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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ禍での著者の生活をそのまま描いたよう作品。作中「ナガシマさん」と呼ばれ、「たまむすび」と思われるラジオ番組にも出演する男性と、その妻の視点で交互に進み、まだ手のかかる幼い子どもを育てていく。コロナだけでなく、日常を淡々と描いているのに、魅力のある文章となっている。
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藤井隆さんの帯文が的確すぎた。
読み始めたら1ページあたりの文字数、本の厚さでどのくらいかで読み終えてしまうのかがわかるわけだが、惜しいんだよ、これわりと早く読み終わってしまう!ということがわかるから。
微細な、というか心のひだとひだの隙間にハマるような、ふんわりと撫でられるような描写と登場人物が感じていることがちょうどいい温度感でわかる。この辺りが抜群にうまいというかセンスなんだろうな、たぶん。長嶋有さんの小説は色気というか情緒がユーモアとともにあるんだと思う。
コロナが蔓延し始めた中での作家と漫画家夫婦とその幼い一人娘の生活を描いている作品だが、結婚もしてないし子供もいない僕にもその生活の温度がちゃんと伝わってくる。
誰かと一緒にいるのもいいのかなとか、結婚したり家族になるのはいいのかも、と長嶋有作品読むとそんなことを思う。他の作家さんだとそう思わない不思議。読んでるときだけ思うんだけど。
長嶋有作品をまだ読んだことない人には『愛のようだ』『パラレル』『夕子ちゃんの近道』がオススメ。
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長島先生の本はいつも私の思ってることを先に語ってくれる、とは言い過ぎ。
楽しみ方のベクトルが同じ方向を向いているので。
二歳児の育児を夫婦で楽しむ。ゲームも楽しむし、アニメも世相ネタもこのコロナ禍でさえも「ルーティン」として日々を淡々とそして有意義(?)に過ごす。
アベノマスクだったり、保育園の休園ネタも将来、「あ~あんな事もあったよね」と言われるでしょうが、今をリアルに感じる。多少現在とは意識の持ち方が違うけど。
時間がもっと経ってしまったらこの本に書かれていることは過去のことになるのかなあ…
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もったいなくてなかなか最後を読めなかったのだけれど、読み終えました。帯の藤井隆さんの言葉がすごくよくわかった。
人にはそれぞれの営みがあり、それは、パンデミック下という非日常でも生きている限りは続くのだ。人は変わらず生き、子供は少しずつ成長する。それらのほんの小さなことごとをつぶさに拾い上げていて、それらがすとんすとんと心のなかに入ってくる。変わるもの、変わらないもの、様々あるが、この小説が終わっても、彼らの、そしてわたしたちの生は続いていくのだ。
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特に何もない、コロナ禍のありふれた日常を書いた本なのですが、話がダラダラとしていたのが私には読みづらかった。
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デビュー20周年の作品。作家の夫と漫画家の妻と小さな娘による日常の家族物語。後半はコロナ禍の日常を描いている。たぶん好みは分れるとは思う。特に盛大な盛り上がりがあるわけではなく、旦那さんと奥さんの視点交互にコロナ禍の日常を描いているだけの話。自分としては好みだけど、起承転結を求める方にはあまりオススメできない。どちらかというとエッセイ本みたいな物語。というか、読んでいて長嶋さんのエッセイか?とつい分類(913(物語)か?914(エッセイ)か?)を確認してしまった。(913でした)とても気楽に読める日常。長嶋さんの時々突飛な文章が面白くてクスクスと笑ってしまう。まさか教育テレビの話の中にジョージ秋山の漫画を持ってくるとは誰が想像できるのか。オタク的な話もあるけどわりとついて行けて自分としては楽しめた。コロナ禍の鬱々とした生活の中でもゆったりと小さな幸せはあるよねと思える1冊。
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コロナ直前から一回目の緊急事態宣言くらいまでの長嶋家の暮らしをエッセイでも日記でもなく小説にしてある。
2編入ってるけど、それは一応の区切りで、時間軸はつながっている。
再婚して子供もできて、コロナ禍もなんだか楽しそうで、「奈落」の底のディストピアの私小説のわりに明るい。
状況はあまり変わっていないなりに、2年たった今から見ると新型コロナがピカピカの新型だった頃がもはや懐かしい。「あー、そんな感じだったね」という感じで読んだ。
長嶋節的表現もたっぷり出てくるのだけど、長い作品でもないのに少し長く感じた。
年を取って「センスが衰えた」のではなく「その部分に対する気持ちが満ちた」という表現が、とても印象に残った。
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ルーティンの幸せ、それなんだとおもいます。
でもちょっとさいご、ルーティンすぎて、どこに向かうんだろうと思ってよむことになりました。
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最近どハマりしている長嶋有さん。
「もう生まれたくない」に続き購入、読了。
いやーーー、本作も面白い( ̄∇ ̄)
特に最近の作品は当たりばっかりですね。
本作もやはり「空気感」が最高だなぁと(´∀`)
正直全く言語化できてないんですけど…
でも、逆に長嶋有さんの作品の良さを一番素直に表現できているようにも思います。
何というか、これ以上説明できないから読んで欲しい、というか(笑)
本作を読んで感じたのは、日常の中の些細な「願い」というのが、人生の豊かさに繋がって行くのかなぁ…ということ。
作中で言うと、自転車さんの「大事にしてください」であったり、作者の「ロレックスの日付表示が変わる瞬間を見てみたい」だったり(笑)
そういった、大きな損得には影響しない部分をいかに楽しめるかかが、回り回って幸せに繋がるのかなぁとか…そんなことを考えました。
帯の藤井隆さんの言葉を借りるのであれば「不要不急」に該当することなのだと思うけれども、でもそれが人生には大切なのかなぁと。
そう感じさせられるのは、やはり作者の筆力なのかなと。
何気ない「願い」を大切にする生活が素敵だなと…そう思わせてくれるのは、確かな表現力とユーモアが為せる技なのかなと思いました。
個人的には「願いのロレックス」が、スゴく好きでした(o^^o)
隣人のロレックスを見に行って、体調悪いのにそんなことは不謹慎におかまいなく時計を盗み見て…最後は「日付表示のないロレックスもあるんだな」の流れとか…もう全ての流れが最高過ぎるなぁと(笑)
長嶋有さん、辞められないなぁ…( ̄∇ ̄)
<印象に残った言葉>
・ミステーリアスガール(P18、夫)
・私は「願い」を聞いている。不思議だな。顔も思い出せない、コリブリを売ってくれた男をまた、思い出す。「大事にしてください」と男はいった。(中略)私はかつて願いに乗っていて、またこうして願いに乗る。(P29)
・一度マッチをつけてみたい、と「願」った女もいた。べらぼうに年下というわけでもなかったし、深窓の令嬢という風でもなかったが、生きていて、童話やフィクションの中でしかマッチに出会わなかったそうだ。(中略)そういうことは「願い」だろうか。ドラムを叩けたらいいな、と思って習い始めるのと比べても、敷居が低く、いつでも叶えられる。なのに、普段の自分に生じる願いよりも純度の高いものにも思える。(P44)
・……日付表示のないロレックスもあるんだな(P49、夫)
・「シャンプーなに使ってるんですかぁ?」「ミニヨン」(P72)
・「うちもです」古畑任三郎みたいな早い相槌だな、と我ながら思う。(P156)
・二人笑った。まるごと小説に書こうと思った。(P172)
<内容(「Amazon」より)>
無数のルーティンで、世界は回っている。作家と漫画家夫婦と2歳の娘がおくる、コロナ下のかけがえのない日常。長嶋有デビュー20年目の家族小説。
「途中で読むのをやめました。ひと晩で読み終わってしまうのがもったいなくて!」藤井隆さん絶賛!
2020年春、緊急事態宣言で娘の通う保育園が休園になった。あらゆるものが静止したコロナ下でも、子どもの成長は止まらない。作家の夫と漫画家の妻は、交替で育児をしながら非常時の日常を歩きはじめる――。
コロナ以後、宙ぶらりんになったままの願いや欲望を、本書が慰めてくれた気がした。 ――綿矢りささん
伝えたい気持ちと、見つけたなにかを言葉にしていくことが、一日一日を支えてくれる。 ――柴崎友香さん
不要不急の言葉で、僕の生活も止まった。この本を読んで、あの時期のごたついてた気持ちをひとつ整理してもらえた。
――藤井隆さん
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私小説のような面白さ。
って、すべて信じてもいいかしら(笑)
コロナの家族記録が2人の視点で描かれて、コロナがリアルにディストピアとまで表現されたながらも、ほのぼのとした日常もまたあって・・・
しかし、何といってもロレックスのオチがいちばんお気に入り!
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ほぼ無意識で思っていることに気づいて、更に言語化していることにやっぱすごいわと思った。
一番共感したのは、豚バラは豚の肉を「バラバラ」にしただけの肉じゃなかったんだのところ。
コロナでの日常を書いてあるので、何年後に再読したら、その時どう思うんだろう。
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著者の長嶋有さんのインタビュー記事を読了後、読んだのだが、『九分九厘日常のスケッチ』とのことで、長嶋さんご結婚されてお子さんもいたのかー!!と、本書の内容とは関係ないところで驚いてしまった。
閑話休題。
長嶋有に「日常」を書かせたら右に出る者はいない、と勝手に思うほど、長嶋有作品の、何気ない日常において登場人物たちが「考えること」の描写が大好きでたまらない。
それが本書ではコロナ禍のまさに今を舞台にしていて、リアルな憂鬱と向き合い、時に受け流しながら、2歳の娘と夫婦の日常が「続いていく」ことの残酷ささや安心感を感じ取った。
保育園の休園。それにともなう、家庭での保育。
自転車と腕時計にまつわる物思いたち。
夫と妻の、同じ事象に対する思考。
そして、どちらの章に登場しても可愛さしかない娘の描写と、胸が詰まるほどの「親としての思い」。
コロナ禍を描いた小説が徐々に出てきている今、とても印象深い日常小説。現実のコロナ禍とともに、私はこの物語を忘れないだろう。
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写実派の絵画を思い出す
日常の細々としたことふと心に浮かんだこと言語化もされず消えていく感情を漏らさずにきちんと描くことは明確な技術だなと思う
最初の短編の方が好きやった
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読書開始日:2022年1月15日
読書終了日:2022年2月5日
所感
【願いのコリブリ、ロレックス】
願いっていいなと思った。
人を立ち止まらせるのは願いだ。
人間に対しても、ものに対しても願いを持つ。
願いは人を動かす。
わたしは願いを聞いている。
そして願いには純度がある。
純度の高低が良し悪しに繋がるわけではない。ただ純度が高い願いに憧れることがあるだけだ。
願いの純度とは、その対象に対してのみ願いが働くか、その対象の付帯物へも願いが働くか。
純度の高い願いも持っていたい。
そして願いは自然分裂的に増える生物のようなかたちを帯びることがある。
願いの多様性は面白い
【ルーティーンズ】
子どもをもつ家庭のコロナ禍の過ごし方を書いている。
しかしコロナ禍関わらずの結婚、子育て感が自分にはとても良く感じた。
動揺したりプレッシャーに感じるままに、あえてさせておこう。
今はそうするというだけの、その今の連続だ、結婚や子育てとは
【願いのコリブリ】
感情のディレイ。第三者にそのディレイはない
SNSでの言葉の応酬において研ぎ澄まされてく、即時性のある言葉
過ぎた厚遇
私より若い久美の、旺盛なエナジーの発露
お大尽
センスが満ちた
三人乗り電動自転車=育児のあらゆる修羅と困難を跳ね返すためのパワーと頑丈さで武装した魂
私は「願い」を聞いている
わたしはかつて願いに乗っていて、またこうして願いに乗る
今度大山田君と飲んであげてよ=願い
聞いた側にも願いが残る
自然に願いが分裂して、生物的に増えたような、妙な願いがある
それをしないことについて特にポリシーなんてなかったのだ
願いを持つもの特有の、あの潤んだ目
願いの純度。それ自体か、それ自体に附帯するものも含めてか
人に対してではなく、願いに対して寂しいと思えること。
対象が巡って人か、願いか
【ルーティーンズ】
なにかがすごく出来ないというのは、それをすごくできるのと同じような痛快さがある
二人の人が「良さ」で張り合うとうまくいかないという言い訳も浮かぶ
杜撰
措辞
虚心
子どもという無駄なエネルギーの塊ども
セカンドのように手に汗を握る
動揺したりプレッシャーに感じるままに、あえてさせておこう。
今はそうするというだけの、その今の連続だ、結婚や子育てとは、
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コロナ禍の日常を夫婦の交換日記のような体裁で淡々と描く。交換日記の様ではあるが相手の記述を受けて書き進められるわけではないので交換日記ではない。同じ景色を夫婦が全く違うふうに見ているとか、そういうありがちな仕掛けもない。そういうところが”淡々と”の所以なのだが、なんでもないことを書き連ねて一冊読ませてしまうというのは大した技術だと感心した。