紙の本
彼女の鋭すぎる考察
2022/01/18 21:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
平安時代の女官・セイ(清少納言)とフィンランド人の私(ミア)、二人の物語。ミアは清少納言についての本を出版したいと、日本にやってくる、そして吉田神社の近くのゲストハウスに下宿することとなる、その間に東北大震災が起こって、一時、タイへ避難するなどの紆余曲折をへて、無事、本は出版されることとなった。フィンランドの、しかも日本語も片言しか話せない人が清少納言なんか理解できるのかと侮りながら読み進んだのだが、それは大間違い。彼女の紫式部が清少納言を芳しく彼女の日記に書かなかったことも、清少納言が道隆の死や定子の晩年の苦境を枕草子に描かず、宮廷の華やかな様子の描写に終始したので、すべて依頼者からの要望があったからという指摘は鋭すぎる、これが正解のような気がしてきた
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ミアさんの清少納言にたいする情熱がすごい!!
京都や平安時代や清少納言がとても身近にかんじられ、すぐにでも京都やどこか好奇心のおもむくままに旅に行きたくなるような本でした。大満足!
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清少納言に憧れるあまり、長期休暇を申請して京都にやってきたアラフォーシングル女性の著者。異国の風景の中に「セイ」の手がかりを探す旅は、彼女自身の人生をも変えていく…。2021年のマイベストブック候補。
本名すら不明な「セイ」の残した文章に、時空も言葉や文化の違いも超えて魅かれた著者。鋭い感性や好奇心、新しい世界に飛び込む冒険心を共に持つ二人の出会いはまるで奇跡のよう。原題が枕草子の章段からとった『心ときめくもの』というのもまた、いとをかし。
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セイ(清少納言)を求める日本紀行、約500ページ
日本語は全くできないのに、あっという間に京都での極貧生活(個室冷暖房なし、共同キッチンにはゴキブリが頻出!)を受け入れて、自転車で市内を縦横無尽に走り回り、セイを熱く語るフィンランド女性。
(枕草子はフィンランド語訳はなく、英語で読破)
そのバイタリティに脱帽です。
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フィンランド人で日本古典研究者なんて、すごいなあ。私は日本人なのにくずし字も読めないのに。と思って手に取ったら、著者は研究者ではなく広告編集者。さらに、なんと著者は9月来日なのに7月に大学公開講座の日本語入門クラスでひらがなの勉強から始めるのである。えー、どうやって研究するの!?と驚いた。
でも、財団の助成金は支給されるのだ。長期休暇制度などフィンランド社会は羨ましいことがまだまだありそうだ。
本書はいわゆるお堅い学問的「清少納言研究」ではなく、いうなれば「清少納言のをかしを体感したい」という旅行随筆だろうか。そのため、古典文学玄人にはもの足りないかもしれない。
私は、清少納言を求めて試行錯誤する著者が少しずつ彼女のつかめそうでつかめない影に近づこうとする過程を共感しながら読むことができた。
さて、著者は清少納言のをかしにたどり着けたのか。ぜひ、著者の感じ取ったもののあわれについてを読んでほしい。
私はフィンランドのクロウタドリの歌を聴いてみたい。
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清少納言が好きすぎて、京都にやってきた作者の好き好きエネルギーの激流。身体ごと押し流されるようになって最後まで読み切りました。
時々、狂の領域にイッてると感じる彼女の清少納言への入れ込み。少し怖いけど、すごく惹かれます。
こんなに好きにのめり込むと、2010年の京都にいても、平安時代の清少納言の世界を妄想することができるんだな、すごすぎる!
一緒に京都を歩きたい、一緒に清少納言を探したい気持ちになりました。
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こういう形式?の本を読んだことがなかったので、いいな、こういうの、と思った。筆者は「文学的な趣のある自伝紀行文学」のようなもの、とおっしゃってるようだ。
日本人が日本の古典本を携えて旅する紀行文なら別に普通。外国人が日本の古典文学を携えて旅する紀行文、というだけではないんだな、この本。
セイとの対話がいいのかな。日本人でも清少納言と対話しながらのエッセイとか、ない。あるのかな。
そこまで自分に引き寄せられない、隣にいるようには書けない。「枕草子」の内容は現代の私たちにも共感できる部分がたくさんあるのだけれど、「セイ」と言えるような関係など考えたことはなかった。
「セイ」っていう呼び名、呼びかけが斬新で、グッと惹きつけられたように思う。その部分とご本人の日記、エッセイ部分の親しみやすさ、面白さ。京都だけではなく、プーケットやフィンランドやロンドンの紀行文的面白さ。東日本大震災時の描写。
仕事を休み、複数の財団からの助成金を集め、現地に飛んで調査、研究する逞しさ。行動力と勇気にとても元気をもらえる。
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ほとばしる清少納言愛と京都愛。
作者の「ものづくし」の章段もおもしろい。
作者が、仕事を長期で休んで京都に来て、調べ、考え、悩む。人生の転換点にたち、歩き出す不安、楽しみ、エネルギー、悪戦苦闘を鮮やかに描く。「好き」はすごいパワーを生む。
震災のとき、彼女も日本にいたとは…
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清少納言 (「セイ」) にシンパシーを感じ、彼女のことを知ろうと日本語もわからないまま単身フィンランドから京都に移り住む著者にパワーをもらえる本。
日本人より平安京に詳しくてその熱意に感動する。
小説のようにドラマチックなノンフィクション。
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ミアとセイに感謝します。彼女たちも、わたしも、同じように"生きた"女性なのだということに励まされました。幸せな読書時間でした。
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枕草子に惹かれて京都に来てこの本を書くことになるまでのの話。なんだが、めっぽう面白い。311の話が身につまされる。2022初ブクログ。
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フィンランドから、休職願いを出して、自宅を貸して、日本語が全くできなかったにもかかわらず、京都に枕草子を書いた清少納言を求めてやってきた作者ミア・カンキマキ。
この本は彼女がセイと呼ぶ清少納言の真実を探し求めて、ゴキブリが我が物顔で這い回る京都吉田山近くのシェアハウスで過ごしたノンフィクションでもある。
源氏物語と違い、バラバラになってしまった枕草子は、それが本物か?さえ異論が錯綜する作品。
元版は無く、どんな配列で編集され綴じられたのかさえわからない。
私は読みながら思い出した。
中学生の私は源氏物語の男性主導の物語を嫌い、腹立ち、この古い時代に自分の意見を通し自分の美意識を貫いた清少納言の枕草子が好きだったことを。
だが、教科書くらいの知識では宮中から政変で追い出された後のことは何もわからなかった。
今回この本を読んで、いろいろなことがわかった。
これがフィンランドでベストセラーになり、日本ブームの火付け役になった所以がわかる本!
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長期休暇を取り、清少納言について調べるために京都へやってきたカンキマキさん。フィンランド語に訳された枕草子を読んで、清少納言について知りたいと思いたち、日本語はできないものの、夏の京都ヘやったてきた。その滞在記が本書。
清少納言にセイと呼びかけながら、セイを真似た書き方をしたり、セイの言葉を挟んだり。はじめのうちは、なかなか清少納言研究にならず、普通の日本滞在記かしらと思わせるが、徐々にカンキマキが理解したセイについてを自由に描いていく。日本でもよく知られていない清少納言という人物を、親しみを込めてまとめている。そして、カンキマキ自身の新しいチャレンジとなったようだ。
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清少納言にセイ、と呼びかけながら、筆者はタイトルどおりフィンランドから京都へやってくる。セイや、ライバルだったムラサキ(紫式部)、仕えた定子のことにも触れながら、セイに近づくために、動き回り調べ回り、想いをはせる。筆者のたくましい想像力も重ね合わせたセイの人生は、読んでいてとってもワクワクした。
こんなにもセイに対する愛に満ち満ちた本が出版され、世界各国で読まれているなんて、空へ昇って1000年経ち、清少納言は、こんなに泣いたことはないってくらい嬉しくて号泣してるんだろうな。
文体はポップで、清少納言について羅列しているところでは特技;リストアップなんてあって、思わず笑ってしまう。
清少納言をこんなふうに楽しく紹介してくれてありがとう。セイのように、頭の回転がはやくて、物事をよく観察できて、センスがあってユーモアにあふれた女性に憧れる。そして、著者のミアさんはセイにそっくりではないか!生まれ変わりだな、こりゃ。
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もうこれは、星5つではとても足りない。10くらいつけたい。
読了後、あまりに感動して号泣してしまった。そんな本はめったにない。
年が明けて早々こんなに素晴らしい本に出会えて幸せ。今年は良い本に出会う運が良いのは間違いない。
まず、フィンランドの現代女性が清少納言に、「枕草子」に共感してのめりこめるということ。文学の持つ力に恐れ入る。
ミアさんの、編集者として、物書きとしてのアプローチの仕方、情熱のかけ方のすごさ。1年の休暇を取って京都にやってきて、一度フィンランドに戻り、ヴァージニアウルフが「源氏物語」について「ヴォーグ」に書いているとの情報を得てそれを調べにロンドン→再び京都へという足跡。その後3.11の震災があり、タイへ逃避行するもまた京都に戻る。
ちなみに彼女はわたしと同世代で、本好きで編集の仕事に携わっていた。そして2010~2011年はまだ独身だった。
そしてこれは何という偶然かと驚いたのだけど、2011年の3月11日、わたしもまた、京都にいた。福岡の友人と京都で落ち合い、京都一泊旅行を楽しんでいたその日に大震災のニュースを聞いた。わたしたちは、すぐそばにいた!
本書の中でミアさんは、終始、「セイ(清少納言)、〇〇だったの?」と質問したり語りかけたりするのだけど、最後に、セイはコピーライターだった! と発見する。
P460
「あなたは広告編集者、つまり、商品の聞こえをよくする、嘘はついていないけれど、どこかを強調したり、省いたりして、手にとる人たちが「をかし」と声を上げて買ってしまうような、実際よりもよく聞こえるようにすら書くコピーライターだった! セイ、あなたは大文字で、定子のサロンは「素敵!」と更新するのよ。」
P465
「つまり、あなたは若い定子に仕えるために宮中に上がった。あなたは定子をひどく敬愛し、定子はあなたに憧れていた。あなたたちは親しくなった。定子の父親が亡くなり、叔父が権力を握ろうとしはじめ、すべてが変わった。叔父は天皇と12歳にも満たない自分の娘である彰子を結婚させた。彰子の入内の支度はこれ見よがしに豪奢だった。徐々に皆が彰子につくようになる。あきらかに権力が交代した。誰だって負け組に残りたくなかったから。定子は内裏の外で過ごす時間が多くなり、ますますふさぎ込むようになった。あなたはサーカスの猿のようにその場飲ん雰囲気を保とうとし、渡り廊下でジョークを飛ばしたり、聞こえるように笑ったり、殿上人たちを惹きつけたり、すべてがどんなに素敵ですばらしい――をかし――か熱く語った。とりわけ、自分や他の人たちの恋人たちについてたくさん書いているのも、愛が、愛こそが余計なことを忘れさせてくれるから! テンションを上げて、暗くならないように、あなたはベストを尽くした。そして定子は亡くなった。あなたができたことは、定子の栄華を書き尽くすことだけ。あなたの本の「誠実な」印象の最後の仕上げは、あなたの秘密の日記を人の目にさらすつもりはなかったと断言することだった。抜かりはなかった。
セイ、あなたは中宮の宮廷道化師だった。シェイクスピアの道化師たちのように心配なさそうにみえて��そのくせ見にふりかかった悲劇についていつもいちばんよく知っている道化師。セイ、あなたは守護道化師だったのよ。命を賭けて書き、弾丸を受けるために中宮定子の前に身を投げる守護道化師。定子の守護者、それがあなただった。」
そしてミアさんは、実際に12単衣を1枚づつ着せてもらいながら(京都にある12単衣フォト体験のようなものだと思う)、セイに人生の選択肢の可能性を訊ねながら、彼女の人生と自分の人生を重ねていく。
ここはこの本のハイライトでありクライマックスだと思う。
そう、この本はドキュメンタリーでありノンフィクションだけど、ミアさんの物語になっている。そこもまた感動ポイントのひとつ。
これについて、訳者の末延さんはあとがきで、「生きるために」必要な「自分の物語」だと書かれています。
そうだ、だからこそわたしはこんなにも感動したのだ。「ダンサーインザダーク」でビョークの演じたセルマが工場の機械音を音楽として感じることで辛い状況を生き、「ライフイズビューティフル」でユダヤ人として迫害を受けるなか、父親が子どもに「これは楽しいゲームなんだよ」を嘘をつき通したように。
セイの「枕草子」もそうだし、この本も、生きるために必要な自分の物語だった。
だからこそフィンランドで多くのメディアに取り上げられ、多くの人に勇気を与えたのだろう。書評ブログには、「人生を変える勇気をくれた」「物を書きはじめた」「これまでしようと思っていたことを実行することに決めた」といった感想であふれたそう。
わたしもまたその一人。
号泣するほど感動したのはなぜなのか、自分でもよくわからないけど、魂を大きく揺さぶられたことは確か。
「春はあけぼの…」中学で初めて暗唱したあの文章。美しくて、着眼点が鋭くて、生まれて初めて出会った古文に感動しつつ得意げに暗唱してたっけ。
それがフィンランドの女性の心に響き、ここまでの物語を書かせた。
やっぱり涙がこぼれてしまうよ。ミアさん、ありがとう。