紙の本
文章がきれいな風を呼んでくる
2022/06/15 15:31
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「随筆」と「エッセー」の違いがよくわからない。
「広辞苑」で「随筆」をひくと「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」とあるが、そのあとに「エッセー」とも書かれている。
では、と「エッセー」をひくと、まず「随筆」とあって「自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い文章」と、やや色合いが違う。
特に区分けすることもないようだ。
ただ、熊本で雑貨と喫茶の店「オレンジ」と「橙書店」という書店を営んでいる田尻久子さんの文章を読むと、なんとなく「随筆」といいたくなる。
「なんとなく」は、気分である。
この「随筆集」は、雑誌「SWITCH」に2018年から2021年にかけて連載されたものの単行本化である。
田尻さんは熊本という地方都市の小さなお店の店主ではあるが、その活動は高く評価されていて、2017年には第39回サントリー地域文化賞を受賞している。
そんな田尻さんだが、その文章には気取りがない。
難しい語彙や持って回ったような言い回しなどは使われていない。
文章はあくまでもやさしく、平易で、それでいて心に沁みてくる。
この「随筆集」では懐かしい祖父母との思い出や幼い自分たちを置き去りにして去ったことがある母のこと、そして田尻さんが生きた土地の思い出などが描かれている。
それはほかの誰のものでもない、田尻さん自身の話なのだが、何故か読者も懐かしさをおぼえる。
写真は田尻さんの文章に合わせて、写真家川内倫子さんが自身の写真から選んだもの。
素敵な一冊に出会えて、うれしい。
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『夏休みのすいか、親戚のおにいちゃんとした肝試し、連れ合いと見上げた花火。記憶は、ふとしたはずみに心に触れる。過去に引きずられたいとは思わないが、記憶にいだかれることは、ときに必要なのだろう。いつかひとりで花火を見る日が来るかもしれない。そのときは、きっと、記憶に身をゆだねながら見るに違いない』―『なつやすみ』
ふっと、「言葉だって消耗品 思い出は底がある」という歌のワンフレーズが頭の中を過[よ]ぎってゆく。確かに呼び起こされた記憶は、言葉という強い光によって印画紙に投映され定着する代わりに、元のネガの陰影を少しばかり奪ってしまうようにも思う。そして言葉に置き換える行為によって、それは彩色し直され、色付けされた記憶が元の単色の記憶を上書きし置き換えてしまっている感覚を覚えないでもない。そんな心配を思わずしてしまいたくなる程に、繰り返し思い出を語る橙書店の田尻久子は、過去も未来も凝集されたような自身の人生のひとコマを惜しげもなくさらけ出してみせる。そして、そのセピア色になりかけた記憶の映像は、極めて個人的な思い出である筈だが、不思議と読むものの記憶も喚起する。そんな感覚を覚えるのは、ひょっとすると、幼少の頃の思い出の写真が白黒である世代に限られることなのかも知れない。あるいは、汲み取り式の便所の薄暗さを、舗装されていない道路の水たまりに浮かぶ虹色を、あるいは、夏の日の溶けて柔らかくなったアスファルトや木製の電柱の立つ道を知る世代に限られるのかも知れない。けれど、彼女の綴る文章から立ち上がる世界は、確かに見知ったものが呼び覚まされたものであるような気になるのだ。
そして、その言葉に呼び起こされた世界を写し出したような川内倫子の写真が小さな物語の時間を更に引き延ばす。記憶には決してなかった筈の映像が、あいまいな光が、時に闇を見つめるような焦点の当たる構図で、そっと、挿し込まれる。そう、それは飽くまで、そっと、と表現されるべきもの。元々、川内倫子の写真には、強烈に訴えるようなモチーフが写し撮られるタイプの写真が少ないように思うが、このエッセイ集に挿し込まれた写真は、特に、余白が多く、時にピントがずらされ、観るものの意識がさまよってしまうものが多い。それは日常というものの、ただ在るようにして在る自然さとその不思議さを同時に写し撮るような写真。田尻久子のエッセイが明らかにするように、誰かにとってのありふれた日常は多くの理由の結果だけれど、その理由は質さなければ見えてこないという訳でもない。もちろん、知れば知ったで何かが変えられるものかどうかも定かではないけれど、ありふれた、と思い込んでいるとするすると指の間を流れ落ちていく砂のように跡形も無く存在しないことになってしまう淡いもの。失ってしまっても確かに指に残るその存在のもたらす喪失感に抗いながら前を向く気持ち、それがエッセイと写真の間で交わされているようだ。
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写真との組み合わせがよかった。割と来し方を振り返る系が出てくるのだが、写真は、現代。それがありがたかった。
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図書館で予約してあったらしく手に取った.どこかで本書の紹介文を読み,引っかかりがあったので予約していたのだと思うが,予約の順番がまわってきたときにはその存在すら忘れていた.
孤独と孤独をやさしくかつ客観的に見守るような眼差し.自分の過去みつめる視線に懐かしい孤独感を感じた.たぶん誰もが子どもの頃に感じたであろう孤独.そんなことを読んいる間に思い出した.
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熊本で「橙書店」と喫茶店を営みながら文芸誌「アルテリ」の編集も行っている著者のエッセイ。私も同時代を生きた年齢であの頃こういうこと(蒸発や教師と生徒の反発しあう関係性)がよくあったよなあと思った。著者は母親の蒸発など中学生の時期から理不尽なことを沢山経験してきたと思うが、本書の中では肩肘張らずにその時傍に居る人たちと手を繋いでそれらを乗り越えてこられたように見えた。文章も特に幸不幸を強調することなく書かれていて心地よかった。
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懐かしい子どもの頃が、よみがえってきました。暖かく、しみじみとした中に、不安や恐怖も混じっていて。子ども時代って、甘いだけではなかったことを思い出しました。
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書店主の田尻さんと写真家の川内倫子さんによる写文集(←こんな言い方するのね)。熊本の書店・橙書店の田尻さんの書いた子どもの頃や家族についてのエッセイに川内さんが自身の撮影した写真で応えていく不思議な構成。記憶や想いは言葉に、場所や空気は写真になるのだね。熊本のその場所で濃く深く生きているひとりの人間の物語だった。