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【暁斎を父に持った娘・暁翠の数奇な人生】鬼才・河鍋暁斎を父に持った娘・暁翠の数奇な人生とは――。父の影に翻弄され、激動の時代を生き抜いた女絵師の一代記。
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絵を描くことが好きなのに兄や父ほど絵狂いになりきれない女性の一生を描いています。
それに苦しみ、苦しんでいるからこそ絵がにくい。
なんだかわかります。
それでも好きでいていいのだと自分しかできないことがあると思って生きていいのだと思えました。
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明治から大正へ画家だった父の元画家になるべく育てられた娘の人生、父のこと、兄のこと、そしてその間に関わった人たちの人生の顛末、読み応えがあった。思うに小生の祖父と父の時代に重なるところがある。生きるだけでも大変な時代、そして関東大震災を体験、身につまされた。父のこと祖父のこと何か語り継がなければならない様な気がしてならない。文才の無い小生にはとても無理だ。貴重な一冊になった!
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江戸末期に活躍した絵師河鍋暁斎が死ぬ。娘の「とよ」の苦労を描く。義兄の周三郎は絵師として活躍するがクソ野郎。弟は役立たず。明治から大正にかけて活躍し苦労するとよ=河鍋暁翠の人生とは?
個人的には面白かったけど、若干読みにくかった。誰の視点で表現してるのかと、人物が二度三度登場しても、以前の記憶がないので、誰だか分からなくなってしまった(作者は悪くなく私が悪いのかも)
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『若冲』で奇想の絵師・伊藤若冲の生涯を鮮やかに描き出した澤田さん。本作では幕末から明治期に活躍した画家・河鍋暁斎……ではなく、その娘であり弟子でもあるとよ(河鍋暁翠)を主人公として、親子の絆や芸術家としての生き方などに苦悩する姿を描く。若冲とは違いこの親子(次男の暁雲も含め)は知らなかったのでより興味深く読んだ。流行遅れになり忘れられていく悲哀は西洋美術だけではなかった。
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まぁ良かったです。
「何かに似てるな」と思ってましたが「若冲」書いた人だったんですね。
直木賞ですか、「若冲」との合わせ技であるなら納得です。
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“画鬼”とも称された稀代の絵師、河鍋暁斎の娘・とよ(暁翠)の半生を描いた作品です。
父・暁斎の死後、“河鍋を引き継ぐ者”としての悩みや、偏屈な兄と確執はあるものの、彼の才能は認めざるを得ない心情など、葛藤しながらも力強く生きるとよの姿が端正な文体で綴られています。
印象的だったのは、大富豪の婿として河鍋家の支援者でしたが、その後没落した鹿島清兵衛と、彼の愛人から後妻になった元人気芸妓・ぽん太(鹿嶋 ゑつ)夫妻です。
とよに対して異常にあたりがキツイぽん太のキャラは正直苦手なんですけど(同じような理由で、おこうもちょっと苦手)、没落しても二人で寄り添いながら、そしてその姿すら見せつけるように生きていく様はある意味凄みを感じましたし、御大尽から没落して、能の笛方になった清兵衛が言った「・・この世を喜ぶ術をたった一つでも知っていれば、どんな苦しみも哀しみも帳消しにできる。生きるってのはきっと、そんなものなんじゃないでしょうか」との台詞は、胸に染みてくるものがあります。
時代は明治から大正にかけてが舞台。まさに西洋文化が怒涛のように日本に入ってきた時期ですね。芸術の価値観が変化していく様子や、関東大震災の描写も興味深く読みました。
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暁斎から英才教育を受け、極度なプレッシャーに苛まれながら芸の道を歩み続けたとよ。晩年とよが絵師の人生を回顧していたが、幸福感が伝わり安堵した。
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明治から大正にかけて活躍した女絵師河鍋暁翠。
江戸時代の名残を残す明治だが、父である鬼才暁斎の没後、一門は四散し、パトロンも没落。
西洋画風の絵が流行する中、暁翠は挿絵、絵教師で食いつなぎつつ、父親の跡を追い伝統的日本画を追求する。
後世まで残る本物とその場の流行だけで終わるものとの違いはどこにあるのか。
関東大震災被災後にみせる面倒見の良さ、芯の強さは、家族に苦労しつつ絵の道を追求した暁翠の一生が凝縮したものであったか。
没落したパトロン夫妻の生きざまも時代を映す裏旋律として印象を残す。
直木賞受賞作。
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天才絵師・河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)(1831~1889)の娘・とよは、5歳の時に父に絵の手ほどきを受け、のちに暁翠(きょうすい)の名をもらって絵師となった。
暁斎の死没から始まる物語。
河鍋家は、画鬼の家だった。
画才ありとして、暁斎の手元に残された、周三郎(暁雲)ととよは、
偉大なる父に囚われ、しかし決して越えられず、檻の中でもがくだけ。
同じくびきにつながれた周三郎ととよは、激しく反発しあいながらも、お互いを認めざるを得ない。
父・暁斎と、周三郎、自分は、家族という「血」の繋がりではなく、絵を描く「墨」で繋がっていたのではないか、ととよは思う。
父を失い、兄を失い、最後のバトンはとよに回って来た。
自分は、黒い墨ではなく赤い血で家族と繋がりたい、バトンを捨てるのも勇気である。
とよの周りの人々、芸術の道を挟んで対峙する、夫婦のありようもいく通りも描かれる。
世の中には二種類の人間がいる。
芸術をするものとしない者。
後者からは、世間を外れて生きる前者を理解できないことが多い。
・とよと、芸術に無関心の夫
・とよの弟弟子・真野八十五郎と、絵を激しく憎む妻・おこう
・とよの兄、父・暁斎の画法を頑固に守り続ける周三郎を、洋食屋で働きながら最後まで支えた、お絹
・鹿島清兵衛と、元人気芸妓のぽん太は独特の世界を作っている。
清兵衛は、河鍋のパトロンとも言えるお大尽だったが、放蕩が過ぎて大店の婿養子の座を追われる。
落籍されて妻になったぽん太は、贅沢が忘れられずにすぐに別れて他の男のところへ行くだろうと誰もが思った。
しかし、どんなに落魄しようと、笛で身を立てるようになった清兵衛に最後までよりそう。
いつまでも人々の口の端に名前が上る有名人の二人ゆえ、世間への意地があったのか。
それとも、登場する中で唯一の、芸の道を知った者同士の夫婦だったからか。
『本当に苦しいだけの絵の道だったか?その中によろこびはなかったか』と、とよに問うてくれたのも清兵衛であった。
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「自分はただ、腹立たしいほどの高みにいるあの星を、今もぽっかりと仰ぎ続けている」
偉大な絵師である父と、その父の筆を引き継ぐ異母兄。
河鍋暁翠こと”とよ”の前に立ちはだかる二つの星はあまりにも眩しすぎる。
絵師としての才に恵まれた二人に追いつこうとするも遠く及ばず、とよは己の画力に嘆いてばかり。
けれど嘆いてばかりもいられない。
時代とともに周囲から求められる画風も移ろい、時代遅れと見下される父と異母兄の絵を守るため一人奮闘する。
偉大な星の眩しさを知る者としての務めを果たせるのは、己しかいないのだから。
明治から大正を生きた女絵師の半生を描いた物語。
朝井まかてさんの『眩』とつい比較してしまう。
奔放な絵師を父に持ち、幼い頃から絵筆を持たされた女絵師。目の上のタンコブ的父の影響力は、生前はもちろん死してからも変わらずに娘の行く手を阻むもの。
肩の上に勝手に置かれた重石を取り除くことができず苦しみながらも、絵筆という特殊な武器を持った女たちは、やはりさっぱりとしてカッコいい。
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思えばもう4年前。
『火定』で初めて澤田さんの作品を読み、数年後のコロナ禍を予期していたかのような天然痘パンデミックを迫力のある描写で現代に蘇らせた力量に感動し、この回の直木賞は決まりだと思いました。
しかしよく分からない理由で落選し、その2年後。
『落花』で再び澤田さんの作品を読み、相変わらずの古代に対する造詣の深さと確かな筆致に安心感を覚え、この回はレベルが高くてちょっと厳しいかもと思いつつ、リベンジを期待しました。
しかしリベンジは果たせず、さらに半年後。
『稚児桜』で能をモチーフにした様々な物語を現代の読者に分かりやすく提示し、短編の面白さを再認識させてくれたサービス精神に好感を持ち、当時星5つをつけさせていただきました。
しかしなぜか酷評の嵐で、またしても箸にも棒にもかからずという・・・。
いい加減獲らせてあげてくださいよ。
そして今回。
天才絵師であった父親が亡くなり、残された娘が時代の流れに翻弄されながら絵師として明治・大正を駆け抜けるという女一代記の作品です。
悩み苦しみながらも前に進んでいこうとする主人公の女性の造詣が素晴らしいです。
抜群の安定感。
自身の過去作や他の候補作と比べてこれが優れてるとか劣っているとか、そんなことどうでもいいじゃないですか。
相対評価じゃなくて絶対評価で見て欲しい。
大事なのでもう一回書きます。
いい加減獲らせてあげてくださいよ。
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河鍋暁斎の娘、とよ(暁翠)の物語。
父であり師であり、偉大な絵師だった河鍋暁斎の葬儀の夜から物語は始まる。とよには姉、兄、弟、妹がいるが、姉は河鍋の家と関わりを持とうとしない。兄は喪主は務めたものの、後始末もせずに家に帰ってしまう。
他家に養子に出された弟はへらへらとだらしがなく、妹は病弱。
河鍋の家の諸々を引き受けながら、妹と細々と暮らすとよ。しかし五歳から父に手ほどきを受けた絵は常にとよの傍らにあった。
変わりゆく時代や人の心、人の浮き沈み、出会いや別れに翻弄されながらも、とよは絵をやめなかった。それは、心の中に軛(くびき)と言っていいほどの父の存在があったからだった。
本作では、絵を描くシーンの描写はそんなに多くはなく、家族や周囲の人々との人間関係や、父暁斎への愛憎、絵に対しての葛藤の要素が大きい。
それと、明治という時代柄、変化してゆく東京の景色が詳細に描かれている。時代とともに絵の流行りも変わってしまい、河鍋暁斎は過去の人となってしまう。その影響はとよの周囲の人にまで及ぶが、とよは抗う。
普通の父親らしいことは何もしてくれなかった父暁斎。兄弟との縁も薄いとよだが、特に兄周三郎とは仲が悪かったけど、不思議と通じ合うものがある事が徐々に分かってくる。
家族とは何か、血のつながりだけのものなのか。父暁斎や周三郎とは何で繋がっていたのか。とよにとっての河鍋暁斎とは、何の為に絵を描くのか。時代は大正になり、東京の景色は更なる変化を強要される。その果てに、とよはどのような答えを見つけるのか。
生きる目的を見出しにくい現代の人々の心に刺さる一冊。直木賞受賞、納得。
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有名な絵描き師の一家に生まれた主人公。始めは絵を恨んでいたが偉大な父、そして兄弟が亡くなり自分しか絵の流派を繋ぐ人はいなかった。そこで父の偉大さを感じていた。これは現代にも当てはまり、いなくなってから気付くこともある。日々を大事に生きて何かを感じる必要があり、それを次世代に受け継ぐ必要があると感じた。
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河鍋暁斎の娘、とよの生き方は何と苦しいものだろう。己の能力の限界を感じなら生きるつらさが、ひしひしと伝わってくる。
さっさと他の生業に転じれば良いものを、それができず、ただひたすらに絵師の道を進む姿がなんとも息苦しい。
その一方で、こうも人生をかけて悩み抜くようなものがあることが羨ましくもある。
いや、でも辛すぎるかな…。
暁斎の絵を眺めてみたくなりました。