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「まずは教師が適切なデジタル・リテラシーを身につけること。」このことばを最終章で見つけて、非常に気が重くなってしまった。慣れない手続きを踏む作業が本当に苦手だ。だから、新しい家電とかに全く興味がないし、スマホとかできるだけ機種変更などしたくない。いま、中学1年生は授業にタブレットを使い始めている。小学校から使い出しているためか、とにかく速い。当たり前かもしれないが普通に使いこなしている。自分はと言えば、あと3年間なんとか逃げ切れないかと考えている。無理だろうなあ。あと10年使いなさいと言われたらあきらめて覚えようとするのだが、3年だったら、覚えないままで済ませたい。無理か。子どもたちの発達にどう影響するのか。乳幼児に動画を1人で見させておくのは、良くないだろうと想像できる。けれど、コミュニケーションをとりながら上手にデジタルコンテンツを使うのであれば良い効果も期待できる。小学生や中学生でもうまく使っていけば学習効率は上がるだろう。効率がいいというのは必ずしもいいことばかりではないだろうが。ただ、倫理的な部分の指導がうまくできていないと必ず悪い方向で使い始める子どもたちが出てくることも確かだろう。昨日も、中2男子が女子の着替えを盗撮していたという話を聞いた。自分の欲求のままにできてしまうことを、いかに相手の立場に立つなどして抑えることができるか。学校教育にデジタルデバイスを導入していくにあたっては、そういった部分の教育も重要になってくるだろう。言語教育についてはどうか。ある程度基礎ができた上なら、ことばをくずしていくことにそれほどの抵抗はない。しかし、「草」とか「垢」とか「いみふ」だろ。でも「Gr8」とか「Db8」とか、なるほどこれはいいと思えた。「I」を「i」と小文字にしてしまうのはまあいいかなあ。最初にFBでそういう使い方をしているのを見つけたとき、なんだコイツと思ったものだが。「gonna」とか「ain't」とかは昔からパンクロックとか聴きながらカッコいいと思っていた。BSJという使い方はまだ見かけないが、自分で勝手に使っていこう。(ブルシットジョブ)小文字の方がいいのか。
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このへんは常にキャッチアップしていかないと、で。著者の専門もあり、デジタルと言語能力についてのデータや考察が中心。全体的にわかりやすくまとまってた。まだ結論が見えないところは憶測を述べるのではなく、まだわからない、と書いてあるのは信頼がおける。(新書レベルだったら当然かもだけど)
メモ
・テクノロジーリテラシーの格差と、それによる学力の格差の問題は今後も注視が必要(アクセスができても、どのように使うか、社会経済的地位による違いがある)
・文字への依存度の少ないアプリ利用の伸びが顕著
・デジタルコミュニケーションに欠落しているバック・チャネル行動(あいづち、うなづきなどジェスチャー)、もともと文化により差
・OECD報告より「優れた読解力の意味を考え直す必要」「すばらしいスマートフォンを持ちながら、貧しい教育を受けている子どもは、深刻な危機に陥る」
・PISAが求める能力(異なる立場の意見を正確に理解し、意見と事実を判別し、情報の信憑性を判断し、論理的に判断し、言語化する能力)を身につけるには、計画性を持った教育が必要
・「ビデオ不全」2歳以下、テレビやビデオからの学習は学びが劣る
・2歳以上で言語発達を促進する視聴の条件‥内容(キャラが直接話しかけ、子どもが反応する機会がある)、ストーリーがある。大人向けの番組はむしろマイナスのことも。
・バックグラウンド視聴も、子どもにマイナス
・子ども向け外国語習得アプリ、「いつから」より「量と質」が大事。特に文法、語彙は小学校高学年あたりから始めた方が効率がいい。
・読みの身体性 デジタルもがんばってきているが、まだ紙の本には届かない。(デジタルならではの良さもあるが)
・SNSの打ち言葉が読解力に及ぼす影響、マイナスのデータもあるが、不明。さまざまなテクストに触れるのが必要。
・デジタルゲーム、言語習得で重要な要素あり。①意味のあるインプットと言語使用 ②認知的にチャレンジングで楽しいタスク ③繰り返しの効用 6年生が授業で行ったゲーム要素、学びの要素のl洗い出し、ゲームの企画
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「紙がいい、デジタルがいい」と判断するのはこの本を読んでから。
新井浩子さんの議論や、ゲームの意義、AIなど、人によっては物足りない部分もあるかもしれない。
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日本はデジタル教育も既に後進国であり、その差はコロナ禍で世界の先進国比でも2歩も3歩も遅れた致命的な結果を生み出した。それは、ここにあるデジタルテクノロジーに対する「アクセスの差」から「使用の質の差」となって現れているのは賛同する。政府(文部科学省)、教育委員会はデジタル教育に対する「形式だけ」で実務が伴ったリーダー的存在が欠けており、1990年代にも「一人1台のPC」と言って既に30年近く立っているが未だ同じことを言っている。やはり教育関係者も含めて一般的にデジタル・リテラシー不足であり、その人材不足が旧態依然のシステムのままで、今後、その差はアジア諸国でも最低となることは既に見えている。もう一つの原因は、日本の政府組織も含め組織そのものにも課題があり、若い人材の採用、権限委譲など積極性に欠ける組織と体制だ。
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1.この本を一言で表すと?
日本と海外の最新の研究結果から、デジタルと学びの関係を分析した本。
2.よかった点を3~5つ
・テクノロジーの進化に伴い、それを主体的効率的に有効利用していくグループと、自動的にテクノロジーに振り回される、または取り残されていくグループとの間の格差が拡大か、各特化していくことが懸念される。今のうちに、しっかりとデジタル教育格差拡大のカラクリを理解し、手を打っておかないと、大変なことになりそうだ。(p61)
→教育格差拡大の懸念はますます高まっていると思う。デジタル教育の良い部分を積極的に取り入れることが必要だと思う。
・ビデオ不全と相互干渉(p88)
→教育の目的で動画を見せる際は親の積極的な関与が必要だと言うことだと思う。暇つぶしに子どもに動画を見せておくのはやめようと思う。
・テクストは目だけでなく、手で読む?(p129)
→本で書かれていた内容を思い出す時、ページの左端に書いてあったと言うような内容と共に記憶している事はよくある。内容をしっかり読み込みたい本の場合は紙媒体の方が良いのではないか。
・SNS使用の急速な変化(p164)
→新しいツールが常に現れるので、研究も時代の変化に対応する必要があるのだと思う。
・都内公立中学での調査(p168)
→意味の理解に関する領域では、スマホ使用時間が影響すると言う結果は興味深かった。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・全体的に、現在研究中でありはっきりしたことが言えないと言う結論が多いように感じた。
3.実践してみようとおもうこと
・子供のスマホ使用時間についてはきっちりと管理していきたいと思う。
5.全体の感想・その他
・本書は言語教育にフォーカスした内容だが、言語教育以外の教育についても研究分析したら面白いと思う。
・どの内容も研究結果による科学的根拠に基づいた内容なので信用できる内容だと感じた。
・本書内で紹介されていた「AI vs教科書が読めない子供たち」も読んでみたいと思う。
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子どもの時からデジタルというのはおそらく結構大変そうだ。格差大きくなりそう。身体化。共同注意。学習言語の習得を逃げてSNS依存を拡大。
テレビの時と似てるような違うような。比べてみたい。
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SNSとかゲームとか、そういう楽に楽しめるものに時間を持ってかれすぎてる。しかも、そういう人たちがとても増えている。大人も含めて。
これが国力を落としてる原因になってるのは、事実だと感じる。
一方で、ちょっと指先を動かせば、なんだって学べる。未経験のものに取組んだり、より深く学んだり、そういう障壁は異常に低くなったとも感じる。
全体としては、堕落の方向に沈んで行ってるんだから、せめて自分だけはそうならないよう、テクノロジーも選んで使う側に居たい。
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英語教育に携わっているので、読んでよかった。著者の研究がICT分野に進出していった理由は、イコールデジタル世代への言語教育にはICTが不可分である、と分かった。また、学校では教師にデジタルリテラシーが必須だということが納得行った。まずは使うことからだな、と。
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子どもたちは、今や膨大な情報に取り囲まれている。その中で、異なる立場にいる人たちの見解を正確に理解し、意見と事実を判別し、情報の信頼性を判断し、信憑性のある情報に基づいて、論理的に判断を行い、その結果を言語化して、他人にも伝えるような能力をPISAでは求めている。
読みの4つの特徴。①移動性…どこでも持ち運びができ、読む行為は場所を選ばない ②身体性…紙の質感、感触。何ページあるか視覚的に感じ、ページのどの辺に書いてあったかを記憶する。本は情報である前に「モノ」である ③対話性…読む際に付せんを入れたり、アンダーラインを引いたり ④共有…読むことは意外と社会的な行為である
ハイパーリンクの落とし穴。リンク先に飛ぶことで、元のテクストの「読み」の流れが一時中断される。
特定のデジタル上の読みに頼りすぎると、学校教育で求められる「ある程度の長さを持ったテクスト」の読解に影響が出る恐れがある
「打ち言葉」が読み書きに与える影響に懸念がある。
コロナ禍でオンライン授業が進む中、家庭にコンピューターなどがないためオンライン授業に参加できない生徒が不利にならないようにするのは、どの国でも大きな問題だった。ただ、日本以外はそれを理由にオンライン化を躊躇するのではなく、不利な子をフォローするかたちで、積極的にオンライン授業を進めていった。
一見、退化に見えるような現象も、見方を変えたら進化である。
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デジタル・デバイスを用いた学習、とくに、著者が専門とする語学学習について述べられた本です。
必要に応じて、学習に限らず、デジタル・デバイスの歴史やAIの歴史にも触れてあり、デジタル・デバイスを用いた学習についての外観を知るにはとってもよい本だと思います。
ただし、学習全般ではなく、基本的には語学学習に限定されている点には注意が必要です。
今の技術では、デジタル・デバイスだけでの語学学習は厳しい、とくに年齢が低いほど厳しいですが、小学生以降であれば、使い方次第では有効な場面が多々あるようです。
結局のところ、デジタル・デバイスを用いた学習と、人のサポ―トのある学習の組合せが、語学学習にはベストではありますが、そのバランスは、技術の進歩とともに変わっていくと思われます。
また、今後は、デジタル・デバイスとのコミュニケーション、という新たなコミュニケーションが必要になる可能性もあります。
新たなコミュニケーションや学習法については、抵抗感があるケースもあるかと思いますが、今後の語学学習については、今まで以上に、食わず嫌いにならないことが重要になりそうですので、いろんな手法に取り組む姿勢が、語学学習を効率的に進める鍵になりそうです。
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デジタル・コミュニケーションを前提とした、子どものリテラシーを育てるための言語教育に対する提言が書かれた本。また、急速に進歩した子どもの言語習得に関する最近の欧米や日本の様々な研究が紹介されている点も価値が高い。
著者は、子どもの第二言語習得が専門の、ペンシルバニア大学バトラー後藤裕子教授。
この本の最大の特長は、日本語と欧米の言語の特性を踏まえた上で論考がなされていることだろう。
また、ことばを身につけるときの身体性の重要性を説いているのも、子どもとことばに関わるボランティアをしている私の実感と合っている。
これからを生きるこどもたちには、デジタルを使ったコミュニケーションによって、インターパーソナルな空間を広げ・深められるリテラシーを、習得して欲しいと願っている。
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デジタルをどのように使っていくかが、やっぱり大切ということ。
研修を受けた時に紹介されていたので、読んでみた。
幼少期の動画視聴やテレビ視聴は一緒に見ている大人が大事ということがすごくわかった。
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紹介されている研究内容の底が浅くて、最後の数章はまとめだけ読んで終わりとした。
要はデジタルデバイスは使いようによってプラスにもマイナスにもなるという当たり前のことしか言ってない。
しかも、子ども世代の認知能力に対する影響しか論じていない。
デジタルテクノロジーに長時間接することの最も本質的な問題は、認知能力への影響いかんではなく、私見によれば「短期的報酬」への依存性を高めてしまうことであると思う。
答えと反応を性急に求めてしまう癖がつくと、時間をかけて粘り強く考えたり、分からないことに耐える力が決定的に損なわれてしまう。
このことは、人が味わいうる幸福が底の浅いものに成り果てることを意味すると思う。