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社会学者である著者が、在日一世である伯父、叔母を語り手として、彼ら、彼女らの「生活史を書く」ことに挑戦してみた、本書はそんな一冊である。
一族はその出身地である済州島から戦前に日本の神戸、大阪に来ていたが、戦後一度帰っている。その後、一人、また一人と日本に戻ることになった。しかもほとんどは「密航」によって。
その契機となったのが、1948年の済州島4・3事件。日本の敗戦後の済州島で住民が虐殺されたという史実は知っていたが、本書で初めて、どうしてそのような事態が起きたのか知ることができた。
一度帰った済州島をまた去らなければならないほどの大事件であった4・3事件を、語る者もいれば全く語らない者もいる。伯父、伯母が小さかった頃の出来事とは言え、何故なのだろうかと著者は疑問を持つ。
そこから歴史的な事実と個人の体験との関係に著者は思いを馳せ、歴史を、たった一人で持ち続けている姿を聞くことが、生活史を聞くことなのかもしれないと、著者の思索は進む。
本書は社会学の論文としては書けなかった、伯父、伯母の語りを通して、「家」の歴史を書こうとする試みである。生活史を書くとはどういうことなのか、学者としての著者の考え方や悩み、その本音が随所に表れる。
そして本書の何と言っても魅力は、親戚である伯父、伯母の語りをが生き生きと伝わるよう文章化したところにあると思う。おそらく、あちらに行けばこちらに行く、時系列を無視した語りだったと思われる喋りを、本人の性格が感じられるような形で、その息遣いまで窺われるような文章。
日本社会ではマイノリティであった在日の人々の人生。学校に行く機会が奪われ読み書きが出来なかった伯母が、成人になってから定時制学校に通うことができて、最低限の読み書きが出来る様になったことが如何に幸せと感じたかを語るところなど、いろいろなことを考えさせられる。それ自体は遠い昔のこととなっているが、今また別のマイノリティが“見えない人”となっているかもしれない。
重いテーマを突きつける本書ではあるが、面白く読めます。