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フェミニズム・ジェンダー論コンシャスな歌謡曲論。この本知らなかったのよねえ。ちくま文庫にいれてもらってたすかった。
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<目次>
第1部 愛しさのしくみ
第1章 愛があるから大丈夫なの?~結婚という強迫
第2章 あなたの虚実、忘れはしない~母性愛という神話
第3章 戦争を知らない男たち~愛国のメモリー
第2部 越境する性
第4章 うぶな聴き手がいけないの~攪乱する「キャンプ」
第5章 やさしさが怖かった頃~年齢とジェンダー
第6章 ウラ=ウラよ!~異性愛の彼岸
第3部 欲望の時空
第7章 黒いインクがきれいな歌~文字と郵便
第8章 いいえ、欲しいの!ダイヤも~女性と都市
第9章 季節に褪せない心があれば、歌ってどんなに不幸かしら~抒情と時間
<内容>
’70年代の歌謡曲(フォークや演歌を含む)の歌詞に注目して、そこに登場する「女」「男」の描き方から、ジェンダーを解きほぐす本。2002年原本。そう言われると、何を知らずに歌い、涙していたことが、こっ恥ずかしくなる。確かに分析の通りなのだ。歌手なのか、作詞家なのか?そこに時代性が見えることを明らかにしている。
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時は昭和、高度経済成長期の日本を彩った歌謡曲。60年代後半から欧米で始まった女性解放運動の余波を受け、日本でもジェンダーの規範が大きく変化した70年代の歌謡曲の歌詞に注目し、ポップカルチャーにおけるジェンダー・ポリティクスを読み解いていく。
面白すぎる!!! 私がKinKi Kidsを始めとするジャニーズの楽曲越しに昔の歌謡曲を聴きながら、ぼんやりと考えていたトピックが(軽く触れられているだけのものも含め)ほとんど網羅されていた。次から次へと溢れ出る曲紹介も凄まじいのだが、超有名曲しかわからなかったので本書を元にしたコンピがほしい。
第1章は、異性愛規範と家父長制的な結婚観を再生産した歌謡曲の話から始まる。恋愛結婚を賛美するヒットソングの中に、同棲や不倫を歌う曲がカウンターとして現れる。けれど、彼らはいつも結婚という強固な現実の前に敗れ去るものとして描かれた。また、戦中・戦後の男たちを癒す"母"を投影する女性像から、「戦争を知らない子供たち」世代に下って男性像も軟化したことを見ていくと、本書のメインディッシュ、第2章「超越する性」にたどり着く。
ここでは異性愛規範に囚われたリスナーを巧みに翻弄したヒットメイカーとして阿久悠が大きく取り上げられ、山本リンダ→ピンクレディというポップアイコンの系譜が語られる。山本リンダを主体的な女性像を提示した先駆者と見る論は今や珍しくない気がするけど、斎藤美奈子の解説によれば本書(単行本の刊行は2002年)はリンダ再評価の最も早い例だという。
歌手は女性でも作詞家は男性であることが多いが、本書は分業で作られた歌を歌手に〈押し付けられたもの〉として扱わない。山口百恵の初期楽曲のセクハラとしか言えないキモさにはフェミニズム的観点から苦言を呈しつつ、歌手もしっかり主体として扱っている。そこが読んでいて気持ちが良い。アイドル歌謡分析で桜田淳子愛が爆発するくだりは、読んでいて胸が熱くなった。
また、演歌のポピュラリティ獲得と歌詞の両性具有性を結びつける論考は個人的にめちゃくちゃ納得度が高かった。KinKi Kidsの「愛のかたまり」って演歌だよなぁと思っているのだが、そう感じる理由が全てここに書いてあった。
女性アイドルに一人称「僕」の歌を歌わせたり、男性性を誇示したパフォーマンスの男性歌手が女ことばで歌うことにより発生する"キャンプ"な演劇空間。表面的には虚構性が高いくせに、立ち現れるジェンダーの揺らぎはドキュメンタリー的であるという二重性。あるいは、ミソジニーやマチズモやホモフォビアにきつく縛られているがゆえに、異性を演じることが意味する〈自由〉と〈解放〉。その代わり、クィアな人たちが過剰さを演じることで"受け入れられていた"ことの良し悪しも考えるべきではあるけれど。「男/女っぽさ」と「男/女らしさ」の違いなど、この章は本当に読みでがある。
分業でないシンガーソングライターとして何度も名前が挙がる井上陽水と桑田佳祐も、改めて非凡な言葉の使い手だと思った。常にアウトサイダー目線でメインストリームに斬り込む陽水と、歌謡曲と洋楽の最強サンプリングマシン桑田。ボーカリスト/パフォーマーとして両性具有感が強い二人でもある。桑田さんの隠微でアンドロギュナスな言葉遣いは、湘南ヤンキー文化とも深い関わりがあると個人的には思っている。
第3章は歌謡曲のなかの都市論、歌謡曲のテクスト性(「歌謡曲とは再読可能なテクストである」)を論じ、〈風街〉を背景に「喪失と抒情をあがなう時間の詩学——ないしは、脱・男性的な〈敗れ〉の美学」を確立した作詞家・松本隆を召喚する。過ぎゆく時間を止めたいと願いながら、静止し続ける永遠の世界では儚く壊れてしまう〈二人〉の関係性のなかで、松本隆が描く少年と少女の性差は溶けていく。
「あとがき」も感動的だった。松本隆が歌詞を書き、松田聖子が歌う曲のなかの男性像に安心感をおぼえ、主人公である女性に共感し、代弁されていると思ったという著者の実感のなかに21世紀にも通じるメッセージがある。
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70年代の歌謡曲を題材に世相を概括する著書だが、出てくる歌詞に記憶のあるものが多いのに驚いた.1970年に社会人になったので、社員寮で過ごしていながら多くの歌を聞いていたのだと感じた.著者の編み出したと思われる次の語句が印象的だった.同棲歌、既婚恋愛歌、学園青春歌謡、男性一人称複数歌謡など.題材として電話や手紙が現れ、都市が女性の生活空間になった70年代、マック、ミスド、ファミリーマート、セブンイレブン、ローソンが出現し、ぴあ、アンアン、ノンノが発行されている.巻末の歌手名索引を見ると、ほとんど聞いたことが在る人たちだ.70年代の歌謡曲の浸透度合いに驚いた.
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結婚母性愛愛国「愛しさの仕組み」、キャンピージェンダー異性愛「越境する性」、文字と郵便女性と都市抒情時間「欲望の時空」
私のような歌謡曲大好きおじちゃんにはそれはそれは楽しい本。
70年代の歌謡曲歌詞は震えが来るほどカッコいいものが多いけれども、この本はそれらを丹念に拾って紹介しながらジェンダー論を展開してくれる。楽しい。
阿木燿子のいっちゃってる具合は有名ですが「輝く指輪が私を弾ける」の分析はまさにそれ!の一言。岡本太郎太陽の塔「日の丸と連動しながら決別したシンボル」てのと「ディスカバージャパン」を繋げて話すとこなんかもグー。
朝丘雪路を『「女っぽい男」っぽい女』と表現したのはマジウケる。
中盤の「男の受動的能動的やさしさ」についての神田川解説。桜田淳子への突然の熱量も「ちょっ笑どした?笑」って感じでいい。
英語に舞い上がりつつ日本語重力に屈する、オリコン50位のアルファベット推移やグループ名、特に敏いとうとハッピー&ブルースが示す「境目」指摘も好き。
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70年代の10年間を、十代の小・中・高・大学生としてリアルタイムど真ん中で過ごし、その間一貫して歌謡曲を含む音楽全般に人並み以上に強く傾倒したぼくにとってみれば、本書で取り上げられた数百の歌謡曲は、そのほぼ全てをリアルタイムに耳にし、口ずさみ、歌詞を味わった、タイムカプセルのようなものと云える。その意味では、本書の著者がその一曲ごとに、あるいは複数の曲を横断的かつ系統的に分析し論ずる内容はいずれも興味深く、歌謡曲を論じる斬新な切り口を面白くも感じた。
がしかし一方で、独善的とまでは云わないが、意図的に?極めて分析的、論理的、論文的に歌謡曲を論じようとするそのスタイルや文体、表現の仕方にはいささかアクの強さが否めず、決して楽しく気持ちよく読み進めた一冊とは言い難い。
要は、決して面白くなくはないが、お世辞にも読み易い本じゃない。再読は無いな。