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著者による未来予想図としてのデータ市場主義が描かれているが、あくまで望ましくないけどなりうる未来としての扱い。
生物学をすこし齧った私にしても、生命が全てアルゴリズムに還元される本書の考え方はあまりにも機械論的人間観、生物観ですこし引くが、かなりの部分はありうる未来と感じる。
ウクライナ戦争が始まった2022年は人類の時間が巻き戻ってしまった感はあるが、今からでも読むべき一冊。
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人間至上主義も進む中で3つの宗教に分解されていく。
1つが自由主義、2つ目が社会主義、最後3つ目が進化論的な人間至上主義である。
こうした違いは当初は些細なものと考えられていたが3つ目の進化論的な人間至上主義が台頭することで3つの均衡が崩れて大きな事件も起こっている。
この人間至上主義も今後政治やシステムの中で3つのシナリオが想定されている。
・1 つ目が人間の価値そのものがなくなること
・2つ目が集団としての人間には価値があるものの、個人としての人間には価値がなくなること
・3つ目が例外的に一部の人間には価値が認められるが、それはアップグレードされた超人という新たなエリート層であるとと
本書の中では3つ目のシナリオが最も良くないと考えている。
一部のアップグレードされた超人と膨大なデータのアルゴリズムに人々は支配されるようになる。
まさにマトリックスの世界である。
過去、世界を作っているのは神々である、と考えていた神々はもう既に退いている。
今世界を支配しているのはホモ・サピエンスである。
過去退いた神々のように今のホモ・サピエンスが未来に退くストーリーはゼロでは無い。
個人的には退くところを見てみたいと感じる。
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ジャンル:リベラルアーツ トレンド
出版社:河出書房新社
定価:990円(税込)
出版日:2022年09月14日
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ユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari)
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。オンライン上の無料講義を行ない、多くの受講者を獲得している。著書『サピエンス全史』(河出書房新社)は世界的ベストセラーとなった。
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flier要約
https://www.flierinc.com/summary/1672
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大きな歴史の流れを踏まえた上で、未来の人間像を論理的に予想する。生物はアルゴリズムである(著者の主張でなく分子生物学分野での定説とのこと)と捉えた上で、他種に比べやや高度なアルゴリズムの生命活動を営む人類(=サピエンス)でも、AIの進歩により大半は存在価値を失い、「無用者階級」へ追いやられる。残った一部のAIを使いこなすエリートが、科学技術により、生物学的限界を突破するアップグレード(=ホモ・デウス誕生)を行い、無用者階級の支配、切り捨てが行われ、現在のようなサピエンスの社会構造は終焉を迎える。という説。
この望ましくない未来像の可能性を回避するためには、その未来像につながってしまう選択肢を選ばないよう、大局的視点で注意深く意思決定することだというメッセージが込められていると感じる。イデオロギーや社会的制約に縛られない想像力をもって意思決定・行動できるようになるために、歴史を学んで社会・文化・宗教・政治が形成されてきた背景と現在の自身が置かれている社会的状況を客観的に理解することが重要ということだと思う。
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現代世界においてはあまりにも絶対的な価値観となって疑うこともない「自由」、そしてその前提となっている「個人」「自己」という概念の覇権が、いかに歴史の偶然の中で成り立ったものかを考え直させられる。
しかしこれだけの構造を喝破しながら、あくまで中立的な解説の立場を崩さないのは学問的な誠実さを追求しすぎな気もする。著者本人は仏教のアプローチを一つの答えとして見出している節があり、それならそれを提示してみて欲しい。
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人類はこれからどこへ向かっていくのであろうか。私たちが生きていく時に思う人類全体としての未来。テクノロジーの発展により不死と幸福を追求することが目的となり、神聖さも獲得しかけている人類。ただし、そのために生きている意義、といった内面的なものは無くなっていってしまう。新たな観念的な考え方であるデータ至上主義により、人類の個人としての経験はたいした意味を持たず、人類としての経験が今を有するようになるといった悲しい未来になる可能性があると筆者は主張している。
示唆に富んでいるだけでなく、歴史からの学びを重視しておる歴史学者ならではの視点で語られており、とっても勉強になる一冊だった。
また、文庫版の序文では、Covid-19は、テクノロジーにより疫病は対処可能な課題になったのにも関わらず、大人としての振る舞いができない人類しかいないため、人災となってしまったというところが、とっても共感できる一説であった。
また、ロシアのプーチンによるウクライナ侵攻も、せっかく克服したと思われていた戦争と貧困と病気の時代への逆戻りになってしまうというのも、確かに頷けるものであろう。
この序文だけでもこの本を読む価値があると思う。
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ホモ・サピエンス全史の続刊である本書の下巻。
世界の頂点になったホモ・サピエンスはどんな未来を歩んでいくのか。
アルゴリズムに人類は取って代わられてしまうのか、データを使って新たな世界にいくのか(第二の認知革命)歴史を見ながら著者が考えるホモ・サピエンスの未来について書かれている。
アルゴリズムによって知的単純労働はAIに取って代わることになるが、人類は知能と意識を持っている。この世は知能だけで解決できることはまだ少なく、すぐに取って代わるとは思えないが、汎用性の高いAIがいつ登場するか。それによって世界の構造が変わってくると思う。
人類が生き残るために必要なことは、新たな問いや問題を作る能力、そしてその問いを解決する能力が必要になってくる為、自身の構想力を高めていきたいと感じた。
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前著「サピエンス全史」に続き、現代最大の知性によるとてつもない想像力と構想力、思想は圧倒的。
科学革命により人類が強大な力を得た結果、人間至上主義、自由市場資本主義が世界を支配し、人類が神となり人間の中にこそ神聖な価値の源泉があるとされるようになった。そして現在、世界はデータ至上主義に飲み込まれつつある。そこでは最終的に人間は単なるデータチップとなり、人間性の価値は溶けてなくなるという。実際自分もスマホやgoogleに頼り切きった生活を送っているのに気づいて心底ゾッとする。将来、意思のないネットワークシステムに人間が完全に支配、制御されるということは考えにくいけれども、大変気味の悪い未来になるだろうことは当たり前に想像できる。
上巻の序文と同じように最後にも「本書で概説した筋書きは、みな予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性の中に気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい」とある。
本著が世に出た後にコロナ禍、ウクライナへの軍事侵攻は始まった。イデオロギー、テクノロジー両面で現代が歴史の転換点にあることは間違いなく、人類はこれから幾多の重大な選択に迫られる。そのような時代に本著は一人でも多くの人に読まれるべきでる。
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最近自由意志が尊重されているが本当に自由意志というものは存在するのか。
自由意志とは突き詰めれば発火するニューロンのパターン
前近代はリスクマネーが供給されなかった。
なぜなら現代の成長は、私たちの直感や人間が進化の過程で受け継いできたものや、世界の仕組みに反していたから。
ほとんどの生存競争は他者を犠牲にしなければ反映しない、ゼロサムゲームと考えられていた
伝統時には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然と考える。
意味のない世界のために意味を生み出せ。これこそ人間至上主義が私たちに与えた戒律。
人間は21世紀には不死と至福と神聖を獲得しようとするだろう。
自由主義が支配的なイデオロギーになったのは、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的に軍事的にも実に理に適っていたから。
21世紀には自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなる。
経済的重要性がテクノロジーの進化に取って代わられることにより、道徳的理由だけで人権と自由を守れるのか。
社会的不平等に対する自由主義の解決策は、全員のために同じ経験を生み出そうとするのではなく、異なる人間の経験に等しい価値を与えること
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人類に対して警告を与えているようであり、多少の恐怖も感じた。特に、生き物はアルゴリズムであり、予言ではなく可能性として論じているところに背筋を冷たくさせる。自分自身を含めた生き物をたとえ比喩でもアルゴリズムと思ったことなどなく、それが現実の可能性として描かれている点が恐怖でもあり、自分はどう生きていくべきかと本気で考えさせられる。
以下、印象的な一文。
「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップデートしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない。」
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難しくて読みづらい部分も少しあったが面白かった。人類が繁栄してきた歴史を振り返りつつ、それに基づいて今後の未来を予測していく。今後、人類とAIやアルゴリズムがどのように共存していくのか、はたまた人類はオワコンとなっていくのか。これからを生きていく上で頭に入れておいて損はない考え方の1つを提供してくれる本だった。
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下巻では、21世紀の人間が「不死」「幸福」「神性」を獲得すべくAIや生命工学を駆使していくと最終的にどんな結末が待ち受けているのか、を著者なりの視点から描いた本になります。最後に著者が述べているのですが、本書で書かれていることは著者の未来予測ではなく、あくまでシナリオの1つである、もしこのシナリオが気に入らなければ、そうならないように我々は努力する必要がある、ということなのですが、ハラリ氏はかなりの度合いで、ここで書かれていることが現実に起こると考えているのではないでしょうか。
ハラリ氏が描いている「ホモ・デウス」とは、スタートレックに登場する「ヴォーグ」のような存在だと私は解釈しました(新スタートレックをご参照ください)。すべての人がつながり、知識を共有する。個々人の感情はない(あるいはあっても尊重されない)、各人が勝手な行動をとることはない、そしてあのお決まりのセリフ「抵抗は無意味だ」ということで、全宇宙の人類が統合されるかもしれない、という身の毛もよだつ存在なわけです。
ハラリ氏の論理展開は、シナリオとしてはありえるとは思うものの、いかにも一神教がベースになっている文化圏の人々が陥りやすい特徴を持っていて、仏教になじみのある私にとっては正直あまりピンときませんでした。どういうことかというと、一神教は排他的で、神性が同時に複数存在することを許さないのです。その意味でハラリ氏は仏教を学ぶべきでしょう。ハラリ氏の論理展開はこうです。人間は近代以前、外に「神」の存在を認めていたが、近世になって神はいなくなり人間個人を崇拝するようになった。しかしAIの進化によって、権威は人間から外部の「アルゴリズム」に移る。それが最終的には人類の衰退につがるということで、彼はそれを「データ教」と呼んでいますが、正確には「アルゴリズム教」でしょう。この2つは大きく違います。つまりアルゴリズムが神託をくだし、人間は従うだけの存在になるというわけです。
他方、仏教では「衆生本来仏なり」、あるいは密教では「草木国土悉皆成仏」ということで、生きとし生けるものすべてに仏性を認めます。つまりアルゴリズムがものすごく発展して、それが私以上に私のことを知ることが仮にできたとしても、依然として仏性は各人に宿っていることに変わりはないのです。だからどうしたということです。もっと言えば仏教では自分自身だけでなくアルゴリズムにも仏性を認めるようになるかもしれません。長年使った人形や刃物を処分する際にそれらを供養するように、ロボット供養なる儀式が生まれるでしょう。私は本書を読んで、一神教の文化圏の人々が思想的に行き詰っている、ということをハラリ氏の論調を通じてむしろ強く感じました。
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生成系aiが流行ってきた昨今、筆者が預言していることが現実になってきていると感じる。最終的にはマトリックスや、ターミネーターの世界みたいになっているイメージかなと思いますが…私みたいな小市民にはあまり課題感が伝わってこなかったです。
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流石のハラリ先生。
最終章のデータ教の理解は深い。
自由主義と社会主義で勝った理由も、どちらが素晴らしい概念とかではなく、データ処理が早かったから。
人間が霊長なのも、動物よりもデータ処理アルゴリズムが的確で、フローが多かったから。
理解として、分かりやすくて面白い。
なら、AI全盛期の今、人間ってデータ処理スピード遅いし、要らないですよね?という結論になるのは至極真っ当で。
それに対する別の見立てというかオチも良い。
かなり面白かった。
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上巻では人類の行動原理を示した。下巻では、実際に行われるであろう具体的行動を考察していく。私たちがテクノロジーに従うべきなのか、感情や心の声に耳を傾けるべきなのかを考えるきっけになった。
現代の人間生活は、食糧の生産から資本の拡大へと目的が移り変わっている。その例として、生態系や環境の保全が積極的に進んでいないことが挙げられる。経済の発展による技術の進化が問題を解決してくれると思い込んでいるからだ。
神の権威よりも人間の感情を優先するのが近代だ。かつて、芸術者は神の意思を伝えるものとされていた。しかし、大衆の評価によって芸術者の価値が決まるように変わった。私たちが世界に意味をもたらすようになったのである。さらに、現在の技術は、人間の感性すらもAIに模倣されようとしている。音楽や絵、囲碁の分野で私たちと同等の力をAIが発揮するようになってきたのがその証拠だ。目で見えない物も数値で表されようとしている。
数値化は、私たちの活動を便利にした後、今度は人類の存在意義すら奪ってしまうかもしれない。その世界は、まだずいぶん先の話ではあるけれども。産業活動が全てAIで賄われたとき、私たちは何を求めていくのだろうか。個人的には、バーチャル世界やなんらかの振興活動など娯楽に勤しむのではないかと考える。
また、テクノ人間至上主義とデータ教を合わせたテクノ教が新たな宗教として台頭するかもしれない。テクノ人間至上主義によって、心を制御しようとする。しかし、その行動は自分の心に従った行動といえるのだろうか。ただ、抗うつ薬などが使われている点を考えると多くの人は、人間の意志を科学に明け渡してしまうと考える。また、データ教によって国を隔てる壁が極限に薄くなるかもしれない。データを集めることで、人体の情報や傾向を収集し、最も効率的なソリューションを導き出すためだ。例として、検索履歴や動画閲覧の傾向を記録することが挙げられる。また、大量のデータを処理するために中央集権制がさらに加速するのではないか。共産主義が世界で広まりきらなかったのは、扱う情報量が増えすぎてしまったことに他ならない。
世界は資本主義を中心に回っていることは今一度心に留めておくべきである。そして、神の権威よりも人間のアップグレードが経済成長の標的になっているいて、意識をどのように扱うのかを定期的に考える必要があると感じた。
下巻の方が上巻に比べて少し具体性が増したように思う。ただ、依然としてつかみどころがないことに変わりはない。
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audibleで視聴した。
そのためザックリの内容理解。
気が向いたら、本のバージョンも読みたい(上巻など完全に忘れてしまった。笑)
宗教至上主義から、人間(個人)至上主義にそして、データ(AI)至上主義に変化していくと書かれていた。確かに、生成AIの台頭を含めハラリさんが予想する未来に近づいている気がする。
火の鳥未来編の様に人工知能から神託を受ける様な世界になる未来線、もしかしたら生きてる内にあるのかなとも思ってしまう。
また、AIやテクノロジー、生命科学を味方につけたものとつけないものの格差はどんどん広がっていくのでないかとの考察も
また、ところどころ皮肉が効いたジョークが入っていて笑ってしまった。
特に、タクシー運転手や、レジ業務など多くの業務がテクノロジーで代替されていく可能性が高いなか、1番代替されてく可能性が低い職種の中に「考古学者」があるとのこと。
へー、やるじゃん。と思っていたら、代替されない理由として、そもそも代替することの市場インパクトとニーズがないからと書かれていた。斜め上の視点だったので、つい笑ってしまった。