紙の本
フランドル地方の物語
2023/02/16 11:07
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
時代は18世紀、場所はベルギーフランドル地方。
異国の空気が新鮮だ。
ヤネケとヤンの関係にも驚かされるが、読み続けるととても魅力的で引き込まれる。
分かりづらくて読み進めにくいが、物語の時代背景や場所の空気感が読んでいて楽しい。
この広い世界にも広大な歴史の中にもたくさんの物語があり、読者を別な世界へ連れて行ってくれる。
なんて良い時間なんだろう。
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佐藤亜紀「喜べ、幸いなる魂よ」https://www.kadokawa.co.jp/product/322102001022/ 読んだ。うおおおもう一生老化しないのは佐藤亜紀だけかもしれない。18世紀ヨーロッパが舞台だけどこれは現代の日本の話です。いやそう思うと18世紀から何も進歩していない日本よ、いや江戸時代をピークに思想的・社会制度的には退化の一途というべきか…。札幌を見倣え。ところでこの10年くらいで著作内の会話が時代設定に関わらず今の日常会話の口語表現になってるところが大層すきでございます(おわり
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これまで読んだ佐藤亜紀さんの作品の中で最も読みやすかった。
主人公ヤンの一生みたいな話なので中弛みがなく、最初から最後までぐんぐん読めてしまう。
18世紀の話だけど現在の問題点や関心事に通ずる内容で、興味と共感を持って読んだ。
これまでの佐藤亜紀さんの作品とはちょっと毛色が違って、これはこれで、なんか、とっても良かった。
今まででいちばん主人公が生きている感じがした。
良き人物というか共感できる主人公で、事実や物の描写より心情描写に重きを感じて読みやすい。
物語の先には占領という激動の時代が到来するけどそこは書かずにその手前で終わっているのが良いと思った。
終わり方がすごく良くて、じわぁっと沁みた。
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発売を知り、ブクログ登録700冊目は絶対これにしようと決めていたものの今月に入りなかなか読書時間がとれず、ようやく読めました。
なんてことないはずなのになんだかしみじみと味わい深いラストまで、軽快に読み進めることができて大満足の一冊。
『バルタザールの遍歴』を読んでファンになって以来、ストーリーの面白さは勿論、毎回毎回「文章を読むこと」それ自体に充実感を味わえる佐藤亜紀さん。今回も独特のテンポのある文章に魅了されました。
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長い長い物語。出会い、戯れ、離れ、惹かれ、理解し、助け合い、協力し、それぞれの人生を過ごしながらも常にその存在がそこにある。ヤンとヤネケの関係は、「愛」というより「信頼する同志」「同じ時代を生きてきた戦友」を感じさせた。全編に渡って駆使される、時制や場面を一気に飛び越えるかのような文章が、分かりづらいながらも魅力的だ。ただ、物語自体にはさほどの推進力がないので結構退屈。それに、レオの成長後の姿にはがっかりだったけれど、母親を放棄したヤネケにそれを批判する権利はないだろう、とは思った。
帯を見たときはヤネケの物語だと思っていたけれど、これはヤンの物語だった。人の好みは様々だ。ヤンが幸福ならそれで良い。
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面白かった!
なんと言っても、ヤネケの「人でなし」がいい。クールさがいい。男とか情とかに全く重きを置かず、自分のやりたい研究ばかり突き詰めていくのも爽快なら、男の名前で発表や出版が叶うならそれでいいじゃんという合理も爽快。
賢くて軽快で。こんな女に40年も惚れ続けてその気持ちが決して叶わないのも、幸せなのでは。
テレーズの「レース作って、それで自分で生きていけるんだ(略)綺麗なお嬢さん、より全然いいんだよ」のセリフが素晴らしい。
当時の資本や生産性や搾取についても血の通ったリアルな描写。
いろいろ面白かった。
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舞台はフランドル地方の小都市シント・ヨリス
生涯単身を選んだ
半聖半俗の女たちが住まう
「ベギン会」という共同体
これはフィクションなのかと 思わずググって
しまいましたけど 本当にあったんですね
精一杯自由に生きるヤネケと
それを支えるヤン
後半 時代の流れが
二人に思わぬ試練を
投げかけますが
これもまた人生
最後には決着らしきものは
ないものの 共白髪になるまで
一生懸命に生きた二人の人生を
うらやましく感じて
本を閉じました
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舞台は18世紀ベルギー、フランドル地方。
この時代この地域を舞台にした小説を読んだことも知識もなかったので、わくわくしながら読んだ。
主人公は親を亡くし、父の同業者だったファン・デール家に引き取られたヤン。
義父となったファン・デール氏は、ヤンを家に迎える道中、ヤンが来ることでうちの子たちも鍛えられるかもな!と言ったが実際に鍛えられたのはヤンの方だった。
というか人生通してヤンは鍛えられた。
ファン・デール家の双子の姉ヤネケと弟テオは優秀で、特に姉のヤネケは異常に頭がいい。
そんなヤネケは生殖行為というか繁殖に興味を示し、ヤンと性的なあれこれを実験のごとく試していく。
そして若いながらに2人の間で子どもができてしまい、彼女は家を離れて子どもを生みその後ベギン会に入り、ヤンはというと自分は働きながらヤネケと子どもと一つ屋根の下で生活することを見据えてファン・デール家の仕事をこなしていくのだが……
ヤネケは医者である叔父に似て人でなしなのだとよく描写されるが(実際たしかになかなか合理的すぎて酷いことを言うな〜と思うこともあるが)、好奇心旺盛で頭が良くて研究が好きで、意志が強くて、とても魅力的な人物だ。口調といい、作中で一番好きなキャラクターかもしれない。彼女の母、ファン・デール夫人も好き。
アンナも好きだ。この時代に女だてらにこの身一つで大工仕事で食っていくなんてカッコ良すぎる。そして勤勉で口が堅くてフランクだ。
ベギン会は作中の架空の団体なのかと思いきや、巻末の解説を見るに実在したらしい。
信仰心を持った女たち(修道女ではない)が集まって暮らしながら互いのプライバシーは守られ、自分たち個人個人で生計を立てて食っていく。お金を貯めて家を買ったりもする。
なんだろう、なんかちょっと、それすごくいいじゃん…と思った。なんなら羨ましいとさえ思ってしまった。
参考文献が載っているので、ベギン会など…ひいては女性史について調べてみようと思う。
作中には女性が集まるベギン会はもちろん、男性修道院もちらりとその名前が出てくる。
しかし(主題じゃないからかもしれないが)男性修道院に嫌がらせがあったり、子どもを作れなんて外から罵られる描写はない。
だが作中でベギン会の敷地に向かって、十数歳頃の少年たちが女性を蔑称する言葉(ここでは書けません苦笑)を叫び、しょんべんを引っ掛けるなどのいやがらせをする描写や、女性だけの集落を快く思わない男たちの、女性だけで暮らすなんて意味がわからないという無理解(というか人として尊重してないからこその発想だろうな)や女性蔑視の心が描写されている。
彼らの(というか主に作中に出てくる、とある男の主張なのだが)女は子どもを産むためだけにある。それ以外は装飾品で、頭を使った学問も手足を使った商いもする必要はない。子どもを産んで産めなくなったら子どもを産む女のサポートに回るか産婆になれ。…というのがその男の主張なのだが…まあ、作中では他の登場人物にもさすがにそれはお前…といった感じであしらわれている。
まあこの怖いところは、現代日本にも割とこういう発想の男(たまに女��)って、まだいるよね…?って話。
数百年経っても変わらないのか…ところは違うが……
ただこの作品に登場する女性たちはなかなか強く、その利発な発言や振る舞いにも心がすく。
ベギン会の女たちも、それ以外の女たちも。
そして彼らの長い長い人生の中で、ヤネケとヤンの関係性にもいろいろと思いながら、どうか2人のその後が穏やかで有りますように。と思ったのだ。
この物語は、男のヤンと女のヤネケの、長い長い物語であったのだから。
いろいろと考察を深めたい物語だった。
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激動のフランス革命のただ中ではなく、余波に揉まれる地域を舞台に、したたかに生きている人間たち。
フランドル自体がそうであるし、その中でのベギン会がそうで、その中のヤネケがそうである。
「したたか」というイメージが強く残るのが著者の作品の特徴だなと改めて思う。
時に激しい水の流れに、意固地に抗って結局流されてしまったりへし折れてしまうのではなく、葦のようにのらりくらりと、しかし誰よりも地に足をつけて飄々と乗り切るしたたかさ。
いちおう宗教的な集まりであるベギン会もヤネケにとっては快適な住処以上でもそれ以下でもない。嘘も方便。超合理的。
サイコパスにも見える彼女が、唯一、非合理的に、いわゆる人間らしい心の揺らぎを垣間見せる対象が他でもない息子レオなのだが・・ヤンとヤネケ以上に「常識」を逸脱したこのふたりの特殊な関係性!ラストにかけての一連の流れのとんでもない面白さを導入材に、この作品の言わんとすることがぐわーっと体内に流れ込んでくるというか。
ある程度の「自由」を手に日々を送っていると思われる今の時代のこの国の私たちの中にもいろんな色眼鏡やレッテルが溢れているわけで、それよりもっともっと不自由な価値観だらけだったはずのこの小説の舞台でこんなにも生々しい人間のそのものを描いてくれる佐藤亜紀さんが好きです。色眼鏡を放りなげ、全ての衣を脱ぎ捨ててぶつかってほしい一冊。
経済も政治も、人間の愚かさも計算に入れて軽やかにコントロールできてしまうヤネケはかっこいいなあ。
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18世紀フランドル地方のファンデール家の天才の娘ヤネケと引き取られた子ヤンとの強い絆変わった愛の40年を描いた壮大な物語。一族の歴史でもあり、ぺギン会、産業革命、フランス革命など時代の流れも息づいて面白い。また女性であるため才能を制限されるヤネケの破天荒な試みとヤンの純愛には感動しました。
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この時代設定の物語には触れたことがなかったため、読み切れるだろうかと不安に感じながら読んだが、淡々とした文章構成が時代背景に馴染んでいて読みやすかった。
男女二人の、一般的な恋愛観では計り知れない繋がりと人生が描かれていた。登場人物は戸惑うほどに多いのだが読み進めるうちにそれぞれに魅力を感じていく。人の死も感情の動きも、激しくは書かずに日常の出来事の一つのように書いているのに心が揺れる。この人の書き方が好きなんだと思う。
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この内容をよくこのページ数(約300P)におさめたものだ。500Pオーバーの上下巻になってもよさそうな大河小説である。
強く印象に残るのがヤネケの強烈なキャラクターだ。今なら、俗な言い方をすればサイコパスとなるのだろう。そのドライで突き抜けた性格と独学で論文まで発表するような才能は清々しいほどで、女性ながら登場人物中、最も頼もしい。ヤンとついに一緒にはならなかったが、この二人は最高に相性の良いパートナーだと思えてくる。
淡々と物語が進みつつも所々に感極まる場面があり、ラストは何十年もの歴史を辿ったからこそ味わうことのできるなんとも言えぬ感動に包まれる。
是非海外で映画化してほしいと思う。実際、二言三言で応酬される会話はまるで外国映画の字幕を読んでいるようだ。読了後、ふとジョン・アーヴィングの『ガープの世界』を思い出して改めて読んでみたくなった。
作者の作品を読むのは初めてだったが、是非他の作品にも触れてみたいと思った。
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2022年8月
スイスイ読める。フランドルの歴史の空気感が新鮮で面白かった。
ヤネケはぶっ飛んでいるが、共感も多い。
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今年読んだ本の中の暫定一位。
最初の方から、ヤネケとヤンの世界から離れたくないと思う。この本は、読み終わるのが寂しくなる本だぞと。なかなかそういう本に出会えないのだ。この出会いは嬉しいな。
本当ならこの3倍くらいの長尺の内容だが、時間経過の処理が上手く、この長さに仕上げた佐藤亜紀は凄腕。
お陰で、二人に寄り添ったまま最後まで一気に読める。
通常の親子関係、通常の恋人関係ではないのに、常識や理屈の入り込む隙を作らないばかりか、むしろそこに人物の魅力がある。
最後の二人の会話のシーンで泣けた。私もヤネケの魅力にヤン同様やられてたんだな。ヤネケに帰ってきてもらって私も嬉しくて泣いたのだな。
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舞台は18世紀のフランドル地方。知性と自立心を持つヤネケと、彼女を想い、時代に翻弄されながら生きるヤンの半世紀にわたる物語。
歴史小説であり、背景の地方都市や商業に関する部分は史実を元にしている。また、女性差別や家族関係などの現代に通じるテーマを扱っている。
登場人物が魅力的で、中でもヤネケは「人でなし」ではあるが、制度や価値観に縛られずあらゆる障害を軽々と乗り越えてゆく。一方ヤンは男性という役割から逃れることが出来ず、家族や仕事のためにがんじがらめになる。しかしどこまで行っても「まとも」である彼も、苦労人として共感を誘う。
半世紀にわたる物語なので、途中子供が生まれることもあれば、誰かが死ぬこともある。だが、そこに必要以上の悲壮感は無い。作者はエモーショナルになり過ぎず、軽やかな文体でそれらを書き紡いでゆく。その文章のリズムは読んでいて非常に心地よかった。
クライマックスにはある事件が待ち受けているが、どこかユーモラスな雰囲気があり、読む側に豊かな喜びを与えてくれる。
読み終えて心に、体に、温かいものが広がるのを感じた。ふたりの理性的な魂が最後に行き着く先を多くの人に味わってほしい。