投稿元:
レビューを見る
難しいと考えがちな哲学を、身近なことがらから学ぶ方法を教えてくれる本です。
哲学に興味はあるけど、何となくとっつきにくいと感じて避けている方や、本は読んでみたけど難解でよくわからなかったという方も多いと思います。
哲学とは「自分で考える」営みということになるそうですが、最初は何から考えていけばよいのかもわかりません。
この本では、身近な出来事からでも考えるきっかけにできる、という事例を数多く紹介しています。
難解に思える著名な哲学者の考えも、身近な事例から例えて考えることを教えてくれています。
哲学とは何かを知る入門の本として使えるものになっているのではないでしょうか。
【特に覚えておきたいと感じた内容の覚え書き】
「不完全であり、不確定要素に満ちあふれているのが私達人間の生活。その生は、絶えず反省や修正の連続。同じ失敗はしたくない。思索を記録するときは、過ちの訂正や反省、仕切り直しを消して更新するより、書き直しの跡を残すとよい。」
「暮らしの中のスタンダードやデフォルトは『人それぞれ』であり、『普遍的なもの』、絶対的に確実なものではない。日常生活の中で、自分にしか通用しないというルールだという誤りを発見し、それを不断に訂正していくことができれば、私達の暮らしは今日より明日一歩前に進む。」
「自分で考えるとは、常に社会や歴史との豊かな相関関係の中で、自分自身で考えることや、たゆまぬ学びで自分の考えを更新していくこと。いくら考えても、思い浮かぶのが『妄想のたぐい』だと、哲学的に考えることとは程遠いものになる。考えることと学ぶことの往復関係を常に継続していくことが大切。」
→まずは自分の頭で考えてみる。それを実践してみて、受け入れられなければ、他人には通用しない考えを変えていく。ビジネスにおいても、トライアンドエラーを繰り返しながら試行錯誤していくこと、PDCAサイクルを回すことは重要ですが、その考え方を哲学から学ぶことができるようです。
【もう少し詳しい内容の覚え書き】
・暮らしの中での気づきや発見のなかに哲学することを見出せる。その本質はアンラーニングであり、この営為を通じ、人は改めて他社を知り、そして世界を知るのではないか。その手続きを経ることで、「どう考えてもこれしかない」といった暮らしの中の圧倒的な否応無し感を薙ぎ払ったり、埋もれていた別の選択肢を見出すことができるのではないか。
○暮らしを振り返りながら
・哲学とは「自分で考える」営みだが、何もないところから考えることはできない。アリストテレスの言葉に従うと、身近なものに注目することから始まる。それは私達の暮らしそのもの。どんなものにも驚きと感動をもって接すれば、そこに無限の意義を見出し、暮らしを豊かにしていくことができる。
・似たような経験を持つ人達とのコミュニケーションには共感が多く、楽しい気持ちになるが、後で思い返すと何か物足りないと感じる。異なる人間、意見との出会いにこそ、本当の「愉しみ」が存在する。そこで少し開いてみたり、深堀りすることで、自分が想像していなかった発想や着眼点が浮かび上がる。
・不完全であり、不確定要素に満ちあふれているのが私達人間の生活。その生は、絶えず反省や修正の連続。同じ失敗はしたくない。思索を記録するときは、過ちの訂正や反省、仕切り直しを消して更新するより、書き直しの跡を残すとよい。
○暮らしの中で驚いてみる
・あまりに近くにありすぎて見落としていたこと、これまで関心を払わなかったものに改めて注意を向けるのは難しいが、そうすることで人は何かを「発見する」。別の誰かが既に見つけていることでも、自分自身にとって初めてであるという瞬間を大切にすると、世界に対するモノの見方や考え方は大きく変わるはず。
・オートマチックに物事が処理されていても、時々メンテナンスが必要。それは暮らしにも当てはまる。「立ち止まる」ことが、契機の1つ。立ち止まって「考えてみる」と、暮らしが豊かになる契機となる。やり方を変えてみることでよりスムーズになったり、見過ごしていた重要なポイントや喜びを見出すことができる。
・暮らしの中のスタンダードやデフォルトは「人それぞれ」であり、「普遍的なもの」、絶対的に確実なものではない。日常生活の中で、自分にしか通用しないというルールだという誤りを発見し、それを不断に訂正していくことができれば、私達の暮らしは今日より明日一歩前に進む。
○暮らしの中で考えてみる
・身近な暮らしに注目すると意外な発見があるが、次に大事になるのは「自分自身で考える」こと。人間とは何かを知り、それを深く理解することによって人間として成長していく。考えるとは何かというと、それを疑うことであり、それを問うことでもある。
・目の前の何かを変えようとする時、問題点を指摘し、それに変わりうる代替案を提案すれば解決すると思いがちだが、その主張や提案が正しいものでも、広く共感を呼ばないと、うまくいかないときもある。その事柄が一人ひとりに内面化され、自分自身の言葉として発せられるならば、共感を呼びうる。
・言葉の技術は高くても、その言葉によって担われるコンテンツ、具体的には教養や自分自身でそれを検討した考える力といったものがなければ、意義あるやり取りは成立しない。極端に言うと、精度の高いGoogle翻訳と変わらない。
○暮らしの中で学んでみる
・自分で考えるとは、常に社会や歴史との豊かな相関関係の中で、自分自身で考えることや、たゆまぬ学びで自分の考えを更新していくこと。いくら考えても、思い浮かぶのが「妄想のたぐい」だと、哲学的に考えることとは程遠いものになる。考えることと学ぶことの往復関係を常に継続していくことが大切。
・知と生活は無関係に存在するのではない。知ったことや学んだことを自分自身の生活の中で生かしていったり、発見したり、再発見したりすることに、その意義がある。暮らしと学問は対立関係ではない。むしろ相互に影響を与えることで、知が生きた事柄へ転じ、生活がより彩り豊かなものへ開花する。
・もっとも使いこなしている言葉や生活の所作ほど、実はもっとも考え抜かれた末や工夫の末に導き出されたものであることは多いのではないか。物事を深く考えていけばいくほど、現実の物事から離れ、概念や言葉の奴隷となることに警戒し���い。現実を開拓する理想主義は必要不可欠だが、現実を否定する理想へと変換されてしまうと問題がある。
投稿元:
レビューを見る
暮らしという身近な所から哲学に入っていったので読みやすい本だった。また参考文献、引用文献について考察などを加えながら紹介されていたのでそれも読んでみたいと感じた。
投稿元:
レビューを見る
「概念としての猫」
私は猫が大好きですが、
猫アレルギーで飼えません。
Youtubeで動画を見て愛でるのみです。
筆者は、「飼ってみて初めて猫というものを知り、
それまではただ実体のない猫しか知らなかった」
と言います。
私は猫を知っているのか?
私が好きだと感じてる猫は一体なんなのか?
よくわかりません。
暮らしの中で感じる哲学を言語化してくれる本です。
何回か読み返して考えるといいのかなと感じます。