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初のカズオイシグロ作品。AF(人工親友)であるクララとジョジーが主人公の物語。素晴らしく謙虚で聡明で、しかし人間?とも思える健気なクララの献身ぶりに感動する。面白かった。
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無垢な望みを持ち続けること、信じますという言葉、周りの人の中に見出す愛。ひなたぼっこしながらの読書、お日様の意味をいろいろと考える。引き込まれてあっという間の読書体験だったな…
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クララの語り口が優しくて、絵本を読んでいる時のような心地良さがあった。
けれどテーマには最先端技術の倫理、環境破壊、格差社会などの問題をたくさんはらんでいて、
もうすぐこういう世界になるけど皆さんどう思いますか?と聞かれているみたいだった。
混み入った人間社会とは裏腹に、クララがかなしいほど純粋。
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読了後、暫くずっしりとしたものが心に残った。人間は何て利己的で愚かしいのかと、情けなく、申し訳なく、もとから在る人間嫌いを更に進めてしまったように感じた。恐らく、作者はそんな目的で書いたのではないんだろうなと思いつつ…。
読み始めてすぐ、意味のわからない言葉がちょくちょく出てきて、この小説の大まかな内容だけでも理解することが出来るか不安になったが、そのうちすっかり小説の世界に馴染めていた。
AFという人工親友(人工頭脳を搭載したロボットのようなもの)であるクララは、自分を家族に選んでくれたジョジーという体の弱い女の子のために何かできることはないかと、いつもジョジーファーストで過ごしている。一切見返りも求めず、酷い態度を取られても、その姿勢は全く揺らがない。
ジョジーへの献身は、少し人間の母親に通じるところもあるけれど、利己的な部分を一切含まず、自己犠牲も全く厭わない、見返りも全く求めない点などで、やはり大きく違っている。(と、私個人は思った。)やはり人間は、多少の違いはあれどとことん利己的な生き物だと思うからだ。
一番心に残った文…
特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。
ラストは想像できるものではあるけれど、やはり辛い。クララ自身が、[最高の結果になった]と思っている事が唯一の救いであり、同時に余計に悲しくなった。
カズオ・イシグロさんの世界観はかなり独特で馴染むまでに少し時間がかかったが、心に深く残る一冊になった。
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んーーーー。
お日様がこの物語のキーを握る。太陽をエネルギー源とするクララの太陽への願い。光の描写が様々な場面で描かれているのだけど、私の想像力のなさゆえにいまいちビジュアライズできないのが口惜しい。
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人工知能を搭載したロボットを友だちに、科学の恩恵を享受できるSF的世界。
ロボットのクララは、病気のジョジーのために懸命になる。
一方、周りの人たちは何かに固執したり、感情的になったり、変わってしまったりする。それが人間の存在そのものなんだ。
クララは、ずば抜けた観察力を持つが、作者はそれ以上に人間を見透かすことができるのではないかと思ってしまう。
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読み終わった後から、じわじわと切なさや温かさが込み上げてくる。ラストシーンがとても印象的で切なかった。
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どんな展開になるのだろう、とわくわくしながら読み始め、最後は静かに、本を閉じました。
わくわく、ハラハラ、ドキドキ、そして静けさ。
AIロボットのクララが主人公だからこそ見える世界、考えることのできる観点に、新鮮な気持ちで物語を読み進めました。
時間を置いて、また読みたい物語です。
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AFと呼ばれる人工親友が、語り手のクララ。
クララはアンドロイドなので、彼女の見た空間が、画像処理プロセスとして語られる。ボックスが重なってるとか明るい面が三角だとか混沌の中から顔がでてくるとジョジーだったとか、ちょっとくどくて読みにくい描写なのだけれど、クララには世界がそのように見えているということが、とても大事なので辛抱して読む。
精確な観察力と不完全な世界モデル。
その乖離が、クララに祈りをもたらす。
随所に、映画になることを意識しているようなシーンがある。字面はさほどでないが、映像化されればグロテスクになりかねないシーンもある。それでもきっと、印象的な光のシーンでいっぱいの、美しい映画ができることだろう。たくさんの監督が手を挙げるのではないか。
クララが、これはどうなるのと聞くとき、あるいは、店長に再会して、この姿勢のままでいいと言うとき、イシグロの読者ならば『わたしを離さないで』の哀しい変奏、あるいは返歌だと、誰もが思うだろう。
わたしたちは変わる。クララは変わらない。
自分の中の「クララ」を置いていくことで、わたしたちは大人になるのだ。
帯を外すと素晴らしいカバーのイラストが楽しめます。
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2021/03/24予約 143
AI搭載のロボット少女、クララが主人公の物語。この本の中ではAFと表記され、人工親友、のような位置付け。
この話が進んでいる、近未来では、子どもは学校に通わず、オブロン端末というもので授業を受け、人と接するチャンスがない子ども(裕福な家の)は、AFを与えられる。
クララを気に入った、病弱なジョジーという女の子の家にクララは連れて行かれ、そこでジョジーの最高の親友として時を過ごす。
クララはジョジーを、何より大切に考え自分を犠牲にしてまでも、ご主人であるジョジーを元気にしたいと、お日さまに祈る。自分の能力が犠牲になっても、万が一死んでしまうようなことになっても、心からジョジーを助けたい、元気になってほしいと願う。
本当はロボットであるのに、人間以上に人間だと思った。
そしてこの近未来では、ある時期に、子どもに向上処置を受けさせるかどうか、親が決める。
向上処置とは、遺伝子操作のようなもののようで、これを受けることにより、オックス(フォード)(ケン)ブリッジに進学し、上層階級に進めるようになるが、向上処置を受けていない子どもの場合は、まずオックスブリッジに入ることもできない。
だが、その処置には、思い病気になり死んでしまうようなこともあるようだ。
ジョジーの姉は、向上処置により亡くなった(らしい)。
同じ道を歩ませない為に、クララは自分の一番信頼し頼る、お日さまにジョジーの健康を心から願う。
クララの目を通して、人間を見る感情、嫉妬、後悔などがよくわかる。一挙一動を見逃さず、それでモノを考え、常にアップデートしていくクララ。
それなのに最後は廃品置場に行くことになる。
子どもに必要なときだけ、AFとして全うする。
なんとも悲しく考えさせられる本。
何度も読み返したい素晴らしい本だと思う。
私を離さないで、がとても気に入っている。
でも、この本も同じくらい大切な本になる。
ぜひたくさんの人に読んでほしいと、思う。
図書館で一年待ちで読んだが、文庫になったら買いたいと思う。
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ありがとうございました。偉大な物語をありがとう。最後から3ページ目の最後の6行のために、この物語はあると思う。
「カパルディさんは、継続できないような特別なものはジョジーの中にないと考えていました。探しに探したが、そういうものは見つからなかったーそう母親に言いました。でも、カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中でなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。」
何が人なの?何をもって人なの?人の心って何なの?そういう、AIみたいな超人間的なものに対する直感的な違和感を的確に、それでいて味わい深く温かく表した一節に、深い敬意を払う。
ああ、これを言葉で表現できるカズオイシグロすごい。これを伝えるために(と私は思ってる)物語を生み出せるカズオイシグロすごい。
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初めてカズオ・イシグロの作品を読んだ。
正直、英語で読めばよかった...!と少し思った。
「翻訳された文章」感が否めなくて、原作ではどんな言葉が使われているんだろうと興味が湧いた。
ストーリーに関しては、とても面白かったし、切なかった。映像がはっきりと脳内に浮かんで、なんだか映画を観ているような気分になった。物語も、クララ視点なのが面白さと切なさを倍増させている。
クララはジョジーにとって何が最善かを常に考えていて、自分の犠牲も厭わない。それはAFとしてインプットされた機能によるものなのかもしれないけど、読み手の私たちはそれ以上に何かあるのではないか、クララにも感情があるのではないかと思ってしまう。
現にクララも自分に感情があると思うと母親に言っているし、驚いたりがっかりしたり、お日様を人間が神に祈りをささげるのと同じように信仰している。だから彼女が作中で人間たちに「物」として扱われているのを見るとすごく苦しくなってしまう。
クララ自身は幸せな時間を過ごしたと言っているけど、あんなにも自分と沢山の時間を過ごしてくれたAFに、「次に帰ってきた時はいないかもしれないけど」とサラッと別れを告げられるものなのだろうか。
AFの最期は、例えばペットのような「生きているもの」とは扱いが違う。あくまでも命のない「ロボット」として捨てられてしまう。
人間のように考え、行動し、ジョジーを救いさえしたかもしれないクララが1人寂しく(本人は寂しくないのかもしれないが)廃品置き場に置いていかれる情景はあまりにも切なく感じてしまう。
クララがジョジーに直接関係ないことや、人間を煩わせてしまう可能性のあることに関して質問をしないので、最後まで読者の解釈に委ねられてしまう部分も多い。
私たちはクララの知識を頼りにこの世界を読み解くしかないのだが、「向上措置」「コミュニティ」などのワードから、高度な技術を得られる者とそうでない者の間に大きな格差がある社会にキャラクターたちが住んでいることがわかる。もし今後技術が発達してAFが各家庭に一台はいる、というのが当たり前の光景になる日が来たら...もし「向上措置」を受けている子供と受けていない子供で格差が生まれるような社会になったら...そう考えると恐ろしい。ロボットや感情について倫理的な視点でちゃんと考えなきゃいけない未来が来るのかもしれない。
人間側の視点から見たら、全く違う物語になりそう。
クララの考察や感想が言葉として私たちに伝わるからよかったっていう部分があるから、映画化するのはとても難しそう。映像的にはしやすいと思うんだけど、クララのモノローグがすごく多くなることは避けたいだろうから、静かな映画になって良さを伝えるのが難しそう。
でも観てみたいな。
あったかかったけど切なかった。
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とても考えさせられる物語でした。
人口親友(AF)のクララが、体が弱いジョジーの元で様々な体験をしていく。
時代は少し未来の話で、人口親友や向上処置(人間の能力を向上される手術的なもの?)がある世界で未来な感じ。
クララの主人であるジョジーは、向上処置をしましたが失敗?か何かで体が弱ってしまっていました。
ジョジーの母親は、元々もう1人の娘(ジョジーの姉)を亡くしてしまったこともあり、ジョジーを亡くすことを恐れて、怖い計画を練るシーン(ジョジーが死んだ場合にクララにジョジーを演じてもらう)などもあり、人間の心理や倫理を問われるような場面もありました。
AFのクララは、お日様から栄養を貰う(太陽光発電的な?)機能らしく、お日様には特別な力がある事を信じています。
それもあり、お日様にジョジーの病気が治るように懇願したり、お日様が嫌がる煙を出す機械(クララが思い込んでるだけ)を壊したりして、お日様のご機嫌を取るシーンが沢山ありました。
お日様にそんな能力があるわけないと、思いながら読んでいましたが、最後の最後でジョジーにキセキが起きて病気が治り、ハッピーエンドになりました。
実際はお日様のおかげではないようには思いますが、クララが頑張ったからと思いたいと思わせる物語でした。
物語の前半は、店頭にクララが売られているところから始まり、単調なシームが続きます。
しかし、この初めのシーンに後半に繋がる伏線(クーティングマシン、お日様の特別な力、ご老人の感動の出会いなど)が沢山できてます。
個人的には、ご老人の感動の出会いの伏線が物語の最後に希望を持たせるもので良かったです。
(終盤にジョジーとお隣さんで親友のニックが別々の道を歩んでしまうのですが、この伏線のおかげで希望が持てました。)
まとまってない文章でしたが、家族や将来、病気など、様々な悩み事に関して深く書いてあり、考えさせられる物語でした。
非常に楽しかったです。ありがとうございました!
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カズオ・イシグロさんのノーベル文学賞受賞後一作目の作品ということもあり楽しみにしていた。そして映画化決定。読みながらこれはぜひぜひ映像化して欲しいと思ったのでやはり。
AIロボットクララと病弱な少女ジョージとの交流。
環境汚染、ロボットと人間の共存、発達した電子機器の使い捨て(乗りかえ)、などなど現在の社会情勢や問題に切り込んだ作品だと思った。
難しい話だけど奥が深くて何度も読み返したい作品。
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客観的観察力と推測力を持つAIのクララは、太陽光からのエネルギー吸収については客観性の限界があり、「お日さま」という存在に対し、信仰にも似た感情をいだく。
自己犠牲も厭わないクララの信仰は、周りの人々の感情を推測ながら、ジョジ―の回復のために祈り、願う。
それは、ジョジ―の母が自己の耐えられない悲しみから回避するために、人間の魂を否定する計画に同調していくことと、見事に対比されている。
社会を観察した結果、宗教にも似た思考を持つ「AI」と、耐え難い悲しみを経験した結果、人間自体を科学で再生しようとする「ヒト」。
文中に、デストピアの世界である可能性が見え隠れしているが、そのことは本題として語られることなく、SF小説としての成立を目指してはいない。
物語は、ジョジ―と周囲の人々の感情のせめぎ合いと、クララの「祈り」がエスカレートしていく様子が、クララの一人称で刻々と描かれていく。
この辺り、「わたしを離さないで」など他の作品同様に、カズオ・イシグロによる「語り」の世界観を感じる。
「外を見るのが好きな」クララがひとり、広い空を見ているラストシーンがとても印象的。
そう……十分な感情表現が提供されているにも関わらず、読後にこの物語をどう思うかは読み手に委ねられている。