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神谷美恵子さんの「生きがいについて」の解説を、東工大の若松先生が著したもの。「生きがいについて」はそんなに難しいものではないが、やはり専門家の解説があると理解が深まる。「生きがいについて、失うことと、見失うことは違う」「生きがいを見つける人生は、旅行ではなく「旅」である。決まった目標地も日程もない」「生きがいは到達すべき一地点ではなく、旅を進める一歩一歩」「ハンセン病患者という特殊な人間がいるのではなく、それを生きている個々に人間だけが存在する」「生きがいは、しばしば心の熾火となって存在している。消えているわけではない」「生きがいとは「朝」のようなもの。毎日夜が来て朝が巡ってくるが人々はそれに気づかない」
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“神谷が精神医学を志したのは、真の意味で「人間」の姿に出会うためだった。しかし、いつしか、精神医学そのものを目的としてしまい、最初の志を忘れてしまったのではないのか”
私も鍼灸そのものを目的としてしまい、志をつい忘れがちになる。
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〈本から〉
社会を離れて自然に帰るとき、そのときにのみ人間は本来の人間性にかえることができるというルソーのあの主張は、根本的に正しいに違いない。
自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる。
人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない。
一個の人間として生きとし生けるものと心を通わせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなく豊かな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージを作り出すよろこび。ー こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで
いかに生きるかではなく、いかに生かされているか
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
生きがいを失ったひとに対して新しい生存目標をもたらしてくれるものは、何にせよ、だれにせよ、天来の使者のようなものである。
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東日本大震災や新型コロナウイルス禍といったさまざまな困難のなか、失われた「生きがい」をいかに取り戻すか―。岡山県のハンセン病療養施設・長島愛生園で精神科医として働いた神谷美恵子が、『生きがいについて』等の著作で描き出した「極限状況を生きる患者たちの姿に見出した希望」をヒントに、私たち自身にとっての生きて行く意味を考える一冊。【目次】
はじめに―「生きがい」との出会いを求めて
第1章 「生きがい」とは何か
第2章 名無き賢者たちとの協同
第3章 避けがたい試練と向きあう
第4章 生きる希望はどこにあるのか
第5章 生きがいをつなぐ
おわりに―平凡な心のくみかえの体験
天来の使者
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神谷美恵子『生きがいについて』の解説本とも言える本。100分de名著版は写真が多く、そちらも良かった。神谷さんの文章は、学者らしい知的さと詩を愛する神谷さんらしさを兼ね備えた文章だと思う。他の著作も読んでみたいと思った。晩年の詩「順めぐり」「同志」が素晴らしい。
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神谷美恵子の「生きがいについて」を解説、解題し、神谷美恵子の思いを共感させる。原本を読むだけでは気づかなかったことを気づかせる。これは、若松英輔にしか書けない本である。
石牟礼道子との共通点の指摘は、やはりそうであったかという直観を後押ししてくれる。圧倒的かつ敬服するバイタリティの二人の女性である。現代において、この二人を取り上げてくれた、この本の有難さを思う。
「クワトロ・ラガッツィ」を書いた若桑みどりも言っているが、人間の価値は自己の信念に生きることである。
今年4月に東村山の国立ハンセン病資料館に行った。知らなかったことが山のようにあった。再版された「いのちの芽」は、生きる喜びと尊さを伝える。生きることを粗末にしない、そういう社会にしなければならないと強く思う。