紙の本
江戸の人は、ラクダを見てそりゃびっくりしただろう
2022/11/07 18:22
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸の庶民がはじめてラクダを目にしたのは文政7年(1824年)閏8月、両国広小路。ヒトコブラクダの番いだっという、この本にも、その当時の庶民の熱狂、衝撃が記されている。まあ、江戸の人は、いまでもへんてこだと思うラクダを見てどう思ったかは想像に難くない
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12頁:「咳嗽胸腹杓攣」は、胸や腹がさしこむような痛みを意味する「癪」〔しゃく〕を「杓」の当て字で記したと思われ、繰り返し咳き込んで胸腹にも痛みが走る状態といったところだろうか。
★「穿ちすぎ」だと、とわたしは思う。「杓攣」は「拘攣」であろう。
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江戸時代後期に、オランダ船に積まれた2頭のフタコブラクダが長崎にやって来た。
このラクダが話題を呼び、江戸ではロングラン興行になり、大いに盛り上がった。
インターネットのない時代に未知の生物と遭遇するのだから、当時の人々のラクダ熱は相当なものがあった。
ラクダのような「舶来の珍獣」には、現代では思いもつかないイメージがあった。
それは神仏のように「ご利益」があるとされて、ラクダは西からやって来たありがたい「霊獣」「聖獣」だった。
ほうそう、はしかよけ、悪病除けの効能があると最もよく言われたそうだ。
見世物小屋では、ラクダの毛を包んだお守りが売られた。
ラクダの毛とご利益とは恐れ入った。
江南亭唐立作、歌川国安画の合巻(ごうかん、合冊形式の絵入り小説)「和合駱駝(らくだ)之世界」の挿絵の一コマが載っている。
そこにはラクダから逃げ出す疫病神が描かれている。
ラクダにすがりたい当時の人々の気持ちも分からなくはないが、ラクダの尿が霊薬になるという話にはさすがについていけない。
「鰯の頭も信心から」と言うが、「駱駝の尿も信心から」はハードルが高いなあ。
当時の人々がラクダに対してどのように思っていたのかを垣間見ることができ、ラクダを通して異文化に対する、当時の人々がどのように思ったのか知ることができて興味深い。