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白木がなぜこんなもてるのかは
ある意味昭和のあの時代性があると思うが
大ぼら吹きなのに魅了するという反面
その人その人には真剣に向き合っているようにもみえるから
そこは大事なんだな
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いい子ぶる訳ではないが、理解ができない。
のに、あまりにも別世界過ぎて興味を惹かれてページを繰る手がとまらなかった。
正直、子供や配偶者を捨てて異性にのめり込むこと自体個人的には不幸なのではないかと思える。更にいつも一緒に居られないし、独り占めできない相手に人生を費やすことなんて自分の時間が勿体ない、なんて思ってしまうけれどもそれが幸せ、って言う人もいるのだろう。ただ、自分の「好き」に恋愛対象以外の人を巻き込むことは決して良いことではないと思う。
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瀬戸内寂聴そして井上光晴の妻。
どちらも自分を投影しかねるが、昭和なのか、母なのか、見覚えのある風景を垣間見る様な、不思議な感覚に陥る。
宗教は未知だが、煩悩とはこういう事なのか、一生付き纏うから煩悩なのかと1人で考えた。
薄い皮膚の下のあちこちに膨らんである腫瘍、それは哀しみ苦しみか?
思い出そのものよりも、そういう思い出を自分も持っているということに胸が詰まった。という言葉が心に残った。
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ただミーハーで、読んでみたいと動機が不純なスタートだったので、はじめは読みづらく でもページをめくる手は徐々に止まらなくなった。瀬戸内寂聴を思わせる長内みはる、井上光晴の妻を思わせる白木笙子。白木篤郎を巡る二人の女の心情が交互に年代別に描かれていく。どうしょうもなく女にだらしない 嘘つき男に なぜ、こうも 素敵な女性2人が振り回されていくのか。なぜ別れない、なぜ怒鳴らない、なぜ切れない…。私にとっては なぜの繰り返し。
みはるは出家という手段で、やっと篤郎と男女の関係は清算するが、その後、篤郎とも笙子とも人として付き合い続ける。瀬戸内寂聴の出家の裏には、こんな思いがあったのかと、そしてその後の活躍のエネルギーにもなったのかもしれない。しかし、この作者は井上光晴の娘。書きづらい題材を、こうも淡々と書けたものだと感心する。昭和の男と女の生きざまなのか。今の私には理解できないが、さてさて同じ墓地に眠る3人は、仲良く過ごしているのだろうか。
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男ってのは下半身の生き物で、節度なく女を追い求める姿にあきれる。しかし、こんな不思議な夫婦と愛人の三角関係に何故か安堵のようなものを感ずる。作家の筆力の為せるところか?
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瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)の不倫相手とされる人物が、この本を書いた井上荒野の父である井上光晴だったという事実を初めて知った。
そして娘である作家がその2人のことを描くって壮絶だな…とも。
でも内容はドロドロしている空気はまったく無く、さらっと、私情も感じない雰囲気だった。とても読みやすく、事実が基となる物語として描かれている。
瀬戸内寂聴についての経歴はざっくりとしか知らないけど、不倫の末に出家して尼僧となったのはあまりにも有名。個人的な感想としては、美人ではないけれどどことなく色香の漂う人、というイメージ。書くものの内容のせいもあるかもしれないけれど。
著者の井上荒野さんが、小説に書かれているような父親と寂聴との関係を実際に目にしていたのかは分からないけれど、不倫とは言えどちらかというと精神性でつながっていた同志に近いような関係だったのだとして、それを解って赦して受け入れていた妻がいちばん逞しいと感じた。誰よりも達観している。私は彼女のような女には絶対になれない。
作家の篤郎、妻の笙子、篤郎の愛人であるみはる。みはると笙子の語りが交互に配されて進む物語はとても淡々としていて、人の(とくに女の)業に満ちている。
みはるが出家した後も、2人の関係性は続いた。性の世界を脱け出した後でも。
そこに精神性の強いつながりを感じるとともに、篤郎とみはるの関係を知りつつみはるとも親しく付き合った笙子の強かさに恐れさえ感じた。
静かながら凄みのある物語だった。
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瀬戸内寂聴と井上光晴とその妻の
愛のあり様を描いた作品だ。
その関係は普通の妻、恋人なら
平常心ではとても居られない物だ。
緻密に描かれた妻の笙子と愛人のみはる
の心情が時に白木と言う男を通して
振り子の様にすれ違い、時と共に
二人の女の心情がやはり白木を通して
重なり合って行く歳月は同じ男を愛した女
二人にしか分からない三角関係と言うより
三人の蜜月だったのかも知れない。
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実在の人物、実際にあった関係、起こった事、そして著者はその身内だけれど、それらを上手く"小説"としてまとめ上げたなという感じ。
寂聴さんは自分の作品にもあれやこれやと書き、詳細を聴きたいと言えば何でも答えてくれただろうけれど、荒野さんの母親は(小説の印象のまま受け取れば)余計なことを一切言わない、秘密は墓場まで持っていくタイプ。親娘だからこそ絶対に口を割らないこともあっただろうし、妻の視点から書くのがなかなか難しかったのではないかな?と思う。
それとも親娘だからこそ、みなまで言われなくてもこういうことに対して母が何を思ってるかわかるものなんだろうか?
それにしてもこんなにモテる男いるんかい⁈ってくらいモテるなー。病気になるまでは常にそういう影がある男。引っ掛けて成功率高いのか、寄って来るものを拒まずなんだか知らんけどとにかく凄いわ苦笑
そんな男を切るに切れぬ妻、形式的に切ってもソウルメイトと言うべきか深いところで切れず腐れ縁になってしまう愛人。女2人が意気投合するのも時間の問題だったなとわかる。だって同じ男をこんなにまで愛してるんだもの。
ちょうど買った頃に映画化の話。
出演者も含めて楽しみ〜
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瀬戸内寂聴と父と母の関係を描いた本と思って読んでいたが、一人の男を愛した二人の女の心の中を覗いている感覚だった。どうしようもない関係なのに妙にさっぱりとしている。最初はつまらないやめてしまおうと思いつつ、つい読み進めてしまった。
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読書会での課題図書。
結論:やっぱり3人とも普通じゃないのよ。
そうね、普通の感覚じゃないから淡々としてるのかも。もっとドロドロで読むのが苦痛になるかと思っていたので安心して読めました。
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1970年の初め、瀬戸内晴美氏が出家するというころ、『かの子繚乱』やなどの作品を夢中で読んだ頃が懐かしく、面映ゆく読んだ。なぜかと言うと、チャプターに年代がきちんと示されていて、その頃の自分もついでに思い出してしまうからだ。
『いづこより』は半自叙伝の作品、中心をなす不倫相手の作家が誰ともわからなくてもどうでもよく、そんなこと詮索しなくても、突き刺さる作品と感じただけでよかった、わたしの30代(主婦子育て真っ盛りを普通に過ごしていて)。
それから晴美氏が寂聴さんとなり、マスコミをにぎわしても、それは横目で見ていたのだけど、モデルが誰だとか、やはり興味がなかった。
井上荒野さんという作家は興味がありつつ未読、いっきにいろいろなことがわかった。井上光晴さんだったのか(でも作品は知らない)と、荒野さんの作家力にますます興味が湧いて、魅せられてしまったことなどだ。
この作品の魅力は文庫本解説の川上弘美氏のが秀逸過ぎて...。
文学や小説のカタルシスを思う。
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男への愛がなくなり、産まれてからまた失われていく
白木とみはると笙子、愛と死の話。海里(荒野)すごい
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共感はできないけど、羨ましく感じる自分もいる。
はたして自分は、ここまでの愛と共に生きることができるのか。
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実在の人物がモデルであると、リアリティが増して楽しめる場合と、実在の人物が物語を邪魔して楽しめない場合とがある。
この小説は後者だった。
井上荒野は好きな作家だし、ましてや、瀬戸内寂聴と井上光晴を描いた小説なら、他にも増して楽しめると思ったのだが。
私はどうやら井上光晴が嫌いのようだ。
こういう人は嫌いなのだ。
才能があって嘘つきで哀れなセックス依存症のような男のいいところも悪いところも全部許容して愛することのできる懐の大きい2人の女性は現実に存在するだろうし、その2人が自分の母と同業者なら小説家として描きたい、描かねばならないと思うのも当然だと思う。
でもその真ん中にいる井上光晴への気持ち悪さによって小説として楽しめないという結果になってしまった。
井上光晴のドキュメンタリー映画「全身小説家」は見てみたいと思う。
そして、やっぱりこの人嫌いだなと確認したいような気がする(笑)
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不思議な関係の小説だが、何重もの心理の襞を感じる。心理描写、状況を示す比喩の言葉の選び方にもハッとさせられ、描くということへのプロとしての凄みを見せつけられた。2人の主人公のどちらの視点にもすっと入り込めてしまうのも描き方の妙だろう。作者はこの実話の関係者であるわけだが、その立場ならではの作者にしか書けない小説であるとともに、その立場を超えて作品に昇華させているところに、やはり凄みを感じる。そして心の中の真実が語り尽くされないことで、現実と地平が繋がっているような気がした。