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最初は、遊郭とはどのような所だったのか、遊女とは、吉原の文化…と興味深く読んでいたけど、段々と読み進めるうちに雲行きが怪しくなってきた。初めから違和感はあったのだけど。 人権がどうだとか、遊郭は二度とこの世に出現すべきではないとか。女性は不特定多数と身体的関わりは持ちたくないが、男性は差し出されたら平然と交わる…など、何となく結論ありきの内容のように感じ、遊郭の雰囲気はわかったが、内容的にはイマイチだった。
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「文化は欲望に人間的で伝統的なかたちを与えたものです」と著者がいうごとく、性欲にまつわる文化が織りなす時代模様を遊郭を題材に一覧した著作。
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著者の遊郭に対する愛情と誇り、それに相反する批判。
昔はそれはそれ、これはこれ、的スタンスが認められたしなんなら粋、追求は野暮とすら思われてきたが、この現代にあっては呑気に文化の素晴らしさのみを語ることは難しい。
人権侵害を前提としたエクスキューズがとても今っぽい。
遊郭の説明の本編ももちろん興味深かったけれど、前書きと後書きが現代における遊郭の捉え方を考える上での支えとなる。
いつだって、誰だって、同じ給料もらえるなら体は売らない。
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ジェンダーから見た遊郭の問題がある一方で、遊郭は日本文化の集積地だった。遊女の能力や人柄は、和歌や文章や筆など平安時代の文学に関わること、琴や舞など音曲や芸能にかかわること、中世の能や茶の湯や生け花、漢詩、俳諧など武家の教養にかかわること、着物や伽羅や立ち居振る舞いなど生活にかかわることなど、ほとんどが日本文化の真髄に関係している。そしてこれらの、特に和歌や琴や舞などの風流、風雅を好む人を平安時代以来、「色好み」と呼んでいた。「色」には恋愛や性愛の意味もあるが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったもので、その表現としての和歌や琴の音曲を含むものだった。遊女が貴族や大名の娘のように多くの教養を積んでいったのは、日本文化の核心である色好みの体現者となり、豪商や裕福な商人、大名、高位の武士たちと教養の共有、つまり色好みの共有を果たすことを求められていたから。これらの伝統的文化に遊ぶことこそが、彼らにとっての「遊び」だった。好色とは、高度に洗練された音楽や絵画や文章、衣食住を楽しむことであり、性関係を含む男女関係は、それらのひとつと考えられていた。つまり「文化」。文化は、欲望に人間的で伝統的なかたちを与えたものである。単なる欲望を精神的、社会的な喜びに変えることである。遊郭は、性を中心にそのような総合的な文化創り上げた場所である。食欲が料理と演出によって真に贅沢で裕福な時間に生まれ変わるように、性欲や愛欲も、贅沢で夢のような経験に生まれ変わり得る。そのためには努力が必要で、色道とは、その努力の方法を示すもの。遊郭は性のみで成り立つことはできず、そこに恋の文化、もてなしの文化が成立した。遊郭は、日本の芸能史の観点とジェンダーの観点から語り継ぐべきだ。
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帯には「入門の決定版」とあったのですね。
普通のことしか書いていないという言い方は適切ではないのだろうが、本当に入門という感じの新書でした。
現代視点から(もちろん当時も尊重されるべきだった)人権的な問題やジェンダー問題にも絡めているけれど、そこまで突っ込まれているわけでもないので身構えずに読めると思います。
本書で新しく知る事ができた事は特にないです。ごめんなさい。