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歩みだそうとする気持ちを、支えられるようでいたいという思いがふつふつと湧く。私はもう大人なので、これからの人たちを支えられるように、と思う。
サウジアラビア、インド、モロッコ、アフガニスタンという、「女の子だから」が分かりやすい国だけでなく、日本にも目が向けられていて、「女の子だから」と対になる「誰かが決めた幸せの形」って、どうなの?と問われる。
やまじえびね さんが描く、くっきりした輪郭を持つ人物がとても好き。
装丁もよき。
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女性が、人々が幸せに暮らせる国を作りたい。
私も希望を失わず、強くなりたい。
色んな人に勧めたい1冊。
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フリスタ漫画特集から。ジェンダーについては、意識し過ぎと感じるくらいでちょうど良いと考えているので、本作は、それを再認識するいい機会となる。
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深かった。このご時世に読むからこそ意味があるかも。世界中の女性差別に焦点をあてた話 宗教観や戦争紛争や許嫁など読んでいてどれもリアルでよかったなあ 終わり方
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女性に生まれただけで、
生きていくのに様々な、理不尽な負荷を負う。
多様な価値観は必要だけれど、この差別は不要であり根絶すべきものだ。
理不尽さを経験すると、そこから夢や目標が生まれる。夢のままで終わると、それは苦しみや悔しさが続くだけなのだろうか。
そんな事を考えた。
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きっとこの問題にもともと関心のある人は、ものたりないと感じるかもしれません。
ですが、高校生をはじめ、基礎知識がない人にとっては、
漫画で描かれていることで、はじめて知ることも多いのでは?と。
では、「男の子がいる場所は」もあったら良いのに。と思いました。
この作品で取り上げられている女の子、女性達がいきる文化圏の男性陣は
どのように考えているのか。
年齢や立場、職業で考え方がちがってあたりまえですが、女性の問題を
取り上げるときは必ず、社会を構成するさまざまな立場の視点が
必要だと思うので、ぜひトライしてほしいなと思ったので、☆は3つです。
さまざまな文化圏で生きる人達の内情にまず寄り添おうとすることが
大事ですね。
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このような漫画が出版されることに意義があると思う。自分にとっては新しい発見はあまりないように感じた。
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女性が男性と同じように、当たり前のことを当たり前にできるよう望んでいるだけなのに、どうしてとりまく世界は辛いままなのだろう。
世界を知ること、自分の現状だけでなくいろんな世界のいろんな状況を知ることはとても大切だと思う。
教科書のような形じゃなく、この作品のようなより身近な形で提供してもらえるのは貴重だし、ありがたいことだと思う。
世界中の人に読んで考えてもらいたい。
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女というだけで、選択肢が少なく、残酷な扱いを受ける。程度の差はあれ、どの国でもある差別。けれど、ここに出てくる女の子達が皆前向きでそこにすごく救われ希望を持てた。
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とてもよかった。「大きなお家のお嬢さん」がとくに好き。この並びに日本の話が入っているところも不意打ちを食らって良い。
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〇女性・女の子を取り巻く今を、性別を問わずとも生きていける社会だからこそ伝える・伝わる、5か国の女の子のストーリー。
第27回手塚治虫文化賞の短編賞を受賞したのでそれをきっかけに再読。
◇サウジアラビア・サッカーボールを蹴飛ばす日
サウジアラビアの首都・リヤドに住むサルマ。パパは木・金曜日にしか帰ってこない。ミサンガを作ったことをパパに報告すると、"遠い親戚"のアミーラに習うことになるが、ママの顔はやや曇る。同じころ、友人のファイの姉が結婚することになるが、結婚式で初めて会う時に結婚がダメになることもあると聞き・・・
あの時の思い出すらも、素顔で再現できないいま。
◇モロッコ・しかめっつらとメガネ
シャマおばさんがやってきた。
ハピーバが住んでいるのはモロッコの首都・ラバト。祖母の古い友人である彼女は、ハピーバのやることなすこと、例えばメガネ、例えば本、例えば笑い声。姉のレイラも背の高いことを批判される。ハピーバとレイラは不服そうにするが、祖母はそれをいなす。そんなとき、ハピーバはシャマの背中にたくさんの傷があることを見かけ・・・
批判の意味は。
◇インド・大きなお家のお嬢さん
カンティはママとともにデリーの新居に引っ越す。それはカブールこと新しい"パパ"ができたからだけど、なぜか"パパ"と呼べないカンティ。そんな中、家庭教師に来てくれていたアーシャが新たな家庭教師先を探していたが、その紹介された先に行った後のアーシャはなぜか元気がなく・・・
理不尽に立ち向かう心は、年齢に関係なく。
◇日本・おばあちゃんとママとパパ
多摩西部に住むまりえ。あまり着ないワンピースを祖母に買ってもらい、でも母は祖母の「女の子らしい」をそれは違うかもしれない、と伝えるのを聞く。友人のなっきーの家では、両親が同じようにパンを焼ける、ということを聞く。母と離婚した父親はきちんと教えてくれるので、なっきーにとってはまりえは幸せ者らしい・・・
幸せを決めるのは。
◇アフガニスタン・はじまりの日
2002年、カブールに住むムルサルとナフィサは戦争が終わり、学校に行けるようになった。
勉強用具をもらって喜ぶ二人。二人はそれをはさんで自分たちの夢を語る。
そして19年後、2021年にカブールに再びタリバンがやってきた―――
*
間違いとは何か。
特に、女性がこうしてはいけない、という"間違い"と言われる類のことについては、過去言われたことであればあるほど、いまは受け入れがたい時代になっている。しかしこれは民主主義国が中心の動きであり、民主主義国ですら全国民がそうなっていないばかりか、宗教国ではその宗教で指定されていることが性差を乗り越えていない事例は、この本を読むとつぶさに感じることができる。
どの時代の女の子も、どの世界の女の子も、こういう扱いを受けているよね、という視点から、これからはこういう風に変わっていかないといけないんじゃない?っていうこと。も含めて、書いている。
例えば宗教上そういう風に扱っ���きたけど、いまもそういう社会なんだろうか?など。
変わっていかないといけない、というのは、周りの大人が諭して女の子本人にそうさせる場面もあるが、女の子本人に気づかせる・語らせることも多い。いまの時代がなぜこうでなくてはならないのか。純粋な子供時代だからこそ感じることだが、今まで大人がいかにそれを虐げてきたのか。
女の子らしい、女性という性らしいものでくくる。のではなく、もっと多様な考えでもいいのではないか、という提起でこころをつかまれる、「性差を乗り越える」ということに関して言えば初歩の初歩だがとても大事なことを書いている短編だ。
マンガであることでかなり読みやすいので、そのような論調を何となく理解できない、あるいは自らかみ砕けない部分があるという方はぜひ読んでいただきたい!
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世界のあちこちに暮らしてる“女の子”へのジェンダーバイアスの話です。
今話題になってるよね。
日本でもまだまだあるから、日本だけの一冊が次は欲しいなぁ。
女の子、じゃなくて、女の人、でも。
2023/06/14 更新
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『女性差別を受けている海外の少女たちの日常を描く』というテーマで描かれている。特別に悲惨な部分ではなく、隣の家のお話のような、よくある日常のようだ。舞台は、アフガニスタン、インド、サウジアラビア、モロッコと日本。理不尽で歯がゆい。
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#女の子がいる場所は
#やまじえびね
#読了
#手塚治虫文化賞
まんがです。現代社会における各国の女性差別について描かれた短編集。女性は結婚しないと幸せじゃないのか?日本でも根強く残る性別役割意識や固定観念。高学年くらいから、ぜひ読んで欲しい作品。
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どうしても下に見られがちな女性が生きる国々のエピソードが、読んでいて他人事とは思えなかったです。
日本も女性の権利に注目されてきてはいますがまだまだ…。
これから女性には沢山活躍していってほしいとは思いますが、渦中にいた方達を否定することはできないと思わせてくれた一冊でした。私置かれたの現状とはかけ離れた生活習慣、宗教、文化など根っこの部分での問題もありそう。
何より自分がどうしたいのか皆が選択できるようになってほしいと思いました。