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この人のエッセイはどれも面白く、共感するところも多々あり、この作品も楽しく読了した。
しかし、読後に爽快感がないのは何故だ?
ざっと読み返してみると、失敗談、苦手な事、緑内障を含めた体調不良、怠惰な性格など、殆どの話題が「自虐」がベースになっている。やはり幸福感のあるエピソードも盛り込まなければ、読み通すうちに笑いつつも心の底に哀しみが満ちてくる。
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さらっと読めて読みやすい
著者の前情報をあまり仕入れてなく、しっかり楽しめなかった部分もある…
エッセイは著者の前情報あるともっと楽しめるかも
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今読んでいる最中です。やっぱりほむほむはおもしろい。初っ端の「天職の世界の人々」から共感の嵐でした。どうしてこうもわたしの気持ちがわかるの?と言いたくなるくらい、スッと心に落ちてくる。普段その出来事に出くわすたびに思っているけど、意識的に言葉にしようとせず素通りしてしまう私たち。それが文章になることで、ついにほむほむは私の気持ちを透視して代弁してくれているのかな?と思ってしまうほどです(笑)穂村さん〜読書が止まらない!
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この方のエッセイを読むといつも、自分の中のもやもやして言葉にできない気持ちというか考えというか、まだそこまでもたどり着いていない思考を形にしてもらえたような気になります。些細なことを不安がり、他人がそんなこと全く気にしてないよってことがいつまでも気になったり。でもそれを”言葉”に、”文字”に(しかも面白く)形にできる能力を持つ筆者を尊敬します。というわけで、今回も面白く、かつ考えさせられるエッセイでした。
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ダメな自分を認めると、人生楽になるだろうなーって思う。私はまだその域にまだ達していないんだよなぁ。沢山共感できる話があったけど、「人間のピーク」の話は私も常々思っていた。あと、水曜日を休みにする案、大賛成!
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自分が今まで「?」って思っていたことだったりを言葉にしてもらえたような!自分もこういうこと考えてた!同じように思っている人がいたのか!って仲間を見つけられたようなそんな気持ちに。
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たぶん、私は心の深いところで自分に自信が持てていないのだろう。こうありたいと願う自分と、現実の自分の間のズレがあまりにも大きく、しかも折り合いをつけるスキルが低い。 ー「痛いところ」ー
主に北海道新聞に掲載された、ここ10年以内の穂村さん。自意識過剰なのはそのままだけれど、そんな自分の行動や感情を眺めて、考えているように思った。眼のこと、お母さんのこと、大変な思いがいろいろあったことだろう。
穂村さんの奥さん、というと、しっかりした母親みたいな感じの方を想像していたけれど、谷川俊太郎さんに無言のまま触ろうとしたり、お菓子の思い出を語ったりと、何だか同志という感じがした。
穂村さんの短歌が中学校の国語の教科書に載っているのを、ごく最近知った。17年間の会社勤めを経て、今はとっぷり「天職の世界」にいるじゃないですか~。
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久々にほむほむ読んだら、うわぁ〜エメぇ〜ってなった。
小さな感動とか違和感に気づいたり、いろんなこと気にしたり、それを楽しくしかもポジティブに言語化できるほむほむすごい。圧勝!
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疲れてほっこりしたい時に読む。
人間関係において不器用で、自我や欲に囚われ、老いの哀愁漂うほむほむ。自分と重ねて、あるあると頷き、妙に安心する。
私の住む町にある図書館が主催するイベントで動く(つまり実物の)穂村弘を見た。名前が売れても奢ることのない、地に足ついた感じの素敵な人だった。そんな人でも、見る夢はトイレを探す夢(笑)
ますますファンになる。
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穂村さん初読み。対談や寄稿などを読んでいて、ああこの人の言葉が本当に好きだ。とずっと思っていました。“天職”を持つひとに憧れること、皆との差を埋めようと焦りはするのに目の前のちょっとした面倒くささに負けてしまうこと、仕事のできるひとを見て圧倒されてしまうこと…わたしはほとんど毎日、恥ずかしい、自分はなんて…と思ってばかりいる。それがすごく嫌だったが、もしかすると、いつもよく考えよく感じることができる、これが幸せ!とすぐに言うことができる。伸びしろとかでなく、私にはそれが備わっているのかも、などと思えた。
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エッセイ書きたくなる。
元々noteでちらほらと文章は書いてるけど、こんな風なエッセイも書いてみたいと思ってる。
エッセイみたいな人生じゃなくて、人生をどうエッセイにするか。
ちょっとそんな目線で生きてみようかと。
面白く、何だか示唆に富んだ、深いけど、力を抜いて読める。
良い一冊でした。
意外と穂村さんの本って読んで無い気が。
また読もうかな。
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歌人・穂村弘さんののほほんとして少し後ろ向きなエッセイ集。
色々な日常の話題に、少しだけ後ろ向きな、自信のないエッセンスが加わって、なんとも言えない味わいが醸し出される。
家にインターネット敷くのがどうしても腰が重くて、ずっと漫画喫茶に通っていた話など、
思わず「どうして!」とツッコミたくなるエピソードが満載。
だけれどきっと私も、人から見れば
「どうして!?」
と思われる事で構成されてるんだなと思います。
人を知り、自分を発見する。そんな一冊。
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著者のエッセイを読むと、ああほんと!ほんとにそうだよねえとしばしば思う。わたしも同じこと思ってた、と言いかけて、待てよ、と考える。そうじゃない。「思って」などいなかった。自分の中でモヤモヤしているだけだったものが言葉になっている。あるいは、そういうふうには思ったこともなかったが、言われてみればあれはそういうことかと気がつく。こう言った方が正しいんだろう。読みそびれていた本書も、そんな言葉たちの集まりだった。
著者は北大の出身だが、在学中大学周辺以外特にどこにも行かず、カニを食べたこともなく、女子大生とも縁がなく、「後から振り返って、よほど鈍感というかデクノボーなのかと自分を疑ったこともある」が、今はそうは思わない、とある。
「本当は、何も起こらないのが青春なんじゃないか」「おかしな云い方だが、厖大な未来という時間が目の前の『今』に流れ込んで、空白の可能性を埋めてしまうように感じられる。だから、不思議なほど何もできない。何も起こらない。ぼんやりしながら、けれど、心のどこかで焦っている」
そう、特別なこと、華やかなことなど何もなかったのに、どうして学生の頃のことが忘れがたいのか、ずっと不思議で仕方がなかったが、これなのだ。時間や場所を有意義なことで埋める必要がなかった。未来が充満していたから。
大学食堂で同じものばかり食べていた著者も、今は地方に行くと名物を食べたいなと思う。
「(学生のころのように)生姜焼き定食二つなんて荒技はもうできない」「諦めて楽しく名物を食べるしかない。『今』の可能性に流れ込んで、そこを埋め尽くすような未来は永遠に失われた。本当の青春は終わったのだ。『吾等が三年を契る絢爛のその饗宴はげに過ぎ易し』という一節が甦る。在学中に何度もきいた恵迪尞歌の前口上である。しかし、リアルタイムではその言葉の意味は心を素通りしていた。それが三十数年のときを経て胸に響く。青春らしい出来事は何一つ起こらなかった。吾が『絢爛』の『饗宴』よ」
絢爛の饗宴。何十年も前の日々に新たな光を当ててくれる、言葉というのはすごいものだ。
世代が違う人、身近では親などと価値観が違い、うんざりすることはよくある。地域や時代や階層によって、価値観や行動は異なり、しばしば軋轢を生む。それは誰しも「それぞれの世界で生き延びるのに最適な行動パターン」に従っているからであって、最適な行動パターンについて合意にいたることはないってことじゃないかと書かれている。そうかもしれない。そして、そう考えると、他の人の価値観に少し寛容になれるような気がした。(押しつけるのはやめてほしいけど)
著者の最初の歌集「シンジケート」が自費出版だったとは知らなかった。最初から注目されて華々しく登場したのだとばっかり思っていた。貯金を全部使って出した歌集には何の反響もなく絶望していたが、半年後新聞の文芸時評で高橋源一郎さんが絶賛してくれたそうだ。
「見てる人はいた。でも、神様のように見てるわけじゃなかった。見てる人の視界の中まで、こちらから、よろよろとよろめきながらでも出ていかないと駄目なのだ。しかも、それを何度も何度も、生���ている限り繰り返すしかない」
「シンジケート」はほとんど売れず、著者が会社を辞めて専業の歌人になったのはそれから十五年後だったそうだ。
著者は高校生のとき天文部で、部員の皆で流星群を見に行った時のことが回想されている。思い思いの場所に寝転んで、チーズかまぼこを食べたりしながら流星群を見上げた夜。
「あの時、流れ星を見逃したアキヒコの顔を見て、げらげら笑いながら、こんなことが何度も、そして、いつまでも続くような気がしていたけど、そんなことはなかった。ぜんぜんなかった」
今回一番胸にしみて切なかった。
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うかつだったり、見栄っ張りだったり、怠惰だったり、薄情だったり…。
そういう自分の姿には、ついつい目を瞑ってしまうのが人間の性だ。そうやって、不都合な自分を無かったことにし続けるからこそ、私たちはふだん、自分自身をかわいいと思えるのではないだろうか。
穂村さんは、おもしろい。そして、油断のならない人だ。
「僕なんて、僕なんて」とずりずり後ずさりながら、私たちの核心に迫ってくる。後ろめたいところを、ぴたりと言い当ててくるのだ。
ご本人にはもちろん、「読者の痛いところを突いてやろう」なんて意図は微塵もないだろう。自分の古い傷跡を見せながら、当時を振り返る。本当にただそれだけのつもりかもしれない。
でもね、穂村さん。大概の人間にはそれができないんですよ…。
だから、私は彼をすごいと思う。
「静かな幸福」で、自分の中にも同じカサブタがいくつも在ることに動悸を覚えながら、続く「ババロア」で、ジェネレーションギャップに立ち向かうオジサンのしぶとさを見せつけられ、笑ってしまう。
「カモは二度毟られる」「部屋」では、当時はみじめな気持ちでいっぱいであったろう瞬間を、時が経つにつれ少し離れたところから観察できるようになり、別の形の思い出として仕舞いこんでいく。
最後に「流星とチーかま」を持ってくるセンスも好きだ。
いつまでも若々しくあることはできても、若かったあの頃に戻れるわけではない。あのときは経験できたのに、もう二度と経験できなくなってしまったことは山ほど在る。どうしてそうなってしまったのか、そのからくりがわかることは一生ない。
むなしさにうちひしがれ、思うように行かない穴ぼこだらけの人生で、それでもロマンチックを夢見てしまう。チーかまが呼び起こす彼方の流星群の記憶は、穂村さんの生き方そのものだなあと思った。