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「あなた」は誰なのか混乱するのは、淡々と綴られる言葉の中に自分と重なる思いがあるから。例えば、「もちろん楽しく過ごしてほしいけど、楽しくできるのはもう私ではないと、娘達が中学生になったくらいにあなたは思ったのだ。」の部分とか。
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この世の喜びよ
著作者:井戸川射子
発行者:講談社
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
facecollabo home Booklog
https://facecollabo.jimdofree.com/
本書が2021年第43回野間文芸新人賞を受賞し、ほか「遠景」「する、されるユートピア」の作品。
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三作の中で「この世の喜びよ」がいちばん好みだった。どこかに落ちていそうな話は、いくらでも読んでいられる気がするから不思議。
しかし「その気」を破るためかのように「あなたは」「あなたが」と気を抜いているタイミングで書かれているので、少し自分自身に不安な気持ちを持ちつつ読んだ。
小論文の話の中で、心なんて少しも込めてやるかって、と言っていて強く共感。
真剣な時やふとした表情を見て母に「今の顔、小さい頃〇〇をやっていた時と同じ顔だよ」と何度か言われたことがあるのを思い出した。残っているのだろう、記憶に。
母にとってのわたしとの記憶が少しでもよいものであればいいなと思った。
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わりと読みやすい
「あなた」は恵まれた時代に育ち結婚した最後の世代のような女性
彼女の娘たちは「あなた」より優秀なのに難しい時代に社会に出る世代
「あなた」のぼんやりぶりは本来なら読んでていらいらするはずなのだが不思議とそうはならない
しっかりとしたドームのようなショッピングセンターに護られてる別世界みたいだ
読んでるときに芥川賞受賞作と知り驚いた
「膨張」のほうがずっと好みだった
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主人公を「あなた」と呼んで語られるいっぷう、変わった2人称の文体であるがそこに描かれている主人公とその周りの人物たち、或いはショッピングセンターという誰もを受け入れる環境、は、読んでいて決して不快感を覚えるものでは無かった。
いっぷう、変わった文体、と私が言うのは、句点読点が多用され、極めて短いセンテンスの連続で物語、情景、人物の心情、を語っていると言う点に於いてである。芥川賞候補にはなっているが、決して受賞は叶わないのではないかとは思う。しかしそのある種、実験的な手法は、読んで体験して、決して損や時間の無駄にはならないと思う。いや、むしろその新しい?手法から思い浮かべることのできる情景というのが、私が陳腐な人生経験しか積んでいないからかもしれないが、極めて穏やかで、平凡で、まさに「この世の喜び(よ)」であると言うふうにも思われる。
作者はそもそも詩人、歌人?、であるようで、なるほどその文体に納得した。繰り返しになるが、新しい手法、変わった手法、から導き出される世界観、を頭の中に描き切ることができる、と言うのは、なかなか新鮮な経験であり、私は大いに楽しむ事ができた。
追記、上記で「芥川賞受賞はかなわないのではないか…」などと書きましたが、見事に受賞されました。おめでとうございます。
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第168回芥川賞受賞
主人公を「あなた」と言う斬新さ。
子育てを経験した人は、しだいに自分の話におきかわっていきそうな世界観。
でも、それは世界ではなく日常。日常だった。
あれほど身を粉にして子を産み育てても、巣立っていき、残された「あなた」は、懐かしかったり愛おしかったり、苦しかったり虚無感が残った…
必死だった自分と、一人前のことを言うようになった子どもと、歳をとり重たくなった自分の現在と、織り交ぜて語られていく。
境目はない。
スーパーという生活の場が、一般の人にはこの世の「世界」で、主婦、女子中学生、バイトの青年、ゲーセンにいるおじいさん、重ねた人生が違うから捉え方も違う。
女子中学生の事情も然り、同情はしても踏みこめない家庭内のこと、他人に言える無防備さ、打って返ってくる言葉になんて怯みもしない思春期の反抗心、そういうのも垣間見える。
自分の子と他人の子、その一線は渡り切れるものではない。
なんか子どもを産まない選択する人が増えているのも分かる…とも思える作品だった。
ーー
最近の文章って、ふわ〜っとして、境目ないのがいいのかな?
そういうのばかり受賞してる?
精神面は曖昧模糊でも、文章はクリアなのが読みたい。
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読み終わった率直な感想としては
正直読みづらかった。
誰目線で誰視点なのかが掴みにくい。
何故このような手法で書くのか理解不能だ。単純に今の自分には合わなかったということか。他の方の感想を参考に考察したい。
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Amazonの紹介より
幼い娘たちとよく一緒に過ごしたショッピングセンター。喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼び覚ましていく表題作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。
ほかに、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録。
正直、感想を書くのに苦労しました。というのも、日常生活の一部分を切り取っていて、あまり心理描写がなく、行動が大半なので、それらをどう受け止めればいいのか苦労しました。
点が多くあって、それらを線で結ぶことはできても、そこから話が広がらない印象なので、まるで国語の授業を受けているようで、文章力の理解を試されているなと思いました。
約130ページという短めな量なのですが、なかなか理解しながら読むのに一苦労しました。
小説というよりは、詩のような印象がありました。
独特なリズム感ある文章で何度も読んで噛み締めないといけないなと思いました。
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芥川賞候補作品の「この世の喜びよ」は、二人称の視線が慣れていないので少し読みにくかった。喪服売り場で働く女性の「あなた」にどこまで感情移入できるかが肝かもしれない。私は作品の解釈ができずに、ふわっとした読後感となった。
「マイホーム」は、建売住宅の体験宿泊をする女性の物語。夫は家にいる時間が少ないので、家は主婦の城と思っている旦那衆は少なくない。でも主婦にとってもそれほど自分の物でもないのかもしれない。ハウスメーカーの担当者との会話を含めて、家を買うときに遭遇する場面での感情を感じた。
「キャンプ」は、父子と叔父が参加したキャンプでの物語。母親が登場しないことに何か意味があるのかと思ったが、読み取れなかった。子供の視線で進む話は、少年時代に嗅いだ森や川、動物、昆虫のにおいを思い出させる。
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本当に読みにくかった。
とにかく誰の視点で話しているのか分からない。
その上、場面の切り替わりが急で「え?あの話はどうなった?」って思うこともあった。そのシーンをイメージするのに苦労する。
それらに悩まされて内容は全然頭に入らなかった。
個人的には合わなかったけど、いつか読み直して理解できたら面白いのかもしれない。
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あなたは
という二人称から読み手が少し錯覚を覚えながら、「死者の視点なのかも」とか「手紙を書いているのかも」という、時点として未来から一緒に作品を読み進めていく手法がとられていました。
回想シーンで「わたし」になったり、現在形の喋り方となったりと、ふわふわと思い出す行為を共有している感覚が新しく、読んでいて心地良かったです。
この物語ではいくつもの年代の女性が登場します。主人公が、多感な女性たちと女性ならではの視点で、常に悩みながら、伝える事もあれば、胸に秘めたままにする気持ちを、これは普段は絶対に知ることができないですが、この作品を通してまるで一人の女性の心の中を知ることができた感覚でした。
子育てがひと段落した女性であっても、決して完璧ではなく、心の内にはどこか少女らしさが残っていて、でもやはり親であって、という複雑で揺れ動く感情は読んでいて引き込まれました。
文体も好きでした。文章量も少なめでしたので続けざまに2回読んでしまいました。
思い出す、という行為が、後悔からなのか、美化された記憶を愛でているのかは解釈があるかもしれませんが、私は、全体としてどこか美しい思い出として語っている様に感じました。
小さな小さな物語なのでどんな方にでもお勧めできる訳ではないですが、綺麗な文章を求めているような方にはお勧めです。
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7/9の夜、井戸川射子『この世の喜びよ』読了。
芥川賞受賞の表題作のほか、「マイホーム」「キャンプ」の2短編が収録。この人の小説は『ここはとても速い川』(表題作のほか同時収録は「膨張」)しか読んでなかったので、改めて向き合うことになった。
表題作の「この世の喜びよ」。
読み始めに、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』のような、二人称「あなた」で、歩きながら頭の中をよぎることごとが描かれていてはっとする。それとともに周囲の様子が描かれていて、その、あまりにも普通な感じが逆に新鮮だった。舞台も、新型コロナ禍後を思わせる、とある地方の郊外にあるショッピングモール。そこの喪服売り場で働くパートタイマーの穂賀さんは、フードコートで勉強する15歳の少女に出会い、親交を持ったり、売り場近くのゲームセンターの店員多田さんと休憩時間をペットショップで過ごしたりする。喪服売り場の店員ということで常にモールでは喪服(家がすぐ近くなので通勤も喪服)なので、黒子的なものにも見え、フラヌール的な存在でもあるのかな、とも。まあ、ショッピングモールという日常の場では、逆にとても目立つわけでもあるのだけれど。
当たり前のことだけれど、お母さんだって、お母さんじゃない顔を持っている。途中、旅先で娘たちと温泉に入ったときに、「この人みたいにかわいかったら、って思うことって、まだお母さんでもある?」と下の娘に聞かれる場面がある。
ああ、わたしも分かるよ。若い頃って、自分の親はもう完成されている存在で、成長とか変化とか、そういったものが無いと思い込んでたりするよね。今、その親の世代になってみると、いつになっても自分は未熟で、誰かを羨んだり、自分に不足を感じたり、日常茶飯事ですよ。一生こうなんだろうな。
柴崎友香さんの作風も「カメラアイ」と称されるけれども、井戸川さんのそれもまた、近いような気がする。でも、その解像度や視線は全然違うもの、というのがやはり面白い。今を生きているわたしたちと同じ地面で生きてる、わたしのすぐ近くを歩いている、そんな感じを覚える。優れた書き手は、現実を観察し、そのまま救うように切り取るのが上手いのだなあ。
「マイホーム」は、婚家の近くに家を建てることになった女性が子供を夫に見てもらい、モデルルームに体験宿泊する一晩の話。一人で過ごすうちに、本来の目的であろう家族でここに住むイメージよりも自分が一人で生きていたときのことを考えてしまう。この、担当営業の荒川さんがまたいい。
「キャンプ」は、数家族合同のキャンプに参加することになったおじさんが自分だけ一人だからと誘われて付いていくことになる一晩の話。初対面の大人たちや子供たちの中で、唯一名前が分かるのが、車だった。「アクア、ノア、フリード、シエンタ」と出ていく順番に。
でも、別につまらなかったとかではなくて、子ども同士でちょっとした火遊びなんかもしていて、ちゃんと楽しんでいる。
この交流は一時なのかも知れないし、なにかの形で続くのかも知れない。時間をおいて別の形で出会い直すかも知れない。いろんな未来の可能性を持った、幸せな作品だなと感じた。
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ショッピングセンターの姿が描かれる表題作と、住宅展示場が描かれるマイホーム、そしておじさんと少年が出かけたキャンプの三編からなる小品集。
なんとなく、どこにでもありそうな普通の風景が切り取られ、書き写されている。
その姿から何を受け取るかは、読み手に委ねられているのだろうと思うが、私ははっきりと起承転結が書かれているストーリーの方が好き。
もっとも普通の生活にはなかなか起承転結がはっきりしていることはないんだから、本書に書かれた生活の方がリアルなんだろうけど。
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第168回芥川賞受賞
良くも悪くも芥川賞受賞作って感じ。
悪くはないんだけど…淡々としすぎて響いてこなかったなぁ。
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途中で脱落…。
これが純文学なのですね…。
物語の最初から、何についてかかれているのかわからなくて、あ、柚子が山になってるのね、と読み返して理解した。
句読点の位置が違和感あるのと、話がとりとめもなく、なんだか頭の中でぐるぐるだらだらと考えてることをずーっと何の脈絡もなく読まされてるような、下手な人のブログを読まされてるような、そんな感覚がして読みにくかった。それがねらいなのかな?