紙の本
もう一度世界史を、振りかえってみようかな?
2021/06/26 14:55
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投稿者:野間丸男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
受験勉強で、世界史を選考していたので、
各国の歴史の流れを、一生懸命覚えたことを思い出した。
地理と地形に関連した内容が多くて、
教科書に載っていなかったことも多く、
楽しく世界史が再理解できたように思う。
文明の起こりと帝国の誕生 ・・・18のなぜ
ヨーロッパの台頭と一体化する世界 ・・・14のなぜ
帝国主義と世界大戦、そして戦後 ・・・23のなぜ
地形でわかる「生活と文化」の8個のコラムも面白い。
地図が小さくて、説明が少ないので、ちょっぴり分かりにくかった。
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昨年(令和3年)の6月頃に読み終わリましたが、年末大掃除の時に部屋の隅から発掘された本です。歴史と地理が好きな私は、この本を本屋さんでタイトルを見ただけで購入を決めたのだと思います。
世界史上の重要な事件は、その国や民族が置かれている地理・地形にかなり影響を受けるというのは興味あるところですが、この本ではそれを55項目において地図を沢山使って解説してくれています。やはり図表を使っての説明は、分かりやすくて良いですね。
以下は気になったポイントです。
・人類の起源は、多地域進化説に対して現在はアフリカ単一起源説が一般に認められるようになってきている、人間のミトコンドリアのDNAが男性からは遺伝されないことを利用して、女性のそれを遡っていくと、20-12万年前に出現した「アフリカのイヴ」と言われる女性に行き着く。彼女の子孫がアフリカから脱出すると、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ大陸の各地域に分布した、ただしアフリカのイブが最初の人類というのではなく、現代の母親の祖先をたどっていくとアフリカのイブに行き着くということ(p28)
・自然環境の過酷さが文明を発達させるのは、オリエント文明から500年ほど遅れて誕生したインダス文明、中国文明でも同様である。生きるために人間が様ざな工夫を凝らしてきた結果が文明ということになる(p32)
・地中海エリアでは全盛期には1000を超えるポリスが林立したが、次第に軍事・政治的思想によってアテネを中心としたデロス同盟、スパルタを中心としたペロポネソス同盟という巨大な二つの勢力が登場し、両者の対立からペロポネソス戦争が勃発した、これはポリス衰退の契機となった(p37)
・ローマの多民族支配の方法は当初から巧みで「分割して統治せよ」という言葉通り、制圧した他民族(都市国家)に対し、ローマ以外の民族(都市国家)との同盟は一切認めず、征服された民族が連合してローマに反抗するのを防いでいる(p41)
・フン族によってヨーロッパを追われたゲルマン人は4世紀の末にローマ帝国領へ侵入する、これにより西ローマ帝国は弱体化し476年に滅亡している、この背景には寒冷化による世界的な混乱と、それを受けて発生した民族の地球規模での大移動があった(p57)
・シルクロードの陸路は、草原の道と、オアシスの道に分けることができる。草原の道は、遊牧民が活動する地域である。オアシスを結ぶ道をオアシスの道という(p69)
・1368年、一介の農民反乱指導者からのし上がった洪武帝は、元の首都・大都を占領して、元を滅した。代わって建国された明が首都として定めたのは、南京である。中国全土を支配下におき、なおかつ長江以南に都を置いた王朝は民が初めてである。(p78)
・明の第三代皇帝・永楽帝の時に、宦官の鄭和による南洋の大航海が実施された、1405−1433年までで7回、62隻の大船に2万八千人近い将兵が乗り込んでいた、コロンブスの第一回航海(1492)は、3隻120人であった(l82)
・1527年神聖ローマ皇帝カール5世は、ローマ教皇がフランスと結んだことからローマに出兵、破壊と略奪を行った、この事件はイタリア・ルネサンスの終わりを象徴するものであった、宗教改革はイタリアの文化・芸術が欧州全土に広まる契機となった、プロテスタントの広がりに危機感を覚えたローマ・カトリック教会は、質素さを重視するプロテスタントに対して、華やかで壮大な芸術を奨励した(p89)
・1484年頃、コロンブスはポルトガル王ジョアン2世に、西回り航路開拓を売り込むが、ポルトガルは当時、アフリカを回り込む東回り航路の開拓を進めていた、希望法の到達を目前にしていたポルトガルは提案を受け入れず、海外進出で遅れをとっていたスペインの支援を求めた(p96)
・1700年から始まったロシアとスウェーデンとの北方戦争は1721年まで続いた、1709年にポルタヴァの戦いでロシアが勝利した後は形成が逆転、1721年の二スタット条約により、バルト海東岸の地を獲得して海への出口を得て、スウェーデンは大国の地位を喪失した、ロシアがヨーロッパの大国へと脱皮した(p107)
・ウィーンは中部〜南東部をつなぐドナウ川の水運により水上交通の拠点として発展をとげ、東西の文化が交流する十字路であった、そのため古来ウィーンは戦略上の要衝とされた(p116)
・1813年、イギリス東インド会社は、本国からの特権が更新され、当社によるインド貿易独占権は廃止されていた、1833年には商業活動を停止し、統治に専念することになった。1857年にイスラム教やヒンドゥー教が多いインド人傭兵が反乱を起こし(本国で採用となった小銃の弾薬包に牛脂と豚脂が塗ってあるという噂)それをイギリス軍が鎮圧する。これにより、東インド会社による間接統治から、本国による直接統治に転換するきっかけとなった(p129)こうしてインドはイギリス経済を支える最も重要な植民地となった、インドを軸としたイギリスの貿易政策の一例として、イギリス・清・インドの三角貿易が挙げられる。(p129)
・アヘン戦争後に、1842年に南京条約が締結、香港割譲、広州・厦門・寧波・福州・上海の開港、領事の駐在、通商も認められた。しかし貿易は拡大しなかった、アロー戦争後に、天津条約(1858年)で講和するが、批准交換にきた英仏使節が砲撃され再び開戦、1860年に北京占領をしてから北京条約が結ばれる。天津などの11港の開港、九龍半島の割譲、アヘン貿易の合法化が認められた、ロシアも同名の条約を結び、ウスリー川以東の沿海州を手に入れて、極東での不凍港を手にした(p135)
・タイはイギリスに対してマレー半島の一部、フランスに対してラオス、カンボジアを割譲するなどして英仏の勢力均衡策をとり、列強の圧力に苦しめながらも独立を維持した(p147)
・第一次世界大戦は世界の歴史を大きく変えた、バルカン半島に関わりを持っていた、ドイツ・オーストリア・ロシアの3つの帝国がいずれも崩壊した、これはアメリカが国債関係において果たす役割が大きくなったこと、植民地の独立への志向が大きくなったことも注目される(p162)
・ウクライナの南部には黒海に面するクリミア半島があり、ロシアの時代から現代に至るまでここは貴重な不凍港となっている、クリミア半島からはトルコのボスポラス海峡、ダーダネス海峡をへて、地��海に出れるから。(p199)
2022年2月20日作成
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本書は、歴史新書として発売されていたものを、一部変更して、書名を変えて再発行したものだそう。
著者は、東大文学部卒で駿台予備校で世界史の講師をしていた。
その後、本書のような書籍を多数執筆するようになったそうだ。
宝島社新書なのでクオリティもそのようなものであろう。
以前、世界史を勉強した。
失念していることを思い出させると言う効果はある。
本書で出会った事柄をもっと深く勉強したければ、さらに掘り下げた本に進むと良い。
笹本駿ニの著作をまた読みたくなった。
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世界史の基礎が、Q&A形式で理解できる本。項目ごとに必ず地図があり、2~4ページに短くまとめてあって読みやすかった。
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昨年読んだ『銃・病原菌・鉄』の復習であり、詳細版。『銃・病原菌・鉄』はいわゆる南北問題の遠因を探る力作であり、本作は現代の地域紛争の要因を簡単に説明している。もちろん、両紛争には政治や宗教、経済が深く関わるが、最近流行りの地政学的な解説になっている。
が、「なぜ」の答えがこの場所、海に近いからとか敵対国に挟まれているから、の一言で終わっていて、やや物足りない。世界史通史になってしまっている。
『銃・病原菌・鉄』みたいな分厚さは要らないが、もう少しなんとかならなかったのか。物覚えの悪いボクにはつらい、カタカナの地名と名前の羅列。世界史嫌いにはつらい。