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著者は写真家。紛争地や被災地などで活動を続けてきた。
本書の構成は前半が写真、後半が雑誌掲載された記事を元にした文章となる。
写真は副題の「沖縄戦と集団自決」に沿っているが、文章は広く、紛争地やメキシコのマフィアが支配する地域の話なども含む。
沖縄戦に関して。
収録写真は、ガマや遺骨、そして生き残り年老いた人々の姿。
著者は時間を掛けて被害者たちとのつながりを深めていく。集団自決は軽々しく語れることでも聞けることでもない。口に出すこともできぬまま、長い戦後を過ごした人は少なくない。
沖縄戦が激しさを増す中、集団自決は起きた。
住民たちは日本軍により避難場所のガマを追いだされた。米兵からは酷い仕打ちを受けると考えられていた。いくつかの場所で、追い詰められた彼らは、肉親同士殺し合い、多くが命を落とした。
その場から逃げ出した者、死んだふりをした者、家族を殺したがその後、死にきれなかった者など、ごくわずかが生き残った。住民たちは、家族のためを思い、手に掛けたのだった。むしろ、近所の人に「殺してくれ」と頼まれた場合に手が鈍ったという。
生き延びても、ある者は「人殺し」と後ろ指を指され、ある者は両親を失って親戚をたらいまわしにされ、辛い戦後を生きる。
戦争が終わって、なぜそのようなことをしてしまったのかと、知らぬ者は問う。
その場にいなかった父親が、あとになって「自分がいたらこんなことはさせなかった」という。それを聞きながら、娘は、「きっと父親がいたら自分も生き残っていなかった」と思う。男たちは率先して家族に手を掛けた。体験しない者にはわかりえない、その壮絶さ。
彼らは皆がそうしていると思っていた。だが、谷を隔てた向こう側では、家族間での殺し合いは起こっていなかった例もあった。その痛ましさ。
集団自決の歴史的検証は往々にして政治的主張の争いとなり、当事者が十分に報われることはなかった。
沖縄には二度行く機会があった。一度は座間味島で、ウミガメを見るシュノーケリングや、沖に出てのホエールウォッチングをした。美しい島、美しい海だった。この島でも、集団自決はあったという。
重い事実に言葉が出ない。
戦争の狂気はこんな形で現れることもあるのか。亡くなった人を悼み、遺された人の辛さを思う。
(蛇足だが、後半文章部分について。著者の中では紛争地も沖縄戦も、すべてつながる話であるのかもしれないが、統一性に欠ける。文章としても校正が甘く、文法的な誤りや、長すぎる一文、名前の表記ゆれ(オスカー⇔オスカル)などが目に付く。話題があちこちに飛ぶのは、複数の記事をまとめているためで、ある程度仕方がないのかもしれない。が、個々、内容的にずしんとくるものがあり、この形はもったいないように思う。メキシコの話などは、別途、写真も合わせた形で別書籍にされた方がわかりやすかったのではないか。)