
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本の帯の惹句には『大阪に来た人、大阪を出た人』。大阪へやって来たのは社会学者 岸政彦さん。‘67年名古屋市生まれ、大学入学時に大阪へ。上新庄の下宿を皮切りに以来大阪を転々。大阪を出た人は作家 柴崎友香さん。‘73年大阪生まれ、約15年前に仕事で大阪を離れ、現在東京在住。
このふたりによる【大阪】をテーマを往復書簡風エッセイ。本書に綴られた大阪は、あくまでもふたりの記憶の断片。そう、極私的大阪アーカイブ。
岸さんは大学生として、ジャズのベーシストとして、バーテンダーとして、バブルに沸く大阪を遊泳。大阪で出会った女性と結婚し、終の住処を手に入れ、この地で死ぬつもりだ…と、語るほど深い愛着を抱くに至っており、大学教員の傍ら自身が暮らした大阪の街を舞台にした大阪弁に溢れた小説を発表。
方や大正区で生まれ育った柴崎さんは中学生ぐらいから持ち前のフットワークの軽さと好奇心の強さが顔を出しMy Osaka Mapは広がりを見せる。その活動譚を固有名詞をもって記憶を天日干しするかのように仔細に語る。ダウンタウン見たさにごった返す心斎橋2丁目劇場前での出待ち、エレファントカシマシのライヴには欠かさず通い、カルト映画を上映しているミニシアターへも足繁く通う。
<ふたりにとっての大阪>
岸さんは…
大阪が好きだ、と言うとき、たぶん私たち
は、大阪で暮らした人生が、その時間が好き
だと言っているのだろう。それは別に、大阪
での私の人生が楽しく幸せなものだった、と
いう意味ではない。ほんとうは、ここにもど
こにも書いていないような辛いことばかりが
あったとしても、私たちはその人生を愛する
ことができる。そして、その人生を過ごした
街を。
柴崎さんは…
テレビ経由のイメージだと大阪はどこの家に
も『おもろいおかん』がいる 、と思われ
る。当然そんなことはなく、大阪は多様な
人々が寄り集まって暮らしている大都市であ
る。『ステレオタイプなイメージの隙間に一
人一人の現実がある。
<ふたりの大阪観を堪能して…>
『サードプレイス〈第三の居場所〉』と『アナザースカイ〈第二の故郷〉』という2つのフレーズが頭に浮かんだ。前者は家庭や職場や学校ではなく、自身を解放できる第三の居場所を指す。後者は生まれ育った街とは異なるインスパイアを受けた場所・土地。岸さんは仕事に行き詰まったり、なにか気晴らしをしたくなると、必ず淀川を歩くという。『淀川の河川敷を宇宙一好きな場所』とも語る。明らかにサード・プレイスである。また、本籍を移すほど大阪に惹かれる岸さんにとってはアナザースカイでもある。
柴崎さんの場合、故郷大阪を離れ、東京への移住を『長期出張』と例える。大阪でしか観ることができないテレビ番組を思い出しながら、東京以外の場所で生まれた文化を語ることができない…と憂える。今のところ東京が『サードプレイス』にも『アナザースカイ』にもなり得てないのは、柴崎友香を育んだ街 大阪という土地の磁力がそうさせるのかな。
岸さんの『あとからやってきた街 大阪』感。柴崎さんの『私がいなくなった 大阪』感。おふたりとも大阪在住歴30年余り。今いる場所と、かつていた場所が『私』を通して交差し、その時折時折の街と時間の呼吸を活写した、激しく読み応えありまくりの一冊。
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『だから何、という話でもないが、タイ人のおばちゃんが二十年前に大阪にやってきて、ふたりの娘を育て、私は一文無しの院生から大学に職を得て本を書くようになり、そして壁から生まれてきた子猫は友人のところへもらわれて、元気に指をあま噛みしている』―『はじめに/岸政彦』
思わず国土地理院のアーカイブを広げて、子供の頃に住んでいた街の古い地図などを眺める。ついでに年代順に古い航空写真を眺めては、かつて遊んでいた場所の平地の記憶が、一緒に遊んだ顔と共に蘇る感覚を味わう。そういえば昔よくお世話になった病院はどこだっけ。ストリートビューで見ると建物は様変わりし「医院」は「クリニック」に変わっているけれど、同じ場所に馴染みのある名前は残っている。幼馴染の父親がやっていた自転車屋はもうないけれど、眼鏡屋はまだある。もちろん、今もある、ということが特別なことだとかそうじゃないとか言いたい訳ではないけれど、二人の綴る街の記憶は読むものの記憶の街を、何故だか、呼び起こすのだ。
街歩きや散策の為に街を描写することは、当然ながら、その街の「今」を写し撮ること。たとえそれがスナップ写真のように、限りなく「瞬間的」で(ある意味それは「皮相的」と同義だが)直ぐに過去となる「切り取り」であるとしても、視点の位置はあくまで「今」だ。一方で、「大阪」というガイドブック的なタイトルとは裏腹に、岸政彦と柴崎友香の対話のような大阪についての語りは、そんな表層的な街の風景についての語りではなく、かと言って大阪を知っている人だけが面白がる話でもない。二人はどこまでも「自分の知っている」街を語る。そして、知っている街のことを語るということは、取りも直さず「知っていた」過去を語るということ。
二人の街を見つめる視線は似ている。そこに暮らしたものとして視線という意味で。しかし似てはいるけれど、決定的に異なってもいる。岸は大阪へ移って来た人、柴崎は大阪で生まれた人、という違いもある。岸は見たものの背後に「理由」を読み取ろうとしているように見える一方で、柴崎は見たものに「理屈」を求めない。どこまでも自分の立つ位置から地続きの風景として眺める。その場所に人の営みの痕跡を読み取る目と人の暮らす風景を読む目の違い? それがあるいは、社会学を専門とする視点と人文地理を学んだものの視点の違いか、とこじつけてもみる。
とは言え「知っていた」街を語るという点で二人の視線は同じ方向を向く。それは過去を語ることでもあり、そしてその街に存在した「自分」を語ることでもある。それが、読み手にも作用する。特に、柴崎友香の語りには、風景の向こう側へ伸びるまなざしがあり、強くその言葉の先へと引かれていく。
例えば、大阪から富山方面への鉄道の便が悪くなった、という文章を読みながら、そう言えば関東圏で生まれ育った自分にとっての最初の大阪は信濃大町のスキー教室で出会った「なんじ」という同じ年の子だったなあ(きっと小さい頃からずっと「なんじ、今何時?」と揶揄われてたんだろうなあ)と思い出したりするのは、郷愁、という簡単な言葉以上の強い連想だ。そう言えば、そんな魅力に惹かれてずっと読み継いで来たのだった、と改めて思い返す。
もちろん、大阪のことを知りたくて読む人が居てもそれはそれでいいとは思うけれど、柴崎が言うように、ここに描かれていることを一般化して欲しくて二人は大阪について語っている訳ではない。「東京の生活史」プロジェクトに岸の寄せた言葉『記号やバーチャルではない、実在する東京。ほんとうにそこにある、ただの、普通の東京』の東京を大阪に変えて、二人にとっての「ほんとう」の大阪をただ語っているだけだ。敢えて言うなら、一人ひとりにとって異なる真実を否定して欲しくない、というのが瓶に詰められたメッセージなのかも知れない。
『大阪のことも、生まれて三十年間住んでいたからといって、知っているわけではない。そもそも、「大阪」と言ってわたしが語れるのは自分が生活したごく狭い範囲の大阪でしかなく、それはむしろ「大阪」のイレギュラーかもしれず、ほかの大阪の人にとっての大阪も、それぞれ全然違うのだ』―『大阪と大阪、東京とそれ以外』
赤裸々な自分をさらけ出している二人の大阪語りは、不思議と読み手の記憶をくすぐると書いたけれど、中でも柴崎の「商店街育ち」という文章は、呉明益の「歩道橋の魔術師」へのオマージュのような文章でとてもいいです。
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エッセイというか、小説のようだ。面白い。
知っている大阪。
祖母に行っては行けないと言われた知らない大阪。
自分に大阪の血が流れているからか。
著者と同世代だからか。
同和についての言葉にざらつく感じ。
親を哀れに思う瞬間。
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大阪にゆかりのある二人がその思い出を語るエッセイ。岸さんは世代がほんの少しずれていはいるが大学や住んだ場所に共通点があって、柴崎さんは住んでいた場所はずれているけれど世代がほぼ同じ。あの頃に同世代の人はこんなことをしていたんだと自分の若い頃に記憶を馳せ懐かしんだ。
大阪の街にある他にはない独特のエネルギーやごちゃ混ぜ感というのが二人の思い出話から立ち上ってくる。大阪にいたことがあるからこそわかるのか、誰でも感じられるのかはわからないが、なにか重なる経験がある人にはとても”エモい”エッセイではないだろうか。
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大阪で生まれた私にとって(東京を知らない私にとって)そんなふうに大阪のことをみんな思っているんだと、今まで気づかなかったようなことがたくさんあり面白かったです。
外国人の方が日本人はみんな着物を着ているみたいな感覚と同じようなことを、大阪の人はと思っておられることがたくさんあるのでしょうね。大阪人は嫌いという人も多いということには(それを口に出される人もいるということには)びっくりですが。
なんでも東京が1番なのが良くわかりました。でも私を含め大阪人は1番でなくてもいいんです、人を楽しませたいんです。そんな感じでしょうか。
そんなことを考えさせてくれるエッセイでした。
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わたし出生地が江坂で、大阪には計8年くらい住んでたんだけど、通天閣は旅行で行くまで見たことなかった。
やっぱあれは観光客が行くやつなんだな〜と思って、わたしにも大阪のエキスが少し残っているみたいで、うれしかった。(両親とも九州出身だけど)
だからわたしは大阪が嫌いとかももちろんないし、東京が一番偉いとも思わない。
むしろこの一極集中型はよくないと思うし、もっといろんな街にいろんなことが分散したらいいのになって、柴崎さんみたいに思ってる。
2人の人生が少し垣間見えたようで、それがなんか、道ですれ違った人それぞれにも見えないだけでこんなふうにいろんな人生があるんだなと思わせてくれて、なんか人って尊いなって。
人の営みの積み重ねで街ができて、いろんなことが決まっていくなら、いまを生きるわたしたちはやっぱり投げやりに生きちゃいけないんだ。
過去この場所で懸命に生きてきた人たち、声をあげられない人たちのために、わたしたちは毎日をちゃんと生きて、主張していかなきゃいけない。
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この本は読みやすそうだと思ったこと、また、新神戸オリエンタルホテルのロビーで起こった宅見若頭射殺事件(228P)のことまで書いている男気溢れるエッセイだと思い購入しました。この事件、近くに座っていた歯科医師の方も流れ弾に当たり亡くなっています。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私自身、昭和63年4月~平成4年3月まで、大阪と奈良の境の奈良県王寺町という所に住んでいたため、大阪には買い物やアルバイトなどで頻繁に出かけていました。その当時を思い出しながら読みました。特に柴崎さんは私より4歳下のため、難波などで出会っている可能性もあると思いました。
懐かしいのはナンバブックセンターです。(141P)私が難波のプランタンデパートでバイトをしていたため、その帰りにはナンバブックセンターに寄り、本を読んでいました。細長い本屋だったイメージがあります。
私が感銘を受けたのは、部落解放運動の活動家のYさんの優しさです。タイ人の中学生の娘さんが平仮名も書けないほど日本語が出来ず不登校となっているのを見かねて自宅で日本語を教え、その結果公立学校に合格したという話を聞いて涙が出そうになりました。このようなことを地道に地味に地に足をつけて活動している人に敬意を表したいと思いました。(125P)
柴崎さんは言います。「今になって振り返ってみると、あんなふうに、ミニシアターが次々できて、小劇団が注目され、百貨店でも美術館並みの展覧会をよくやっていたこと、地上波のテレビで深夜に外国やミニシアター系の映画をやっていたこと、三角公園でただしゃべってるだけでお金がなくても楽しく過ごせたこと、そのこと自体が、好景気の時代で、世の中の豊かさだった、と強く思う。」(151P)私も同感です。
岸さんは言います。「大阪も90年代は、学生が週に3日もベースを弾けば、それで何とか飯を食うことができた、そういう街だった、しかしいまはもう、その大阪は、どこにもない。あのとき私たちが酒を飲んだり、音楽を演奏したり、付き合ったりフラれたりした大阪は、いまでも変わりなく同じ場所にあるけど、あの大阪はもう、どこにも存在しない。」(182P)
柴崎さんは言います。「東京に初めて来たとき、驚いたのは木の大きさだった
表参道の立派な欅並木を見て、道端にこんな巨木が生えているなんて、と感動した。」(191P)私も6年7ヶ月、東京都杉並区高井戸に住んでいたのですが、人見街道沿いに大きなけやきの木があり、とても嬉しかったことを思い出します。
柴崎さんは言います。「雲一つない青空で、数年ぶりに乗った近鉄奈良線の生駒へ上る車両からは大阪の街が一望できた。この風景は死ぬほど好きだ」(251P)
私も時折、近鉄奈良線を利用していたのですが、電車から見える大阪の夜景は特に美しかったです。
この本は大阪に住んでいる方、住んでいた方、そして大阪に全く縁のない方も楽しめる本です。
私にとって一生、大切に持っておきたい本となりました。
素晴らしい本を出版してくれた岸政彦さん、柴崎友香さん及び河出書房新社様に深く感謝いたします。ありがとうございました。
生かされていることに感謝して。
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21/10/02
私は大阪で生まれ育ったあと、京都で学び東京で働いている。もう郷愁を覚えることもないし、好きとも言い切れず、愛着も薄くて、岸さんや柴崎さんの語る大阪は知っているようで知らないような、不思議な距離感だった。ただ、大事ではあるしよいまちであってほしい、くたびれていくところはみたくないなぁと思ってる
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勝手に小説かと思っていたが、エッセイだった。
何気ない日常について語られているが、その中にハッとさせられる部分があった。
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岸政彦/柴崎友香「大阪」https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029375/
大阪での半生をそれぞれ振り返りながら。こういうのって一般的にはどの土地だろうと中身には作用しないしどこだろうと成立するエピソードになると思うんだけど、そうならないところが大阪なんだなあと思う。あと岸さんの文はいつも胸に迫るのよ(おわり
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大阪生まれの柴崎友香と、大学入学とともに大阪在住となった岸政彦の二人が交互に綴る大阪をめぐるエッセイ。
柴崎パートは大阪で育った具体的な思い出が語られ、大阪の街が柴崎の人間形成に濃厚に影響したことが溢れている。この人の原点は大正区にあり、やがてミナミを包摂するようになり、東京に住む今でもそこから時代と社会を見通している。
自分と同じ人文地理学専攻と知って親近感を抱いた。大阪出身とはいえ自分は郊外の方なので、柴崎の書くことはやや遠い街の出来事である。しかし、大阪の過去が積み重なるのが現在の街だというビジョンに深くうなずけた。
岸の視点はやはりよそから来て面白がっている人のものだ。岸はそのポジションがとても気に入っているのだと思う。生粋の大阪人に憧れて、でもそうではない自分を生きている。
大阪愛に溢れる良い本で、大阪嫌いなんですよね、という人にもぜひ読んでほしい。
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・私たちは自分というものに対して、憧れを持つことができない。自分自身に憧れる、ということは、たんに実際に難しいというだけでなく、どこか「文法的に不可能」なところがある。(218)
・私たちの散歩には、終わりはない。私たちは永遠に満たされない憧れを抱きながら、西九条や江坂や堺東や放出や布施を歩き続けるのである。
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柴崎友香さんが育った街は、私の伯母が住んでいる。子どもの頃、数回遊びに行ったから少しだけ街の空気を憶えている。
しかしそれは上っ面で、大阪の芯の部分は何も知らない。そこで生まれて、生活して肌に染み込んでくるものは、私にはわからない。
街は少しずつ変わるけれど、その街が自分を作ってくれたことは変わらない。