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『火山で読み解く古事記の謎』はすごく面白かったんだけど、これはちょっとイマイチ……、
かなぁー(^^ゞ
『火山で読み解く古事記の謎』では、なんでも火山と結びつけちゃうところに専門の学者の視点にはないユニークさがあった。
でも、こっちは逆に「何でも断層に結び付けすぎてない?」って思っちゃうというか、なんというか?w
だって、断層なんて、日本には無数にあるわけだ。
というか、現在、断層だとされているのは今の科学技術で特定されただけで、実際にはもっとあるはずだ。
一方、神社だって、日本には無数にある。
「それとそれが重なっている」と言われても、まぁ確かにそうなんだけどさぁ…、みたいな(^^ゞ
確かに、著者の言うように“古代は断層を道として使っていた”というのは面白い視点だと思う。
石器時代や縄文時代は断層を道として使って、火山由来の翡翠や黒曜石の交易が行われていて。
その産出地が、諏訪大社や出雲大社等の神社(聖地)として今に至っているというのも納得出来る。
でも、石器時代や縄文時代の人は「断層」というものを (たぶん)知らないわけだ。
もちろん、その断層を歩きやすかったから道として使っていたというのはあるだろう。
でも、当時に地図はないわけだから、行き来はしていたとしても、その位置関係の俯瞰は出来ないと思うのだ。
ということは、行き来をしたり、そこで翡翠や黒曜石を採取していたとしても、その場所を地図のように位置関係を記憶するのではなく、道順の風景として記憶していたように思うのだ(それこそ、魏志倭人伝の邪馬台国の行き方のように)。
そう見ていくと、聖地(神社)と断層が重なっていたのは結果論のような気がしちゃうんだけどなぁ…(^^ゞ
いや、自分は「古事記」「日本書紀」は詳しくないので。それらに詳しい人だと、もっと面白く読めるのかもしれないし。
また、神社等が好きであちこち巡っている人なら、自分の見た記憶と合わせて「あー、それわかる!」と楽しめるのかもしれない。
ブクログではなく「読書メーター」を見るとw、「ブラタモリの諏訪の回と絡めて面白かった」と書いている人もいるので、そういう面白さは間違いなくあるんだろう。
でも、そうではない自分からすると、著者の言う“地震に対する恐怖の感情は、時代をさかのぼるほど小さくなるはず”等にみられるように、推論の立脚点がちょっと変に感じるところが多々あるような気がしてしまうのだ(^^ゞ
学者特有のいわゆるしゃっちょこばった専門馬鹿でない視点があることもあり、著者の本はとても面白いのだが。この本は話が多少散漫な面があるように感じることも含め、もうちょっと煮詰めた方がよかったんじゃないかな―と思った。