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〇教育現場等で外国籍、あるいは外国にルーツを持つ生徒がいる場合は読んでおくと理解の一助になる。
〇先生と生徒
〇多民族国家としての日本を考える
「序論 人類学的文化理解とはなにか? フィールドと身体の共鳴」桑山敬己
人類学とは…
・文化人類学(本書で取り上げるもの)
個別民族の生活様式や学習によって獲得された汎人類的特徴づけるを研究する
・自然人類学(形質的人類学)
人類の真価や生物学的特徴、および類人猿との比較を主な研究対象とする
異文化理解だけでなく、異文化を鏡として自文化理解にも力点をおく。
1・日本人が見た異文化
●他者像を完成させない 国際協力で揺らぐ自己の先に見えたもの 細見俊
支援者にとっての“正しい”支援が、本当に被支援者にとっての“正しい”支援か。
●「当たり前」を問い直す -ネパールの農村生活を通じた「読み書き」についての一考 安念真衣子
ネパールの農村の識字教室において、女性は何を目的に学んでいるのか。名前を書くこと、計算式。
●フィールドに「身を置く」ことと「わかる」こと -フィールドワークのこぼれ話 川瀬吉高
中国江蘇省の農村の呂家にお世話になって。呂家のイヌは飼い犬だったのか。呂家のおじさんの生活のリズム。
●フィールドで「信頼する」ことと「信頼される」こと -人類学的ラポールの舞台裏 野口泰弥
調査官と現地の人との距離。インドの友人フィロスとの時間を振り返って。距離は難しい。地域によっても左右される。
●フィールドとの「つながり」、フィールドとの「断絶」-ロシアと日本の往還から見えたもの 櫻間瑛
多民族・多宗教国家であるロシア。不真面目なムスリムとの出会い。対する生真面目な若者。
タタールの女性
「あなたには自分の国があって、自分の言葉を自由に話すことができる。だから、私たちの気持ちはわからない。」
アイヌの人
「アイヌの人々に対する差別のようなものはあるのですか」
「差別とならないことが問題なのです。」
●知らない土地とのつながりを見つける旅 -アリゾナで先住民族ヤキの人びとと過ごして 水谷裕佳
迫害されメキシコから米国に渡った人々。街の様子を理解できるようになってから、人への理解を深めていくことが出来た。訪問するだけでなく、されること。
●「わたし」と「あなた」が出会う時 -ドイツでの経験を日本での教職に生かす 石田健志
国家間の緊張が必ずしも個人の関係に反映されるわけではない。ラベリングされた関係にとらわれずに対話の回路を開く。
●アジア人がアメリカの大学で教える時 -三十年前の新任教員に立ちはだかった壁とその教訓 桑山敬己
アジア系とアフリカ系のエスニック・マイノリティの教壇での苦悩。
2・外国人から見た日本
●五感から異文化を考える -日本に暮らす一人のラトビア人の日常から インガ・ボレイコ
見る…景観を「見る」ことと「感じる」こと
聞く���新たな世界観を生み出す言葉
味わう・嗅ぐ…料理を通して現地に触れる
←海外のスイーツなお寿司に対する日本人の気持ちは、日本でお砂糖を肉に使うことに対する海外の方の気持ちは同じなのかも。
触る…身体的記憶となる「異文化」
●「日本」を追い求めて -文化を共有することとは 孫嘉寧
海外から見た「オタク」文化と日本での「オタク」文化。必ずしも全ての人が共有しているわけではない。
いくつもの顔を持つ、重層化した文化
・文化の区分や単位は人為的で多様である
・文化はさまざまなレベルの要素と側面によって構成されている
・個人を持って文化を措定することはできても、文化をもって個人を措定することは危険である
←大切!
●「無」としてのマイノリティ -不可視の内なる他者 ロスリン・アン
シンガポールで生まれ育ち、ニューヨーク大学で学んだ中華系で、日本でフィールドワークを行った著者。
沖縄と北海道で他者を見る。
異文化の「馴化」と自分化の「異化」
見えなくされた人々
←アイヌの人と琉球の人を改めて思う。
自分のルーツも琉球の方にありながら、考えたことが最近まで無かった。消えてしまっていたのだと思う。
●国内の異文化体験 -「彼ら」としての先住民と私 呉松旆
台湾人にとっての漢人と原住民族(台湾人においては先住民族の意)を考える
アイヌ民族と原住民族
和人研究者から見るアイヌ民族、海外研究者から見るアイヌ民族、自分が見るアイヌ民族
異文化理解には終わりがない。“当たり前”を問い直し続ける。
●アイデンティティの複雑さ -カタルーニャ人と
スペイン人であること ビエル・イゼルン・ウバク
スペイン人とカタルーニャ人。アイデンティティはどこにあるのか。
国家とネーション。
日本人には、大多数の和人と和人ではない少数民族がいる。
3・もう一つの日本
●「無知」から「愛着」へ -北海道朝鮮初中高級学校「ウリハッキョ」でエスノグラフィーした僕 川内悠平
朝鮮学校は、在日朝鮮人の人々にとって、どのような意味を持つ場所なのか。
植民地支配・強制連行からは「加害者である日本人」、拉致問題においては「被害者である日本人」、「北朝鮮」報道では「脅威となる北朝鮮の人」と複雑な立場。
朝鮮学校の中から見たとき、日本社会の景色が変わった。
←人と人とのコミュニケーションの大切さを感じた。また、“眼鏡”の外し方の難しさも。著者の人を信じる明るさに、最初の一歩を踏み出す人が続くのではないか。
●身体の非対称性 -ひとりのダンス教師は異なる身体とどう向き合ってきたのか? 井上淳生
社交ダンスの教師として、指導することの違和感を感じた著者が、ダンスという対話を文化として考える。
←異色で、また自分がダンスという文化に馴染みがいので、特に興味深く読んだ
●人類学は役に立つか? -手話通訳者になりそこねた学生のその後 沢尻歩
手話の文化。
「手話は一つの言語であり、一つの���化でもある」
→“日本手話”と“日本語対応手話”
日本語対応手話を使っていた知人が、聴覚障害者同士の会話になった瞬間に日本手話になった
→コードスイッチング
←図書館職員として、手話の分類に悩んでいたが、8類に移すべきだと理解出来た。ありがとうございます。