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自分が「多様性の時代」とか「みんなそれぞれでいい」とか、そういった言葉になんとなく感じてた違和感が一部解きほぐされた気がする。
みえているもの、聞いたこと、自分のこれまでの経験、そういったものから「こうだ」と決めて思い込むことって本当に多い。そして「理解できる」ことの中に勝手に含めて、「寄り添おう」とか「理解しよう」とか思う。
自分が感じていた違和感に通じてそうだよなと納得すると同時に、「ごめんなさい」って心の中で謝った。
この考え方を知ること自体に価値がある。
『流浪の月』読んで、相手のことなんて結局分からないとか、見えてるもので判断してるとか、感じたことがリンクするなぁと思った。
あと最後の取り調べのシーンは、映画『万引き家族』の安藤サクラが演じた取り調べのシーンとリンクした。
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この本の登場人物は誰も間違ってないし、同時に全員少しずつ間違っている
私が1番のめり込んだのは八重子と大也の話
八重子が異性を苦手になった原因に共感したし、そんな中で大也のことを気になってしまう苦しみがあって、でもそれは大也からしたら余計な介入で、って
世間に理解されずに世間を断絶する大也たち側の視点で物語が進んでいくから私たちは自分自身の多様性を問い直さざるを得なくなっているけど、「窃盗罪も侵入罪も犯罪、キスだって同意がなかったら犯罪」とはっきり言い切った八重子の発言にハッとさせられたし
この作品の終盤になっても私は結局狭い視点でしか世の中を見ることができないんだな〜と気付かされた
大也と八重子だって、佳道と夏月だって、確実に法律で定められた「世間」に適応していくことを前向きに捉えることができそうだったのに、それが良いことか悪いことかは分からないけど
佳道の上司の田吉のような、検事の寺井のような考えの人がいるから「多様性」と言う言葉の元で苦しめられている人がいるんだなと思った
でもそれはその時代の、「正規のルート」を辿ってきた人からしたら仕方がない考え方なんだろうな
自分の想像の及ばない出来事に想像を及ばすのはとても難しい
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否定したくないとか、理解したいとか思ってる時点で同じ土俵に立てていない。
今の人生を悲観する必要はないが、どこまでも平凡な自分にうんざりすること自体しょうもない。
どんな人もいていいと、あってはならない思考などないと、包み込んでくれる。
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「多様性」という昨今異様に叫ばれる美辞麗句は、果たして何物だろうか。
「多様性」について書かれた本作を読み、特に述べたい感想を以下の3点にまとめる。
まず、朝井リョウ氏の文章表現についてである。
私は物語が卑俗な現実世界に近づけば近づくほど、娯楽というより教訓めいてうんざりしてしまう。この作品も確かに現代社会を映しているのだが、その不快感はない。それは作者のみずみずしい表現によるものであろう。人間の単に汚い部分を汚いままに表しながら、そこに必死な生の欲求を見出すことができる。彼の表現によって「多様性」についての教訓めいた作品に堕することなく、「生」の作品に昇華されている。朝井リョウ氏の作品でなければ、このテーマについての小説を最後まで読むことはできなかっただろう。
続いて、「多様性」という難しいテーマに、正解を与えることなく、しかし読者に確かな影響を与えるであろう点だ。その影響力、影響の仕方について述べたい。
先述したように本作に押し付けがましい教訓はないと感じた。けれども、多様性とは何か?読者各人に善人ぶった正論や美辞麗句を抜きに、素朴にこの疑問に向き合わせる。まとも側から弾かれた人間は、化け物ではない。同じ人間である。しかしながら異物であるのは確かであり、この異物とどう向き合うか。そして自分は「向き合う」「受け入れる」側という態度を無意識にとっていないか。この読書体験は、自己反省を十分に促す。
最後に、これを読んで私なりの多様性の考えを示したい。
多様性とは、意識的に何かを境界の内に入れることではない。境界を消すことである。性的嗜好が違う人にラベルを付けてコレクションのように自分の世界に飾ることではない。「そういうものもある」と思うことである。無意識に、その前提を受け入れることだ。
その前提において否定される感情はない。「あの人が気持ち悪い」という感情さえ、「そういうものもある」に受容されるからだ。
ラベルを付け顕在化させることで、あたかも自分の世界が寛容で豊かであるとアピールできるだろう。しかし、本来「多様性」とは自分の限界を広げる言葉ではなく、自分の限界をわきまえる言葉ではないだろうか。美辞麗句などではなく、異物への恐怖も受容の安心も含む、混沌そのものだろう。
したがって「多様」に善悪、正否はなく、ただ混沌がある、というだけである。しかし社会で共同生活を送る上では法、ルール、正否を定めるものが必要である。では法とは何か、という問いは続けて考えたいテーマである。
以上、「多様性」という教訓的テーマを扱いながらも表現によりみずみずしい「生」の作品となっているということ、しかしながら教訓の側面も、読者に反省を促すという形で成立しているということ、そして、本作を読んで「多様性」について私が思うことについて述べた。
読みやすく、内容は深い。「多様性」が礼賛される世の中に一石を投じる一冊である。
あとタイトルのセンスも良いよね。
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各々の生活や信じるもの、主張がいちいち分かるわあと頷きながらしかし悶々とする感じが、自分は果たしてどうやろかと考え込んでいる。いやこれは考えすぎているのかもしれんとも思ったり。
各々の時系列の組み合わせがすんと気持ちいいくらい想像できておもしろかった。
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読み進めるうち、3人くらいしか頭の中に覚えられないなと思ったら、ちょうど3人の視点から書かれていて安心。前半はとてもスリリングだったけど、後半勢いがなくなったかも。生々しいだけに、共感できるところが多かった。
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2021/5/29読了。登場人物の絡みあってくる人間関係から、朝井リョウさん得意の群像を解き明かして行く中で物語は進行します。気になった多様性とかは余り読み取れなかったのですが、こんな一文が気になり書き留めようと思いました。
世界はきっとこれからますます、自分はまともな側の岸にいると信じている人が不適切だと定めたものを排除していく方向に進んでいく。『子どもに悪影響を及ぼす可能性』、『不快な気持ちを与える可能性』、『社会にとって良くない思想を助長する可能性』という、どう足掻いても完全に消し去ることのできない“可能性“を盾に、規制の範囲は広がっていく。作家の抱える現代の不安を本作を通じて表現したかったのだろうか?総選挙の街頭演説を政権のト
ップが行なっている時に、反対の声を上げた国民に向かって『あんな人達に国の舵取りを任せられないんですよ!皆さん』と声を張り上げたあの人の声を忘れられない。
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多様性という言葉が使われる世の中で、読んでおいてよかったと思う本。
みんな違ってみんないいってそんな簡単なことじゃないよなと考えさせられた。
頭をすごく使うけど、考えされられる小説だった。
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まず、読みやめることが出来ないほど夢中に読み進めました。
若者、お年寄り、見た目、そんな些細な描写ですらどんな人間なのかイメージを作り出してしまう脳に嫌気がさす。
誰しもが抱えるであろう闇の一部を、誰かと共有できることがどれだけ糧になることか。
わかっているつもりだった。
読み終わった後、
最近の若者は自由で生きやすい世の中になったでしょう?
よく聞く言葉が降ってきた。
あほらしいな。
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泣きたくなる程の希望も死にたくなるほどの絶望も詰まっていて、ずっと息が苦しかった。
また読み返す勇気があるか分からないけれど、一生本棚に置いておきたい一冊。
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正しい欲とは?性欲とは?
9頁から始まるネットの記事は、ある男性たちが児童ポルノ所持で逮捕された、という内容になっている。
しかし、物語はそんな単純なものではない。
ネット記事の登場人物の他に、その周辺の人物たちが描かれる。
「自分を認めてください」「わかってください」。
そんな承認欲求が前面に出る者。
「誰も理解できないのならせめてほっといて」
乞い願う者。
「普通じゃない奴はみんな異常者(自分あいつらとは違う)」
そう信じている者。
誰に感情移入したらいいのか、いや、そもそもわかるはずもない。
誰もが大っぴらに語らない本当の性欲。
世の中には人の数ほどあるらしい「フェチ」。
誰にも理解してもらえないなら、どうする?
タブーに触れた、本書はそう言えるかもしれない。
しかし、タブーとは、なんだ?
八重子は、少し鬱陶しい存在だ。
私はわかってます、理解したい、そう言いながら結局は自分の中で理解できる範囲でしか解ろうとしないんでしょう?
コンプレックスまみれで、それでも私は頑張ってる、だからあなたも、って言ってくるんでしょう?
違う。
話せばわかる、なんて無理な時もある。わからないものはわからない。
だが、「それでも、」と手を差し出す人は、少なくても、あなたを見ている。
そんな誰かに気付けるかが、分かれ道なのかもしれない。
本書は小学生ユーチューバーのその後が気になるが、知らなかった世界を知ろうとする、その弱さと力強さを感じられた。
結局言いたいのは「繋がりの大切さ」なんて薄っぺらいこと……
だとしても、その薄さの中にどれくらい人の心がこもっているのだろう。
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なんていうか重い。
世間で使われる「多様性」という言葉はなんと軽いことかと思ってしまった。
少数派になることは、誰しもがあることだと思う。
そして、その為に苦しい思いをしてるとしても、当事者じゃない限りその苦しみはなかなか理解されないし、理解もできない。
人は無意識に誰かを傷つける。そんなつもりはなく放った言葉や態度が時に相手を傷つけてしまう。
少数派だから、なんだというのだ、誰に迷惑をかけてるのかと思いつつも、やっぱりそれが小児愛とかだとやっぱり無理だなー、いろんな性癖があるとしてもそれだけは無理だなーと自分の中で真っ先に排除してしまう。
人はどっちの立場にも簡単になれるだなと思った。
でも田吉みたいな人にはなりたくないと強く思った。
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2021年に読んだ中でいちばん面白かったし、ものすごく考えさせられた
最近どんなジャンルでも当たり前に出てくる“多様性”
自分とは異なる価値観や存在を理解するためには、どうすればいいのか?
マジョリティとマイノリティ、ダイバーシティ、LGBTQ、フェチ…簡単には扱えないキーワードがたくさん出てくる
マイノリティといっても結局、認められるのはマイノリティの中のマジョリティだし、それを決めるのもマジョリティ…この問題は生活圏から人種問題と、あらゆるところに存在する
じゃあ、どう付き合っていけばいいのか?
マジョリティの中で生きていくのは息苦しい、けれどそれがいちばん楽な生き方でもある
ほんとうは、そんなこと間違ってると思う
それぞれの個性は個性として尊重されるべきだと思うけど、全体主義の中で生きていくためには、「明日死なないために」は口を閉ざさなくてはいけない
冒頭に出てくるネットニュースの記事、最初に読んだときはおぞましい事件だと思った
ニュースの中の人物がわかってきてもう一度読み返すと、なんか違和感があった
そしてニュースのネタ元や真相がわかると、ぜんぜん違うと変化した
真相が語られないことは多々あるけれど、世の中はディテールを求めていないことを実感する
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帯に、読む前の自分には戻れない。って書いてあるけど本当にそうだった。本当に価値観覆されたというか。。。幅が拡がるばかりだった。衝撃的。でも、すごく大切な題材だと思うし、小説だけどとても勉強になった。たくさんの人に読まれたらいいなと思う。それが何に繋がるわけでもないかもしれないけど、でも、少しでも善の方向へ繋がればいいなと思う。
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自分が想像できる範囲でしか多様性を見れていないんだと知った。
多様性ってなんだろう。
「生き延びるために手を組みませんか。」
そうしないと生き延びれない人がいる。
改めて考えたい。