紙の本
やっぱり「ラ・マジア」が好き
2022/05/06 12:51
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
巻頭のミロの家族、師、交流のあった画家、文化人というまとめが、国別になっていて役に立った。やっぱり「ラ・マジア」が好き、この色使い、構図は彼以外には無理
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ミロというと、この表紙のような、たれた目玉みたいな絵、というイメージであまり注意して見ることもなかったのだが、この本をみて、いろいろなタイプの絵を描いていたのがわかった。
特に目をひいたのが、
「ラ・マジア」1921-22 という絵。スペインのカタルーニャ地方の農村風景だという。左に石造りの蔵が描かれていてこれはカタルーニャ農村の典型的な建物だという。色彩は全体に黄土色。深緑の木々などが配置。キリコやちょっと古我春江なんかを思い出す。
ミロを感じるには「ミロのトライアングル」を意識せよ、とある。都市(バルセロナ)・大地(モンロッチ)・海(マジョルカ島)だという。
時代を追って紹介されている
1893-1919(0-26歳) 初期、カタルーニャに生まれて
「モンロッチ、教会と町」1919はとてもいい。岡鹿之助を思い浮かべる。「シウラナ村」1917 風景画。セザンヌっぽい。この時代のは○○っぽい、という絵が多いのだが、しかしとてもいい。
1920-1929(27-36歳) パリ、シュルレアリズム
「テーブル 兎のいる静物」1920 これもいい。色合いは「ラ・マジア」と似ている。
「アルルカンの謝肉祭」1924-25 このあたりでたれた目玉っぽい形状が出てきた。当時は空腹で、その空腹による幻覚なのだという。
1930-1939(37-46歳) シュルレアリスムの国際展開と、スペイン内戦
「古い靴のある生物」1937 黒と緑がゆらめく。
1940-1946(47-53歳) 独裁体制下の国内亡命
「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聴いている踊り子」1945 表紙の絵。ドイツ軍のフランス攻勢を逃れマジョルカ島に逃れる。そこでの慰めのなったのは音楽で、昼時になると聖堂でオルガン演奏を聴くのが日課になっていたという。1942年夏、故郷バルセロナに戻る。
1947-1974(54-81歳) マジョルカから世界へ
フランコ独裁政権下ではミロは政権と対立し、展覧会はバルセロナに限定された。
1975-1983(82-90歳) 民主化スペインの顔
1975年、フランコの死去によりミロは民主化されたスペインを代表する画家になってゆく。(ピカソは1973年亡命先のフランスで死去)
<日本とのつながり>
1966年の国立近代美術館での展覧会、1969年、万博のガスパビリオンに陶板壁画「無垢の笑い」の設置に伴い2度来日。ミロは訪日の以前から日本文化に深い知識をもっていたという。
それで、西武美術館で「ミロ展」をみたはず、と思いだした。検索していくと、国立新美術館で展覧会データベースをみつけ、探し出すことができた。
1979.1.2-2.25西武美術館で「ミロ展:ユーモアと冒険の彫刻」
https://www.nact.jp/exhibitions1945-2005/exhibitions.php?museum=%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8&op=AND
国立新美術館「日本の美術展覧会記録1945-2005」
https://www.nact.jp/exhibitions1945-2005/index.php
2022.2.25初版第1版 図書館
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長らくシュルレアリスムの画家として認知されてきたミロ。
本書では日本とのつながり、故郷カタルーニャへの深い愛着に着目し、ミロの新たな一面に光を当てる。
40年ぶりに日本人研究者によって書かれた待望のミロ入門書。
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1章 初期‐カタルーニャに生まれて―1893‐1919
モンロッチとの出会い
前衛の拠点
2章 パリ、シュルレアリスム―1920‐1929
憧れの知、パリへ
絵画と詩
3章 シュルレアリスムの国際展開と、スペイン内戦―1930‐1939
内戦とパリ万博
4章 独裁体制下の国内亡命―1940‐1946
マジョルカへ逃れて
5章 マジョルカから世界へ―1947‐1974
アメリカでの評価
陶に魅せられて
公共空間の仕事
彫刻の作り方
職人との協働作業
三連画という形式
6章 民主化スペインの顔―1975‐1983
バルセロナの顔