投稿元:
レビューを見る
なぜセロ弾きのゴーシュか
Audibleでイエローバードという童話集にあるセロ弾きのゴーシュを子ども達とよく聞いていたけど、中村哲さんのようには感じてませんでした。ただ、困った人に応えていく。そこに崇高な理想とかはないけど、目の前の困っている人に応える、という行為が結果として大きな事業になる。
言葉では簡単だけど、めちゃくちゃ悩みながら進めいたのが、本書から伝わってきました。この話し言葉を読むと、こんな言い方が適切かわからないけど、めちゃくちゃ親近感が湧きました。
自分のミッションはある。でも、これだけやってたらダメ。そんな時に自分のミッションを超えたことがやれるか
木を切るのに斧を研ぐ勇気
このスケールが本当にデカくて、ものすごい人を巻き込みながら、医療を超えて、スリッパ作ったり、井戸掘ったり、水路を作ったり。すごい勇気だと思う。一人ならまだしも、こんなに多くの巻き込める勇気はやっぱりすごい。それでも謙虚に、俺がやっているというより、誰かにやらされている、という感覚を感じる。
本の中にあった、たくさんの人が水路工事してる写真を見て、鳥肌が立ちました。
医療ではなく、その本質を考えて、医療以外をやる
本質的な課題を見極めろ
それは人間との対話なのかもしれない
投稿元:
レビューを見る
わたしはセロ弾きのゴーシュって、どういう意味だろう。そもそもセロ弾きのゴーシュって昔、教科書かなにかで読んだ気はするけど、どんな話だっけ?と思いながら読んだ。
まぁぜんぶが、セロ弾きのゴーシュがらみじゃないんだけどさ。具体的な活動を、会話の中で、わかりやすく読ませてくれた。
紛争地帯での活動は、よほどの使命感がなければできないと思う。どれほど立派な人か、と思うところだ。もちろん、立派な人だと思う。そのうえで、そこに至る道には外からの働きかけがあったということを、セロ弾きのゴーシュというのは、なかなか秀逸なたとえに思えた。とはいえ、呼ばれたからって、なかなか応えられないよね、そこはやっぱり中村哲氏のすごさだと思う。
投稿元:
レビューを見る
生き様だなぁと感嘆…。地球?を愛して、愛された方だったと感じると共に、自分のあり方を気付かされた方でもある。
忖度ばかりの世の中だか、平和賞を捧げるべき偉人ではなかろうか…