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面白かった…
北朝鮮の人々の生活、思考、社会の仕組み、
特に寄附についての提案の中で北朝鮮と韓国としてのやりとりが印象的だった。
ここまでの社会システムの違いは、私たちの生活が自由であるという前提から問い直す必要も発生する。
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2022年出版。
著者は文化人類学者であり、また長年北朝鮮への支援を行ってきた人物だという。その過程で見た北朝鮮の姿、そしてこの国に暮らす一人一人の人間を描き出している。
読み始めた時には、少し読みづらいな、と思った。
この本では、北朝鮮に住む──本当に支援が必要な──人にどのようにすれば支援が届くか、ということを試行錯誤する過程が書かれている。北朝鮮の「自尊心」を傷つけることなく、支援を「受け入れてもらう」にはどうすればいいのか。
そして国旗を見せることなく支援することをどのように自国(韓国)に、そして支援してくれる企業に承諾してもらうのか・・・。そう、とても「面倒くさい」話なのである。
著者の支援はまず、韓国政府に阻まれる。「制裁」や「支援物資が軍に回される」ということを口実に。次に北朝鮮のプライドによって阻まれる。「わが国にはそんな問題は起きていない/そんなものは必要ない」──。
それでも著者がくじけることなく支援を続けるその理由は、支援によって北朝鮮を変えようと思っているからではない。北朝鮮に本当に支援が必要な人がいるから、なのだ。頭が下がった。
人を知り、人を助けようとする姿勢、そこから北朝鮮という国を理解していくという視点は私に不足していたものだった。
最初は「読みづらいな」と思った本は、途中からとても面白いな、という感想に変わった。何度も北朝鮮を訪問した著者の経験も、他ではなかなか読めない貴重なものである。
そこに住む人間や文化から見た北朝鮮──。
日本でも文化人類学者による専門書は存在するが、かなり専門的で一般には勧め難い。しかし、この本は専門に寄りすぎておらず、北朝鮮をよく知らない人にもわかりやすい上、北朝鮮を専攻している人間にも様々な示唆を与えてくれる本だと思う。
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北朝鮮のプライドにかけて施しはいらないと拒否。そして食糧難で死者がでているのに工場建設。他国に潤っているとアピールし、国連も赤十字もさまざまなしがらみ、大人事情というどうでもいいもので助けるのをやめてしまう。北朝鮮の内部事情を知りたいと思い借りたら内部事情以上に考えさせられる内容
ボランティアの内部を一部知ってしまうが、こちらが必要だと思うことが本当はもっと違うものが必要とか、沢山集めて寄付して天狗になってると本当は1日分しか渡せていないかも知れない。ボランティアをする方も謙虚でいないといけないと思った。
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韓国の人類学者が、フィールドワークであるボランティアを通して等身大の北朝鮮の様子を描いた著書。
我々が知る北朝鮮は、国民が貧困と食糧難に喘ぐのを余所目に、恰幅の良い若き指導者がミサイル開発を指示し、そしてぶっぱなすという側面しか知らない。
もう少し国民の目線では違うのでは?と思いつつ手に取ったが、何度も北朝鮮に行き来している著書としても、基本指導層のアテンドが必要だし、監視社会では期待した本音は引き出すことは出来ない。
とは言っても、庶民の暮らしや北朝鮮内の格差等を知ることができた。
脱北者が出るくらいなので、一定数不満を抱えた国民はいるはずだが、洗脳教化は有効に働いているようだ。
同じ民族である韓国ですらなかなか交わることが出来ない中、日本とは体制変化がない限り国交は困難だろう。
以下象徴的な内容。
北朝鮮社会において個人は体制と首領から自由になることができない。北朝鮮では個人主義と自由主義は後世にまで影響を及ぼしうる無責任な道徳的な罪である。過ちを犯した配偶者を非難し、離婚と再婚によって子どもを守ることも、北朝鮮では常識的に理解される社会的な生存戦略である。飢饉の時期には生活苦によって一家が無理心中を試みながも、それは首領や体制ではなく、自らの無能さに責任があるという遺書を残すことが頻繁にあった。残された家族の成分に影響を与えないためである。
首領と体制を裏切るということは個人的な犯罪の次元を超えて、配偶者と子どもと家族、親族すべての成分を悪化させる行為である。したがって、脱北者は誰もが北に暮らす家族親戚に対する罪悪感と不安感から自由になれない。
2000年6月の南北首脳会談以降、南北交流が増加するにつれて韓国人の北朝鮮訪問が増えた。同じ民族であるが、社会経済的に圧倒的な優位な立場になった韓国人と接することになった北朝鮮体制としては境界を再び明確にする必要があったのだろう。この時、相手を異質で汚染した存在として概念化する作業が強化された。北朝鮮を民族の「純粋さ」を守る国家として表象し、韓国が「汚染した」多民族、多人種国家になりつつあることを繰り返し強調した。
「平壌市を整えることは我が国の顔を美しくすることと同じです」40余年前の金日成の言葉である。彼の言葉どおり、「平壌市には精神的にも肉体的にも健康な人暮らすようにしなければいけない」という原則が徹底的に施行された。まず平壌市内にいたろう者、身体障がい者、精神疾患者は家族と共に地方に強制移住をさせられた。平壌のみならず外部の人が訪問する可能性のある町からも山村の奥地や離島などへ追放した。戦争や事故で障がいを負った人や社会的地位の高い階層の障がい者も例外ではなかった。
生活儀礼のなかでも最も注目すべきものは、週一回行われる「生活総和(生活総話)」だ。生活総和は所属する組織の人たちの前で己を反省し(自己批判)、他の人を批判する(相互批判)時間だ。主に金日成の教示と金正日のお言葉、「十大原則」に照らして革命思想的にはできなかった点と個人主義または利己主義的な態度について批判する。たとえば、体の��合が悪くて朝の「読報会」を休むことになったのは、革命的な覚悟が足りなかったためであり、個人的な理由で与えられた仕事に忠実ではなかったことを「自由主義を行使した」と自ら告白し、他の人の批判を受けなくてはならない。
平壌の街には高層建築が立ち並んでいるが、金日成広場ではいまだに軍事パレードが行われている。最高指導者は若くなったが、いまだに人民服を着てミサイル発射の現場で現地指導をしている。女性のファッションも多彩になったが、正装と軍服姿の権力エリートは今も国会の場で満場一致で手帳を掲げ賛成票を投じている。芸術公演は軽快になつたがいまも忠誠の歌を歌い、首領の銅像の前では人びとが並んでお辞儀をしている。このように公式体制の表面には変化がないが、住民の日常生活はそれでもどんどん変化している。