紙の本
辻政信はとんでもない人
2021/11/06 22:10
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦中はマレー作戦により「作戦の神様」と崇められ、華僑虐殺や捕虜虐待により「悪魔の参謀」と恐れられ、戦後は戦犯になることをおそれて潜伏し、「潜行三千里」というベストセラー本を引っ提げて国政選挙にでて当選、また東南アジアへ行って行方をくらましたというとんでもない人、いったいどんな人だったんだろうと思わない方がおかしい
紙の本
サンショウウオ
2021/08/08 00:23
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノモンハン事件やマレー作戦などで知られる辻政信について、貴重な証言も交えながら、その生い立ち、戦中のみならず戦後の動向をまとめた一冊。
しかし結局のところ辻という人物は不可解。そもそもあの戦争は何だったのか?と思いました。
紙の本
恥ずかしながら。。。
2022/12/25 14:20
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投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
辻について知りませんでした。
毀誉褒貶相半ばする人柄がよく浮かんでくるノンフィクション。
時代がそうした、としか思えない悪魔性、これも軍隊以外で活かせれば、とおもう反面、軍隊以外では活かせなかったかも、ともおもう。
戦争は普通の人を異常にしていくし、普段のいい人たちが、正義感にかられて、間違った方向に進んでいくものなのかもしれないとと思う。
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力作の評伝。
悪評高い人物を先入観なく
取材しているところがいい。
辻の存命中にそういう人がいれば
破天荒な人生が今に伝わったのにと
惜しまれる。
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半藤一利氏に「絶対悪」と言われた辻正信は本当はどんな人だったのか。丹念な取材を元に先入観なく書かれた、辻正信の真実。
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辻政信の評判は実際知らなかったが、ノモンハン事件の主要な役割を担ったダメな陸軍軍人の代表格という認識は持っていた。この本を読んでそんな表面的なものだけでなく、部下には相当慕われていたことを知りいろいろな意味で一筋縄ではいかない人物であることが理解できた。現代では存在を許されない知力体力ともに兼ね備えた快(怪)人物なのかもしれない。
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半藤一利は「絶対悪」と言ったと読売書評にあり、戦争の反省と言う意味ではそういう人の思考回路を理解したいと思って読んだ。自民党に染まらない政治家時代の姿勢など興味深かった。戦後も生きて民主主義の中で反省したり変わっていく姿を見たかった。
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絶対悪とも評される辻政信について、偏りを出来るだけ排し、生の人物像を描き出そうという強い意欲が感じられる作品。人間の持つ二面性。彼がなぜあのようなことをしたのか、それと、身近な人が感じていた熱く面倒見のよい一面、それがどのような思考経路なら矛盾しないのか。この本を通じて考えることは、人間理解の深化につながるだろう。
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とにかく見方によって評価が変わる人物、というのが感想。どんな人間も見方によって変わるとは思うが、辻政信に関してはその振れ幅が大きかったのだろう。陸軍での上官の評価のエピソードが出てきたが、評価が極端に違うところが印象的だった。
独断専行が目立つ無謀な軍人のイメージがかなりあったが、膨大な量の試験の採点・添削をこなした話などをみると、なんでも1人で全部やらないと満足できないタイプだったのかと思う。そして、それが極端で度を越していたのだろう。
こういうタイプは会社組織などにも普通にいると思うが、そういった人物をどう制御し活用するか、といったところを学んでいくべきなのだろう。結局、軍隊も、政党や国会も彼を押さえつけることはできなかった。
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●=引用
●また、1952年(昭和27年)10月4日付読売新聞夕刊で、劇作家の三好十郎は「戦争から与えられた苦しみに対する日本人の鈍感さだ」を問題とした。(中略)三好は、辻を念頭に「大衆にわかりやすい言葉と英雄的な身ぶりで発言しはじめた」と懸念する。そして、「辻氏のように、『再軍備ではなくて新軍備だ。北海道は五個師団、その他は四十歳以上の民兵で守る』と端的に確信ありげに言い切られると、ついフラフラとそれについて行くのである」と民衆の節操のない態度にも批判の目を向ける。さらに、それに対抗し、民衆の支えとなるような意見を出すべきである「学者やインテリゲンチャは大衆の場で発言しようとしない」とする。たとえ、彼らが発言しているつもりになっていたとしても、「大衆には無縁のむずかしい言葉と自己満足的な観念の上だけそれをしているために大衆との関係では何もしていないのと同じだ」と痛罵する。